« ギター 番外編 愛すべきギタリスト | トップページ | 花見 »

2009年4月 1日 (水)

国宝 阿修羅展

003_2

普段はほとんど正面からしか見ることのできない八部衆像や十大弟子像の立体造形物としての魅力を十分に味わえる展示方式は、これら作品の美術品としての価値の高さを再確認させてくれる。特に、効果的な照明で暗がりの中に凛と立つ阿修羅像には長い年月の流れを感じさせない普遍的で崇高な美しさを感じることができた。

それでも、わたしはこれからも興福寺まで阿修羅像にお会いしに行くことだろう。ただそこに古び色褪せた骨董として置かれている物体が、見る者向き合う者の価値観や内面によって多様な姿を現してくれるからだ。

もともと異教の荒ぶる神であった阿修羅の仏教界における微妙な立ち位置(二面性)そして宗教的な威圧感や包容力とは程遠い華奢な身体と憂いのある表情は同時代や後世の仏像に比べると見る者の自由な想像力を刺激するし強いシンパシーを覚えさせてくれる。むしろそれは社会的にも文化的にも多様化した近代や現代の方がより強いのかもしれない。人生のどこかで「阿修羅」を意識する時は誰にでもあるだろうし、小説や詩、戯曲や映画など創作のテーマやモチーフの一部に数多く登場する「阿修羅」のイメージにこの阿修羅像が強く影響していることは間違いないと思う。

逆に、その威圧感が圧倒的だったのは中金堂の薬王・薬上菩薩立像、四天王像だ。特に四天王像は鎌倉時代の仏像特有の身体の躍動感や見上げられる事を意識した造形表現が圧倒的で痺れた。配置構成も「絵」になることを意識した良い仕事ぶりで感心感心。このコーナーだけでも来て良かったと思わせてくれた。

ところで、四天王に必ず踏まれている邪鬼が良いよね。皆、良い踏まれっぷりで最高だ。邪鬼は主役の四天王に比べれば約束事が少なそうで仏師の想像力を発揮しやすいのだろうかユニークで楽しい造形が多くて好きだ。今回展示されなかったのは残念だったけれど実は天灯鬼・竜灯鬼も大好きなのだ。6 7

|

« ギター 番外編 愛すべきギタリスト | トップページ | 花見 »

文化・芸術」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/222843/44541328

この記事へのトラックバック一覧です: 国宝 阿修羅展:

« ギター 番外編 愛すべきギタリスト | トップページ | 花見 »