カテゴリー「スカイリムSkyrim」の15件の記事

2014年10月 3日 (金)

ゲーム嫌いでも「スカイリム」はやっておいた方が人生楽しい。

だってこんなMAD動画を楽しめるんだぜ。

猫(カジート)好きはこちらも。

この作者は話しの作り方が本当に上手い。上の2作品はPC(MOD投入)版で作成したものだが、これ以前の動画はXbox版の素材のみというのだから恐れ入る、天才と言っても良い。

ジェイ・ザルゴ、好きだわ。また「スカイリム」やりたくなってきた。

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2014年2月15日 (土)

Xbox「マインクラフト」、「スカイリム」と合体

最初はテクスチャ等の素材提供だかと思っていたらここまで本格的に合体していたという・・・

The Ender Scrolls V: Minerim Trailer (Minecraft/Skyrim Machinima)

凄いなぁ、あちらのゲームメーカーは遊び心を判っていらっしゃる。

マインクラフト上でこの世界観を構築できる「Skyrim® マッシュアップ」パックは勿論DLしたが、先ずは今冒険している「俺の世界」(ネーミングby俺)を堪能し尽くしてからだな。

・・・・・で、その「俺の世界」なんだが、

ざっと世界を探索し終えてから、冒険そっちのけで「家造り」にハマっていた。

匠(http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%8C%A0)には何度泣かされたことか・・・・・

掘っ建て小屋から始まって、いや最初は単なる洞窟だったな、それから石造り、砂岩を使った白亜の宮殿、ガラスをふんだんに使った近代建築、等々、世界中に俺の建築物が増えていったのである。

ただねェ、いざ冒険するかという時に各建物に物資がバラバラに保管されているというのは不便なのよ。

そこでどこかで一括管理したいと思い過去最大の拠点造りと各建物を繋ぎ物資を運搬できる鉄道(トロッコ)造りを構想、着手し始めたのである。

楽しいな、と。

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2013年1月31日 (木)

カジートで出直すスカイリム:DLC第3弾“Dragonborn”始めました

保存データを消してしまっていたので頭からやり直した。久々のプレイはとても新鮮、やっぱ面白いよね、スカイリム。冒頭のマイキャラ設定で小一時間ほど悩んで悩んで造ってはキャンセルの繰り返し、結局慣れ親しんだカジート(猫族)にしたのだが、それも含めて楽しくて仕方ない。

で、今回のDLC“Dragonborn”開始条件までやっと辿り着いたのである。

開始早々死にまくり。

一応こちらのレベルに合わせて戦闘バランスは自動調整されるのだが、その調整タイミングに遭遇するとやたら固い敵が登場したりして苦労することがある。しかも戦い慣れたお馴染み敵キャラじゃないし、ひどい時は何で死んだか理由も判らん時さえあるのだ。そこを苦労して生き残っていくのも醍醐味なのだが・・・

やはり従者は必要か。一度戻ってジェイザルゴあたりを連れてくるか。戦闘方法も含めて少し工夫しよう。

という訳で前途多難ではあるが、冒険は始まったのである。

またその内に経過報告すると思う。

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2012年3月15日 (木)

脳筋ノルドでゆくスカイリム:両手で重装、始めました

ということで始めたのはいいのだが、

過去キャラは全て片手剣で盾装備(時々魔法)というスタイルだったので、両手剣(グレイトソード)独特の攻撃ムーブ「振りかぶり(どっこいしょ)→打撃(くらえっ!)」のタイミングがなかなか取れなくて序盤は大苦戦。特にここは決め所というところで大空振り多発、それはもう往年のタブチくん状態である。しかも防御も両手剣で兼用するわけで、これがまたキツい。使用方法としては盾装備の時と同様に敵の攻撃時にタイミングよく剣(防御)を当てて相手のバランスを崩しそのスキをすかさず攻撃するのであるが、その「すかさず」の部分に「どっこいしょ」が入るため、これまた盛大な「空振り大会」連発なのだ(もしくはしっかり防御されてしまう)。

でも、その生死ギリギリの戦闘の緊張感が実はこのゲームの醍醐味なんだよね。

両手剣で再開したことでその面白さがまた味わえるとは思わなかった。

それにこの両手剣、使い熟せるようになると、まさに叩き潰すという感じの豪快感や一撃必殺の爽快感が堪らなくなってくるのである。相手がザコとわかったら防御もせずのっしのっしと近づいて脳天唐竹割りとかね(でも油断していると手酷い反撃を食らう)。

ま、そんな感じです。

あ、ちなみに、お伴はジェイ・ザルゴです。




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2012年3月12日 (月)

不定期・カジート(猫族)でゆく「スカイリム」:モデルは山猫?

どうやらアメリカ山猫、特にボブキャット辺りがモデルじゃなかろうかといろいろネットで調べていたらこんな動画に遭遇。

本家Youtube版は細切れ状態だったので一挙に観れるニコニコ版を。


興味津々な家猫の反応に比べ余裕の佇まいが美しくも魅力的、でもそれは猛々しさを秘めた「野生の美しさ」なのだよね。

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2012年3月 8日 (木)

不定期・カジート(猫族)でゆく「スカイリム」:帝国勝利

メインクエストの最終局面でどちらの陣営に付くか決めかねて(カジート的には他人様の問題はどうでも良い)、だらだらと、しかしとても面白くサブクエストを楽しんできたのだが、そろそろ一回終わらせようと思った。

某「諜報活動」クエストを達成した後、自分なりにこの内戦に関わる理由が見つけられたので帝国側に決めた。それと「闇の一党」でのある大物暗殺の際の会話の影響もある。

元々複雑な事情や政治的構造を持つ内戦なのだが、基本的に「頭より剣」のノルドに共和体制での自治はどう考えても無理という結論である。

で、「あと味」は良くない。

そこに「オブリビオン」の時のような大団円はない。一つの問題が終了しただけで、何も解決はしていないのだ。スカイリムの住人にとってはこれからも厳しい日常が続くだけなのだ。

まぁ、カジートにとっちゃどうでも良いことなのだが。

ということで、ひとまず〈カジート(猫族)でゆく「スカイリム」〉は終了。勿論、そろそろ噂も出てきたDLC の為にデータは保存したことは言うまでもない。

そして、次はノルドで両手剣というガチなキャラで再旅立ちの予定。なぜ両手剣かというと単にカッコいいから(特に黒檀!)。ただね重装備は嫌いなんだよね。どうしようかな、と。

ああ考えているだけで楽しいなぁ。

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2012年3月 3日 (土)

不定期・カジート(猫族)でゆく「スカイリム」:首チョンパ

スカイリム名物「首チョンパ」である。

ゲームを開始してすぐにこの歓待を受ける(この「歓待」にこちらの好き嫌いは通用しない)。

スカイリム新参の誰もが「深い感銘」を受ける持てなしであり、このゲームに取り組む気持ちに喝を入れられるのである。これはこの先、さぞやチョンパチョンパしたりゴロゴロさせたりしたりするのだろう、と覚悟を決めるのである。

が、せっかく覚悟して旅立ったのに、序盤は(某所イベントを除いて)この歓待を再び受けることがほとんどないのだ。

こりゃ単なるデモだったのかと思い始めた矢先のことであった。

先ず、自キャラの首が翔んだ

油断していた、あっという間の出来事だった。

このゲームでは自キャラが死ぬと暫く幽体離脱状態になるのだが、己の死体に首がないことを発見した時はなんとも言いようのない絶望的な気持ちになった。

・・・お、俺の首は何処だあ~!ひ、ひょっとしてここに転がっているのが・・・(ここで暗転)

同じ殺られるのでも首チョンパは悲しく寂しく、そしてとても屈辱的なのである(リロード後の報復ではその屈辱に対する怒りのため本気で熱くなってしまった)。まさに、ロールプレイング、この疑似体験には実体験では決して味わうことのない心の底(闇)に直接届くような衝撃があった。

これは18禁で正解である。

そしてこの体験の後暫くして自らもスキルアップによって相手の首をチョンパ出来るようになったのだ(ある程度のコツは必要)。

が、

これがこのゲームのよく出来ていると思うところなのだが、どんなに憎々しげで手強い相手の時でも、首チョンパでは一撃で決まったという爽快感が薄いのだ。

それは、首が飛ぶその瞬間、相手の目と目線が合うような演出が入るからなのである。相手の目に浮かぶ「絶望」が伝わってきちゃうのだ。心の闇の部分では「この糞虫、ざまぁ」的な快哉を挙げるのだが、理性の部分で「哀れ」を感じてしまうのである。

そう人の心は複雑なのだ。ひょとしたら、そう感じるのも自らが一度その絶望(首チョンパ)を味わっているからなのかもしれない。

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2012年3月 2日 (金)

不定期・カジート(猫族)でゆく「スカイリム」:狂ってやがる、主にシセロ。

上は神様から下は物乞いまで、まぁ、この世界には狂人が多いこと、多いこと。

いい具合にネジが外れているぐらいなら愛嬌で済ませられるのだが、あまりに常軌を逸してぶっ飛びすぎていて近くにいるとこちらまで狂気に侵されそうになる強力な登場人物が二人いる。

一人は、この世界での悪魔的な立場といえる神族デイドラの王子シェオゴラス様。この方の言動には、見え隠れする知性と教養がとびっきりの狂気で撹拌されて脳内カオス状態のため、先が読めない故の「お楽しみ」と「恐ろしさ」が同居しているのだ(ちなみに前作OblivionのDLC「Shivering Isles」はこのシェオゴラス様が統治する王国が舞台)。

つまり、とても魅力的なキャラクターなのである。

そして、もう一人が・・・

本物の狂人にして凶人、シセロなのである。

20120103233819 「闇の一党」エピソードの中では同情すべき部分もあるし狂気に蝕まれたのは環境のせいかなと哀れに思ったこともあり「殺さず」にしたのだが、後に再会した瞬間、イラッときた、「殺っておけば」と後悔した。

その後、供として連れ歩いているのだが、これがもうね、うるさい、本当にうるさい。「この糞虫!」等、緊張場面で笑かしてくれるのはまぁ良いのだが、長時間背後にべったりついて耳元で意味不明の狂気を呟かれていると、こっちの精神状態がおかしくなりそうだ。

そして、「殺し」が実に楽しそうなのである。容赦無いのである。ロードする度に、最初の台詞が「誰か殺そうよ」なのである。

あれやこれやで道中何度も殺意を覚える瞬間があるのだが、特に後ろから押してくるのだけは勘弁して欲しい。隠密状態で弓で狙いを定め発射という瞬間、後ろからズルッと押され的外し、ならばもう一射と構えている内にシセロ一人で敵陣に「この糞虫!」「死人のような顔をしてるね!」等と叫びながら突っ込んでいちゃってるし(射った矢がシセロに当たることも多し)、ならばこちらも剣でと用意している間に敵は全員死亡。あれ難易度Hardのはずなのに・・・

そう強いのだよ、シセロは。特に「即死」の確率10%の某カミソリ(ダガー?)を装備させているせいもあるのだが、大抵一撃で相手がお陀仏なのだ。どう見ても確率10%とは思えない。鍛冶で「伝説」まで鍛えちゃってるせいもあるのかな。

それで、この後ろからの押しでエライ目にあったのが、高い高い所から無事に飛び降りるという某イベント。まずはセーブする前に障害物を確かめようと、身を乗り出して下を覗いた瞬間、シセロめ、押しやがった

ええ、もちろん即死である。

おまけにそれまで長い間セーブしていなかったのでその場にたどり着くまでの強敵フォースウォーンとの激戦もやり直しである。

その後、再びその飛び込み場所に戻った時、シセロに先に翔んでもらったのは言うまでもない(シャウトでね)。

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2012年2月22日 (水)

不定期・カジート(猫族)でゆく「スカイリム」:「猫の日」記念

2月22日は「にゃん」「にゃん」「にゃん」と「猫の日」ということなので・・・

某大学構内でカルジョと記念写真Rimg4322

Pixivから転載http://bit.ly/At5HZy25278281_m

ところで、某所での中ボス戦終了後、例のシャウトで両手武器を剥がされていたカルジョさん、手持ち無沙汰だったのだろうか、いきなり踊りだしたのには吃驚した。それもあろうことか知る人ぞ知る「シセロダンス」!我が目を疑ったね。

これはバグなのか、それとも「ご褒美」的な仕様なのだろうか。

もう一度遭遇したいなぁ。

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2012年2月 6日 (月)

続・カジート(猫族)でゆく「スカイリム」:  君はカジート本「アジル・トラジジャゼリ」を読んだかね?

そんな本があるらしい、ということはかなり前から知ってはいた。だから、全てのそれらしい本は目を通していたのだが、なかなか巡り会えないでいたのだ。

それがやっと見つけられた!

こりゃ、カジート好きには堪らんぞ。

こいつらの世界観はまさに「猫」そのもの、人の考える「社会」と「常識」とは全く異質なのだ。

自ら発見し読む喜びを求める方は以下を読まないように、一応警告しておきます。

オブリビオン図書館http://bit.ly/zGYqBqから転載。

アジル・トラジジャゼリ(Ahzirr Traajijazeri)
著者不明

 この本は、くだらない本である。しかし、よく言われることだが、カジートらしさを感じさせるすべてのものと同じように、“gzalzi vaberzarita maaszi”、すなわち、「くだらないものが不可欠となった」のである。私が言うべきことのほとんどはこれまで文字にされてこなかったものである。よしんば文字にされていたとしても、誰も読めなかっただろう。帝都の民は後世のためにすべてを書き残しておくべきだと感じているが、エルスウェーアで生まれるカジートの子猫はみずからの歴史を知っている。母親のお乳といっしょに飲み込むのだ。

 だが、ごく最近になって、貪欲なレヤウィーン伯爵の手から祖国を奪い返さんとするわれらの闘争が、われらの立場に同情的な人々を引きつけるようになってきた。その中には帝都の民もいて、われらの運動に加わりたいと切に願っているものの、どうやらわれらの流儀がわかっていないらしい。もちろん、われらの敵もわれらのことをわかっていないが、それはわれらの武器としてしまっておきたいところだ。しかしながら、カジートでないわれらの友人は、われらがどういう存在で、どうしてこうなって、どんなことをしているのか知っておくべきだろう。

 カジートの心は内省するように設計されていない。われらは単純にやりたいことをやるし、世界がどうなろうと知ったこっちゃない。われらが哲学を言葉で伝えたり理論立てて説明したりするのはなじみのないことであり、この本を読んだところでわれらのことがわかるようになるとは保証できない。“Q'zi no vano thzina ualizz.”、すなわち「矛盾を述べるとき、私は真実を語っている」という単純な真理をしっかりと理解していただきたい。

 われらは、レンリジュラ・クリンである。「傭兵のニヤケ顔」、「土地ナシ小僧の笑顔」、「微笑むクズ」、どれもこれも妥当な翻訳であろう。軽蔑的な表現だが、面白いのでそのまま取り入れた。

 われらは心では怒るが、顔では怒らない。エルスウェーアのために戦うが、われらの土地の象徴である“たてがみ”と手を組むことはない。正義を信じるが掟には従わない。

“Q'zi no vano thzina ualizz.”

 これは掟ではない。タ・アグラには「掟」という言葉がないのだ。われらの“thjizzrini”すなわち、「浅はかな考え」とでも呼んでいただきたい。

その一

“Vaba Do'Shurh'do”

すなわち、「勇ましいことはいいことだ」

  われらはタムリエルの帝都そのものを敵にまわして無謀な戦いを挑んでいる。われらの大義は何よりも気高い「祖国防衛」である。しくじれば、われらは過去も未来も裏切ることになる。われらの死者は“Ri'sallidad”、たいそう誤用が多いその言葉の意味をできるだけ正確に翻訳すると、“殉教者”である。われらは犠牲を尊び、笑顔の下では死者を深く悼んでいる。

 われらの勇敢さは、われらの名にも含まれる「クリン」という笑顔に凝縮される。といっても、ヴァレンウッドのおつむの弱そうなサル顔のイムガのように、いつもにやにやしながら歩いているというわけではない。単純に、敵に楽しませていただいているのである。われらは公明正大な戦いなど退屈の極地だと考える。最後に勝つことがわかっているからこそ、われらは自信たっぷりに笑う。それから、われらの笑顔が敵の感情を逆なですることも知っている。

その二

“Vaba Maaszi Lhajiito”

すなわち、「逃げることも必要」

 われらはタムリエルの帝都そのものを敵にまわして無謀な戦いを挑んでいる。名誉とは乱心である。もちろん、われわれは帝都軍との戦いで勇気ある死を遂げたレンリヤラクリンを愛していたが、こうしたリ・サリダッドはみんな使いこなせなかった脱出路を持っていて、「くそ」とつぶやいて死んでいったと自信を持って言うことができる。

 偉大なるセンシェ・ラートがサイミシル・ステップにやってくると、狩もできなければ眠りにもつけないことに気づくだろう。ちびのアルフィクが背中でぴょんぴょん飛び跳ね、咬みついてきて、センシェ・ラートがその立派な体でアルフィクと対峙しようと振り向いたとたんにすっ飛んで逃げてしまうからだ。しまいには、なんとしてもアルフィクを捕まえてやると息巻きながらも、センシェ・ラートのほうから去っていくのである。アルフィクはわれらの遠類で、レヤウィーンの巨大虎との対決では彼らの戦術を採択させていただいた。

 撤退は汚辱だと考えるたくましい軍隊の一員になって決然と行進することに心底あこがれているなら、レンリジとは手を組まないほうがいい。われらは川辺のアシの草むらにすべり込み、避けられない殺りくを眺めながら、そうした自殺行為のような浅はかさを大笑いするだろうから。

その三

“Fusozay Var Var”

すなわち、「人生を楽しむ」

 人生は短い。近頃愛し合っていないという読者は、どうかこの本を置いて、早急にやっちゃっていただきたい。浮気娘でもやんちゃ坊主でもとっつかまえるといい。一人と言わず何人でも、あなたの賢明なる下腹部が望むようにやればいい。それから、いかなる状況においても、もったいつけたりしないように。軍隊とわれらの戦いは後回しにしたっていい。

 よろしい。楽しんできたかな?

 われらレンリジュラ・クリンはともに生き、ともに戦う。レヤウィーンや帝都がすぐに、少なくともわれらが生きているうちに、折れるつもりはないことも知っている。与えられた時間においては、われらはもっとも近しい仲間がむっつりと、ぼんやりと、げっそりと、かっちりと、そしてバージンのまま生きていくのを見たくはない。そういうものが見たければ、帝都のブレイドにでも加わっていただろう。

 われらのわいせつな冗談やべろんべろんに酔っ払った夜やムーンシュガーを、どうか嫌悪しないでいただきたい。これらはレヤウィーンがわれらに与えない喜び。だからこそ、われらは陽気さをこれっぽっちもないがしろにしない。

その四

“Fusozay Var Dar”

すなわち、「迷わず殺せ」

 人生は短い。ことのほか短い。レンリジュラ・クリンを欺いたことのあるものなら身に染みてわかっていようが。

 われらは卑怯に戦う。敵と対峙すれば打算し、相手の剣が大きすぎるとみたらとんずらする。が、敵が背を向けていたら、私的見解では、ぶっ倒しておきたいところだ。それからそいつの首に飛びかかってへし折る。ぽきんという音がまた楽しい。もちろん、そうするもしないもあなたの勝手だし、こだわりのスタイルだってあるだろう。

その五

“Ahzirr Durrarriss”

すなわち、「なんでも民に与えよ」

 われらの目的を忘れないでほしい。われらは家族のために戦っている。太古より先祖の土地であった豊穣で肥沃なマカピ湖やマラピ川の沿岸地域から追いやられたカジートのために。われらの戦いはやつらの悲劇。やつらに思い知らせてやらねばなるまい。われらが戦っているのはやつらではないということを、ゆめゆめ忘れさせないように。

 「たてがみ」も皇帝も伯爵も演説をぶちあげ、法を定め、公人として暮らしながら、避けられない革命を食い止めようと民にみずからの見解や哲学を説いて聞かせる。われらレンリジュラ・クリンのような法のしがらみのない組織では、行動をもって意見とせねばなるまい。激しく戦い、もうろくした敵どもをあざ笑っていればそれでいいというわけではない。その意味するところは、民と対話して味方に引き入れることである。われらは武力ではなく政治力で戦う。民が蜂起すれば敵はすごすごと引き下がるだろう。すなわち、われらの勝利である。

 民になんでも分け与えるがいい。ゴールド、ムーンシュガー、それから強力な武器も。どこに隠れていようとも、彼らの心はわれらとともにあることだろう。

その六

Ahzirr Traajijazeri

すなわち、「われらはまさしく力で奪う

 われらの目的を忘れないでほしい。われらは泥棒で悪党、密売人で破壊人なのだ。農場を奪えないなら、燃やしつくすまで。われらの祖先が愛した輝ける古代の砦から帝都兵が動こうとしなければ、砦をぶち壊すまで。レヤウィーン伯爵の背任から土地を救うたったひとつの方法が人の住めない土地にしてしまうことだったら、そうするまで。

 われらはわれらの暮らしと故郷を取り戻したい。ちょうど二十年前のような時代を。が、それが現実的でないなら、もっと単純かつ実利的な目標に切り替えるまで。復讐するのだ。笑顔をひとつ添えて

カルジョが瀕死の敵をじっくり眺めたあと無慈悲な止めを刺す場面をよく見るのだが、きっとあの時「笑顔をひとつ添えて」いるのだろうな。

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