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2009年8月16日 (日)

こんな映画を観てきた        「キャデラック・レコード」

ポピュラー音楽史上、最も重要なレーベルの一つであるチェス・レコードの盛衰を描いた作品。と言っても残念ながらここ日本では登場するブルースマン達の名を一人でも知っている人々の数は微々たるものだろう。これだけ情報が溢れ受け手側の選択肢は無限にあるように思えても肝心なモノは何も届いていない。メディアが最優先するのは「金になる」情報だけだ。みんなと同じもしくは仲間と同じが重要視され、個性さえも気がつけば画一化されている。社会に対峙することを恐れ、自分だけの生温かい世界を築き守ることだけに精を出す。リスクを伴う外の世界の情報は興味もないし探す気も調べる気もない。

「誰それ?」「しらね」「関係ねぇ」、だもんな。

世の中はべたべた甘えた不気味なほど物分かりの良い人間関係を求め賛美する映画や音楽ばかり。社会や現実の厳しさ人間関係の曖昧さや儚さに本当は気が付いているはずなのに「痛い」のは嫌いで立ち向かう勇気もない。まぁ。確かに生温かい虚構世界に逃げ込めば(その時だけは)楽かもしれないがね。

もうそろそろ自分たちがどん詰まりにいることを認識しなくちゃどうにもならなくなるぞ。

そこで、ブルースの出番ですよ。

長い前置きだが自分でも何が言いたいかよく分らん。ま、「ブルースは不条理」だということで御容赦。

この映画の製作総指揮(つまり金を出しているということ)がビヨンセ自身と言うところが興味深い。映画会社(ソニー)としては「ドリーム・ガールズ」よろしくビヨンセ演じるエタ・ジェイムスに焦点を絞ったメロ・ドラマティックな音楽映画を望んだであろうことは想像に難くない。あくまでも主役は「ブルース」とする製作側との軋轢はあったと思う。映画の後半になってからの予想よりもはるかに少ない出演場面、流れ的には唐突な印象も与える楽曲フル歌唱場面、等、ぎりぎりの妥協案としてビヨンセの(現役スターとしての)セールス・ポイントを盛り込んだのだろう。その結果、後半は話が錯綜し焦点がぼけてしまった感もあった。しかし、ビヨンセの知名度があったからこその「ブルースが主役」のメジャー映画が作れたわけで、むしろ、彼女のルーツ・ミュージックに対するリスペクトの姿勢に敬意を表するべきだろう。

登場人物でもっとも印象に残ったのはイーモン・ウォーカー演じるハウリン・ウルフだ。その男気溢れるキャラにしびれた。よく勘違いしている奴がいるが、ブルースってのは渋いんじゃなくってカッコ良かったんだよ。

マディ達がヨーロッパ公演に旅立つ映画のラストが、DVD「The AMERICAN FOLK BLUES FESTIVAL1962-1966」に繋がっていくのにも感激したな。さっそく家に帰ってから「VOL.1」を鑑賞してしまった。元祖マディの如何わしさ厭らしさはやはり別格。

ウルフはもちろんだがヒューバート・サムリンのギターが素晴らしい。

もう一曲、映画でも歌われた曲

オリジナルEPも「音」が最高。

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