カテゴリー「ちりとてちん」の146件の記事

2010年3月 1日 (月)

「ちりとてちん」 BShiで4月から再放送決定

前から噂はあったけど、正式に決定したようだ。

4月4日(日)深夜1:10~2:40から、毎週6話(1週間分)づつの放送になる。

非常に魅力的なドラマで、朝ドラにこれほどはまり込んだのは後にも先にも「ちりとてちん」だけだ。DVD-BOXを本気で購入しようかと思っていたぐらいだ。かなり深夜の放送ではあるがハイビジョン対応機器を揃えたのは放送終了後であったのでBShiでの放送は正直うれしい。

ここも当初は「ちりとて」ブログだったのだよ。 http://waretadataruwosiru.txt-nifty.com/blog/cat7961402/index.html

2007年秋から何の考えもなく始めたこのブログであるが、案の定すぐにネタ切れになって行き詰まり、「もう止めた」と逃げだそうとしていた時にこのドラマに出会った。毎回の放送について短くても長くても肩肘張らず素直な感想を必ず書くことで、文章を書くことへの気負いのようなものが消えた。おかげで飽きもせずだらだらと今日まで続けることが出来たのだ。

それにしても、貫地谷しほりは良いねぇ。

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2008年8月10日 (日)

ちりとてちん外伝 まいご三兄弟

ほとんどが2つの部屋のやりとりで、舞台上のセットが目に浮かぶような演劇的なワン・シチエーション・ドラマだった(低予算、短期間という事もあったのだろうが)。「ちりとてちん」らしく落語(「宿屋の仇討ち」)がベースになっているとはいえ、二転三転する「嘘」の構成は見事なもので、登場人物の設定を変えてオリジナルとして構成しても十分通用する脚本だと思う。

とはいえ、「ちりとてちん」、徒然亭一門つまり三兄弟の人気があってこそのスピンオフであるわけで、そのあたりのサービスも抜かりはないのが藤本クオリティ。四草を中心とした場面構成はお好きな方には堪らない物があったのではないか。もっとも比較的長い芝居が求められる中で演技的に一番安定しているのが彼という事もあるのだけど。

ほんの少しの出演だったが草々役の青木が役者として存在感が増していたのが嬉しい。育ち盛りの役者を見るのは楽しいよな。

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2008年5月 6日 (火)

ちりとてちん 総集編

パブロフの犬?

もうね、なんでもない場面でも泣けてくるのだ。A_1920 

あまり期待はしていなかった。

半年間(151週)約38時間に及ぶ内容を3時間20分に集約するのだもの、無理があると思うのは普通だろう。しかも周到にたくさんの伏線が用意されているこの作品に無駄なシーンはほとんどない。何かのエピソードを取り上げれば、そこから派生する全ての展開を収録しなくてはならなくなってしまう。どうやっても、ファンには物足りなく、初見者には分かり難く、という中途半端な内容になってしまうと思っていた。

ところが、このドラマで最も重要であろう第一週のエピソードをしっかり描き、そこから直接リンクする部分以外バッサリ切り捨てるという潔い編集が功を奏した。「起承転結」の「起」と「結」さえしっかり押さえれば物語は大きな破綻はしない。第一週と最終週の演出家である伊勢田が編集を担当した意味が良く分かる。タイトルバックで暗示される「母と娘」の物語に焦点を絞った展開が却ってこの作品本来の主題を明確にしたようだ。それは主人公喜代美を中心とした出会いと成長の物語だ、これはつまり朝ドラの王道なのだ。その意味では初見の人には分かり易かっただろうし、思い出の名場面集的なものにならなくて良かったと思う。

がしかし、初見の人にはこの作品が他の朝ドラと一線を画する最大の魅力「個性的登場人物たちの織りなす群像劇的側面」はほとんど伝わらなかったかもしれないな。これで観た気になっていると人生一つ損をしているかも。

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2008年3月29日 (土)

ちりとてちん 最終回

「落語家」若狭から、「娘」であり「おかみさん」である喜代美に戻り、そして最後は「母」の笑顔で終わった。B_1920a

本当に面白かった、楽しかった。

良い企画、良い脚本、良い役者、良い演出・・・当たり前のことだが、映画もドラマもそうじゃない作品が多すぎる。役者の名前や原作の人気に頼り、メディアの宣伝至上主義が横行する、作品本来の質の高さで人を惹き付けようとする姿勢はほとんどない。

役者の好き嫌い、原作の再現性への拘り、そして観る前から刷り込まれる「泣き」や「笑い」を確認する為だけに観るわけではない者は、良い作品を出会うために苦労するのだ。

それでも映画なら多様な情報を参考にしてこちらから選んで観ることが出来るが、テレビ・ドラマではそうはいかない、とりあえず観てみるしかないのだ。矛盾しているが、結局、役者や原作、宣伝で興味をもつしかないのだ。そして数多くの「ハズレ」を引き、時間を無駄にする(期待が大きすぎるほどハズレが多いのだ)。だから、たまに数少ない「当たり」を引いた時の嬉しさは格別だ。

「ちりとてちん」も最初は貫地谷しほりに対する興味だけだった。同じ動機で観た「風林火山」が当たりだったので、ひょっとしたらと観始めたわけだが、正直それほど期待はしていなかった。

そしてこれがどんなに「大当たり」だったかは、このブログの連載を読んでいただければ分かってもらえると思う。「物語」の質が高ければ「人」を惹きつける、単純だけど実は一番難しい課題に挑戦して素晴らしい結果を出したスタッフやキャストに感謝したい。

ありがとう。

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2008年3月28日 (金)

ちりとてちん 第150回

終わりが始まりFri_1_s

「お母ちゃんみたいになりたい」か・・・

今となれば、第一週の内容がこの作品全体のテーマを内包していたことが良くわかる。

印象的な場面、セリフ、小道具の小物に至るまで、その後半年続くドラマ全体に大なり小なり影響を与えていく。

その基盤と言うか設計図と言うか、それを基にしたエピソードの絶妙な配置具合、長いドラマを見事な構成力で魅せてくれている。

それにしても、若狭の「愛宕山」はもちろん、一門の落語を何時かじっくり聞いてみたいなぁ。

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2008年3月27日 (木)

ちりとてちん 第149回

無くてはならない名脇役Thu_2_s

「(人の為に)毎日続けるということは、それだけでスゴイこと」、熊五郎がいいこと言った。

「(箸のように)無くなって初めてわかる『ありがたさ』」、糸子がいいこと言った。

「人にライトを当てるのも素敵な仕事」、順子がいいこと言った。

ああ、そうなんだ、このドラマは「主役」の活躍を描くわけではないのだ。人はそれぞれの人生の「主役」ではあるけれど、人との関わりにおいては「脇役」であることも大事なのだ。一人一人が名脇役であることが、一人一人の人生を輝かせるのだ。

たとえがナンだが、良質の素材を集めて煮込んだ鍋は、それぞれの食材が良いダシを出しスープを豊饒な味わいにするが、食材もそのスープを吸収することで旨味が増す。メインの食材でさえ例外ではない。

仕込みから半年間、火加減に気をつけてじっくり煮込んだ「ちりとてちん」という作品の目指すところは、良質のスープでだけではなく多様な食材の旨さを知って欲しいということだろう。

しかし、残ったスープはどうするのか、ご飯でおじや?うどん?

いいこと書こうとして、少し破綻してきた(腹が減ってきた)。

癖はあるけど良い食材、一緒に頂くと更にオイシイThu_3_s

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2008年3月26日 (水)

ちりとてちん 第148回

「小次郎」の遺伝子080324chiri_26wed

親族が集まり昔話をすると、必ず話題に上る「小次郎」タイプの人物がいる。

若い者が遊び事や芸事に現を抜かしていると、「隔世遺伝」とか「この子に『血』が現れたか」とか言われたりする世代を超えた「人気者」、顔も見たことのない過去の親戚なのに、綿々と語り継がれる「ろくでなし」だ。

それは悪意を込めた全否定ということではなく、「しょうがねぇなぁ」と苦笑しつつも存在を肯定しているような語り継がれ方だ(同時代の親族には大迷惑だったろうが)。

近年までの家長を中心の保守的な家族制度の中で、家系の中に時折現れる「ろくでなし」はガス抜きというか役には立たないが在る意味は持つジョーカー的な存在だったのかもしれない(身近な反面教師としては役に立つ)。

私の母方の家系にも過去にとんでもない「ろくでなし」がいたそうだ。母や親戚が彼らの話を語る口調は楽しげだった記憶がある、普通に人生を真面目に生きている我々にも自分の好きなように破天荒に生きることを望んだ「血」が流れていることを決して悪くは思っていなかったからだろう。

NHKとか朝のドラマとかいろいろ制約のある中であっても小次郎の存在は特別だ。これで最後までヒモ生活で定職につかず宝くじ(博打人生の象徴)を買い続けていたら・・・

彼は、和田家のみならず我々によっても語り継がれるだろう。

順子、最後の大予言Wed_2_s

積んだ経験が、過去と違った結果をもたらす。きっと新しいものが見えてくる。

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2008年3月25日 (火)

ちりとてちん 第147回

母と娘の物 080324chiri_26tue

「母と娘の物語」から始まったこのドラマは最終的にも「母と娘の物語」に帰結しそうな予感のする流れだった。

もちろん実際に生まれてくる子が女子とは限らないのだが、糸子と喜代美親子の絆が大きなテーマの一つであったことは間違いないだろう。そういえば、タイトルバックの2羽の鳥の描かれ方も暗示的だ。

ひぐらし亭初日の準備も段取り良く進み、それは同時にこのドラマが終わりを迎える事でもあるわけで、いつも通り面白いのではあるが、ちと複雑な気持ちではある。

落語三国志と言うよりも、落語三馬鹿だな(誉めてます)。Tue_1_s

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2008年3月24日 (月)

ちりとてちん 第146回

ひぐらしか・・・080324chiri_26mon

このドラマの中では、師匠の亡くなった時のエピソードのせいもあって「ひぐらし」というと「何かの終わり」というイメージがあるが、実のところ徒然亭の紋にもなっている「ひぐらし」は違う意味だ。

『徒然なるままに日暮らし硯にむかひて...』という徒然草の冒頭での意味は「一日中」、転じて「日常的」「いつでも」といった意味合いでの徒然亭であり、常打ち小屋の名ということだろう、その象徴〈シンボル〉としての夏虫の「ひぐらし」なのだ。

しかし、若狭の顔には前者の意味にも取れる憂いが浮かんでいた。彼女が感じる「終わり」の予感は何なのだろうか。

とかく男というものはMon_1_s

だいたいそんなものです。

たとえばRPGのゲームで名をつける時もその傾向は強いかもしれない。

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2008年3月23日 (日)

ちりとてちん 第145回

師匠に見守られて落語がしたいSat_3_s

あまり言うことはないなあ、本当にお見事としか感想が出てこない。

草若師匠のの「愛宕山」、ここにきて後半の部分が初登場、しかもこれ以上はないという効果的な使い方、多彩な登場人物たちが無理なく集合して、それぞれの見せ場で盛り上げる、かなり速いテンポで進むのに満足度も感動も深い。

くどい演出で感動の押し売りみたいなドラマや映画に食傷気味だった私にとって奇跡としか言えないドラマだ。

言うことない割には結構語ってますが・・・

出来たやないか、誰もが気軽に入れて、噺家が腕競う常打ち小屋が」、鞍馬会長は最初から草若師匠の目的も気持ちも分かっていた。だから、ただ故人の遺志だからという安易な理由で取り組んでほしくなかったのだろう。遠回りはしたが、徒然亭一門、いや上方落語全体にとっての常打ち小屋の必要性に気づき、小草若はじめ一門全員の総意として取り組んでくれたことに大きな満足を得たに違いない。ま、食えないオヤジではあるが。

清海にとっての塗箸、その完成は一つの区切りにはなるが、終わりにはならない。落語が人に聞いてもらうことで成り立つように、箸も人の手に使われてこそ意味がある。過去を綺麗な模様に変えた清海の本当の再スタートはこれからだ。Sat_1_s

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