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2015年8月15日 (土)

ジュラシック・ワールド(続き)

テーマパークの宿命として、物珍しさやワクワク感が通用するのは最初だけということがある。新味を保ち続けるには「見せ方」を工夫するか新たな「刺激」を導入していかなくてはならない。

というような事を登場人物のひとり、パークの運営責任者クレアが言っていたが、これはこの「ジュラシック・パーク」シリーズそのものの問題でもあるのだ。

「パーク」という基本設定内では全てやり尽くした感があったシリーズ過去三作(後半は尻すぼみ的ではあったが)、

では4作目をどう作るのか?(以下妄想補填部分多し)

先ず誰でも考えつくのは人間社会(市街地等)を舞台にした恐竜ものである。だがこれは恐竜が「生身」である限り一般的な銃火器(パーク内では制限がかかる)によってあっさり決着が付いてしまう。「Ⅱ」での見せ方が限界である。

マグロ食いゴジラの轍を踏んではいけない。

それなら恐竜を(人間の遺伝子と組み合わせて)兵士化してしまえ、装甲も付けられるし銃火器も使用できるぞ、というのが2004年時点での企画だったらしい。だがそれって、有りがちだし、そもそも「生身」だからこその「ジュラシック」でしょ。と言うことでたちまち頓挫するのであった。

そして、2013年に制作が開始された今作「ジュラシック・ワールド」が選んだコンセプトは原点回帰(1作目「ジュラシック・パーク」'93)であった。

20年後という期間が絶妙である。何故ならスピルーバーグが採用した監督コリン・トレヴォロウは1976年生まれ、1作目をリアルタイムでワクワクしながら劇場で鑑賞してきた世代なのだから。そうこのシリーズの魅力がよ~く判っているのだ。

思えば1作目は登場人物も制作側も観客もほとんど全員が恐竜好きという環境の上に創りあげられた「テーマパーク」であった。悪かろうはずがない。しかも喜ばす対象は「大人」である。優先されるのは恐竜の「芸」ではなく「本能」であり「暴力」であった。

今作で象徴的なのは、恐竜をアトラクション的に楽しむビジター達の姿だ。ほとんどが家族連れや女性グループである。まるでネズミの国のようだ。そして彼等彼女たちは更なる「刺激」(しかも安全なはずの)を求めるのである。

・・・・・

えー、やっぱり観返したくなってきた。ラプトルたちの名前ごとの個体差をしっかりと確認したいしね。

ということで、続く(多分)。

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