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2008年12月 1日 (月)

楽しい音楽生活 15          capsule、近所のTSUTAYAのジャンル分けについて

ラウンジ系と言われていた頃のアルバム「FRUITS CLiPPER 」を聴いた事はある。ボサノヴァっぽいテイストやハウスやテクノなど、まさにクラブ・ミュージックのショーケースといった内容で、ジャケットにメンバー写真は無いし、女性ヴォーカルが活かされている曲もあれば存在感の薄い曲もあるし、当初は多数のミュージシャンによるユニットかと思っていた。そのアルバムは借り物のCDだったので深く聴き込むことは無かったのだが、しばらくして中田ヤスタカの名をよく見かけるようになり、capsuleのサウンドが彼一人のPC上の打ち込みによって作られていること知り再び興味を持つようになった。

もちろん以前から一人ですべてを作り出すアーティストはいたが、、その場合、個人的な音楽的嗜好性が色濃くなり閉じた方向性を深化させるものになりがちだった(奇跡的に商業性に結びつく場合もあったが)。中田も多種多様な音楽に興味を持ち分析し素材として活用しているのだが、そこには余計な思い入れや拘りはない。それらは自身が思い描くパズルのピースのようなもので、ぴったりと嵌るように加工し変形させることに何の躊躇もない(ヴォーカルでさえそうだ)。結果として出来あがったモノは表面つるつるのフラットなもので、「引っ掛かる」要素は何もない、(実用性という意味での)心地よさやビート感があるだけだ。否定的な意見を持つ者もいるかもしれないが、それが中田一人によって確信をもって作られている限り、第三者の(古い概念による)批評や批判は無意味だ。

が、やはり生身の人間のヴォイスやパフォーマンスの力は偉大なのだ。

MORE! MORE! MORE!512bvojlrmfl__ss400_ capsule

Perfumeの成功はもちろんだがcapsuleこしじまとしこの存在も中田ヤスタカに予期せぬ逆影響を与えているのではないか。出来るだけフラットに仕上げたつもりが、何度も繰り返し再生しているうちにぼんやりと人の形が浮き上がってきてしまう。それが人間臭くならない程度(ロボットやアンドロイドみたい?)の存在感ならば、却って曲の「魅力」を強くする。

今作ではジャケに登場するのがこしじまとしこ一人だけということが象徴的なように、意識的に彼女の存在を前面に出しているように思える。それに伴って、彼女のヴォーカルに対比するサウンドもある種ロック的な構成の曲が多くなり歪み感も強くなった。

それぞれのピースがイビツだったり、角がギザギザだったりと完成品としてすべてがピタリとフラットに嵌りきらない、スキマさえある。それが今までにない魅力を生み出しているように思う。

実はこのアルバム、当初iPodで聴いているときはいまいちの印象だったのだが、家で大きめの音量で聴き始めてからヘヴィーローテーション化した。この種のズーズーべーベーな低音シンセはデカイ音で聴くに限る。

ところで、近所のTSUTAYAでcapsuleの他のアルバムを借りようとしたら、なかなか見つけられない。まさか置いていないことはあるまいと必死で探したら・・・在ったわ、「ラウンジ」コーナーに。どうなのよ、これ。新たに興味を持ったユーザーがどこのコーナーで探すか、考えたことあるのかね。チェーン店の現場はマニュアル以外の事は思考停止ですか?おまけにPerfumeまで同じコーナーに在ったりして、これはちょっとでも今の音楽知っていればおかしいと思うのが普通だろ。

ついでだから、これも書いておこう。あの恥ずかしい中途半端なDJ入りの店内放送は再考して欲しい。普通にインフォメーションだけで良い。

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