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2008年11月

2008年11月29日 (土)

ロックは動いてナンボ 8                 テリー・ボジオのテラドラム

先日のライヴ以降もネットでボジオのドラム関連の動画を浴びるほど見まくった。Missing Persons時代とか珍しいライヴ映像もあったけど、ここでは例の要塞(テラドラム)動画を紹介。

ドラムやパーカッションのソロ演奏ほど興味のない人に良さが理解できないモノはないかもしれない。しかし、少しでもリズムに興味があって基本的な知識があればこれほど楽しめるものはないのだ。この動画の場合、バス・ドラムの強弱をつけた一定のパターン(驚異的安定感)の上でのタムやシンバルなどによるポリリズム的アプローチに注目してもらえば必ずその魅力に気がつくと思う。

テラドラム組み立ての図。

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2008年11月28日 (金)

椎名林檎@さいたまスーパーアリーナ 2008.11.28

23805_1 10代の頃、人は己の頭の中に湧き起こるヴィジョンに翻弄される。それは果たして才能なのか単なる妄想なのか。心身の許容量を超えて暴発する前に何とかコントロールしようと、もがく、苦しむ、のたうち回る。強い心もしくは拠り所によって抑制するか、逃避するか、代用となるものを探すか。それら表現行為の初期衝動を「才能」と信じてに創作活動に突破口を求める者も多いだろう。だが、ほとんどは「妄想」に終わってしまう。「才能」を持つ者はほんの一握りだ。

椎名林檎はそれら「一握り」の中でも突出した才能を持ち合わせていた。初期の林檎の曲のほとんどは20歳のデビュー前に書かれた曲だ。虚実織り交ぜた現代詩のような詞、安易なジャンル分けを拒む多彩な音楽性、ノイジーでロック的刺激に満ちたサウンド、そしてエキセントリックではあるが繊細な表現力も持ち合わせた唯一無比の歌声、「少女」から「女」へという10代の女性の不安定で揺れ動く時期を、「励まし」や「慰め」や「共感」ではなく、もっと彼女たち感情の深い所に共振する普遍的価値をもつ作品に昇華している。

コンサートの客層のほとんどが若い女性たちという事が象徴的だ。女子高の制服姿も多く見かけた。彼女たちの「リンゴ~!」という遠慮がちで儚げな呼びかけにも何か切実なものを感じた。大人の女性も(社会適応力は増したとはいえ)今の自分が10代の頃から地続きで存在することを今更ながら再認識するのかもしれない。

とか言っても、男の自分による勝手な解釈ではあることをお断りしておきます。でも、泣いてる女性も多かったし、ライヴに参加すると言うよりも誠実に音楽を聴こうという雰囲気が大変良かった。林檎自身も初期の曲や言葉をはっきりと届けたい曲では過剰な演出はせずストレートに歌っていたし。

逆に後期の曲や4ビートのジャンプ・ナンバーなどではオーケストラを活用し舞台演出にも凝ったエンターテインメント空間(レヴューのようだった)を作り出していて圧倒された。余計なMCを廃し(あいさつ程度で、メンバー紹介もなし)お色直しのインターミッション以外は連続で歌いっぱなし、改めてプロの凄味を感じさせるステージだった。

以下、垂れ流し。

終演後、ステージ上のモニターにスタッフ・クレジットが流れ、そこに「自作自演 椎名林檎」と出た。

そうか、今日のステージ全てはたった一人の人間の頭の中を再現したものか、10代の頃には持て余したであろうヴィジョンを実現できる存在になったのか、存在になってもこんどは外部にコントロールしなくてはいけないものが増えて大変だったろうな、それにしてもこうやってやってのけてしまうとは、プロデュース能力も半端ないな。

子供がいることはもちろん知っていたが、「母」という存在として林檎を意識した事はなかった・・・いや、直接的ではないが母性的な表現はあったかな。でも、今回のように「母親」椎名林檎をはっきりとお披露目したのは初めてではないか(もう小学生になるのか。この二世は将来楽しみだ)。母親であることが、この後彼女の音楽にさらなる変化をもたらすのか。

全ての曲はアルバムに収められたヴァージョンに近い形に再現されたていたのだが、なかでも『ギブス』から『闇に咲く雨』への流れを完璧に再現してくれたのには感動した。『正しい街』『罪と罰』『』・・・キリがないのでお終い。

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2008年11月27日 (木)

テリー・ボジオ@六本木STB319 2008.11.27

テリー・ボジオ(ds)、パット・マステロット(ds)、トニー・レビン(b、stick)、アラン・ホールズワース(g)

演奏の基本はテリー、パット、トニーによる即興演奏。それにアランのソロもしくは彼独特のコード・ボイシングでサウンドにテクスチュアを付けていく展開。ともすれば各々の自己満足的な展開になり観客は置いてきぼりになりがちな集団即興なのだが、トニーとパットの参加がロック的なグルーブ感とメリハリもたらし飽きさせることのないライヴだった。テリーも完全なソロの場合、自らの内面宇宙の探索といった体になるのだが(それはそれで好きだが)、今回はところどころで隠しようもないロック野郎ぶりが溢れだしていて最高だった。

アランはやはり混ざりっけのないソリストなのだなと改めて実感した。彼に求められるのは彼にしかできないソロやコード・ボイシングで、彼自身が曲全体の基本的展開(リズムやリフなどテーマ的なもの)に積極的に関与することほとんどはない。自身がソロをとるべき瞬間を模索し、その瞬間与えられた責任(望まれた結果)を果たす。他のメンバーの(良い意味での)全方位対応型スキルと比べると、その職人的スタンスが際立つライヴでもあった。そう言えば、トニー・ウィリアムスが大好きなテリーにとって、トニーの神プレイが炸裂していた時期のライフタイムに参加していたアランも神同然なのだろうな。目の前でテリーに平伏された時(ホントにorzした)のアランの困惑ぶりが微笑ましかった。

しかし、アラン独特のコード・ボイシングに瞬時に反応したり、リズム面でもボトムを支えるだけでなく彩りまで提供してしまうトニーのスティック・プレイは次元が違った。まさに天才、ベースの王様。彼が復帰したクリムゾンが楽しみになったきた。

おまけ)噂のボジオのドラム・セット(当日の物ではなくネットで拾った画像だけど)。Bozzio01

想像以上のデカさ。要塞とは言い得て妙だ。

演奏中観客から姿が確認できるのはこの部分のみ。東大寺大仏殿正面の観相窓が開いて、大仏さまのお顔を拝んでいる感じ。Terrybozziodsc8623_2

ということで神々の饗宴が堪能できるこれを紹介してお終い。

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2008年11月26日 (水)

新装版「大日本天狗党絵詞」 2             黒田硫黄

519c3ptuml__ss500__3  表紙は、おだてりゃ文字通り増長するZ氏のご尊顔(と比良井) 。

何故に外人なのだ、しかもフランス?そうか、閣下か・・・て、ナポレオンは天狗だったのかよ。

ともあれ、師匠の描く野望は思惑通り達成できるのか。健気に一人で戦うしのぶに幸せな結末は訪れるのか。そして、天狗眷属たちに明日はあるのか。

数々の解せぬ疑問と不穏な予感を含みつつ物語は12月末刊行予定の完結巻第3巻へ続くのであった。

再読で気がついた些細な事

しのぶの逃避場所は北海道無分別市。

成り行きで同棲した相手は黒田硫黄似。

感想詳細は完結巻刊行後に。

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2008年11月25日 (火)

ロックは動いてナンボ 7                       27日のテリー・ボジオが我慢できないので『Black Page』祭り

テリーと言えばザッパ、ザッパとテリーと言えば『Black Page』。ドラムとパーカッションの為のこの難曲は(初演当時のバンドに)テリー・ボジオが在籍してたからこそザッパによって書かれたと言っても間違いないだろう。譜面通りに演奏することなら他のドラマーでも可能だが、超絶なテクニックと伴にロック・ドラマーとしての「華」を持ち合わせていたテリーが演奏したからこそ圧倒的なインパクトがあったのだ。

数年前、ZPZにゲスト参加した時の演奏(冒頭部分はカット)。50代後半とは思えない若々しさとカッコよさ。

Black Page』というタイトルは、譜面がオタマジャクシで真っ黒に見えるというジョークから生まれたそうだ。そんな譜面の冒頭部分を(この人もザッパお気に入りだった)チャド・ワッカーマンと伴にデュオで再現。

おまけです。何気に凄い。ちなみに『Black Page#2』とは原曲本来のビートをディスコ風に強調して、ザッパ言うところの「ティーン・エイジャー」向けに踊れて分かり易くアレンジされたヴァージョンのこと(難度は全く変わりません。しかも踊ろうとすると関節が変な具合になります)。

この曲が初めて収録されたアルバムはこれ。

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2008年11月23日 (日)

「陽炎の辻2 ~居眠り磐音 江戸双紙~」 第12回

磐音と奈緒の切ないシーンにベタなヴォーカル曲(エンド・クレジットで聴く分には良い曲だが)は無いな。ここは吉原らしく離れた部屋からかすかに三味線(小唄付き〉が聞こえてくるぐらいが良かった。それでも短いシーンで二人の複雑な思いは伝わってきたし、彦屋の主人と会所の四郎兵衛に見送られた奈緒が大門を出て前田屋内蔵介と伴に新しい人生に旅立つシーンは悪くなかった。

が、その後が・・・

「生き写しの他人」というパターンは歌舞伎の時代からお約束の設定ではあるが、必然性としてはどうか?(しかもロングショットで全くの別人が演じているのが丸分かりだし)。磐音が「うん、そうか」という顔をしたけど、それだけかよ。それまで誰も突っ込まないし触れもしないし(誰か仄めかすぐらいはあったかな?)、原作でも同じ設定なのかな、それとも山本耕史ファンや王道時代劇ファンへのサービス?それにしたって、もう少し前田屋内蔵介が興味を引く魅力的な人物として描かれていたら印象は違ったかもしれないのに。

あと、個人的に残念だったのは、今まで時間をかけておこんの立場や魅力を描いてきたのに、話を急ぎまとめる為に単なる短気で我儘な女性にしてしまった事だ。あれじゃ、磐音がおこんのご機嫌をとる為に一方的に気を使っているようで、二人の旅立ちの多幸感が半減してしまった。

やはり大団円は、登場人物が多くなるし、まとめることも多くなるし、もう少し時間をかけて描いて欲しかったところだ。

ま、たかが時代劇、されど時代劇なのだよ。

お正月の特番には期待してます。

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2008年11月22日 (土)

ヒメアノール1 古谷実

連載開始は知ってはいたが(立ち読みを我慢して)単行本化を待ち望んでいた。

ささやかな欲望でさえ叶えることが難儀なゴールのない青春地獄巡り、その結果断ち切られたかのように突然訪れる結末、ハッピーエンドに向けて話が収束しているように見せかけておいて確かな未来は提示されず、予想される現実は悲劇か(第三者にとっての)喜劇かでしかない後味の悪さ、グロテスクさ。代表作であり個人的にも高く評価している「ヒミズ」以降、古谷実の描く作品のテーマは一貫している。が、その後の作品が成功しているかと言うと少し疑問だった。キャラ造形がパターン化して、物語の構成も同工異曲、さらに展開に捻りを加えようとして破綻をもたらし尻切れトンボの連載終了。漫画としての技術スキルは初期とは比べ物にならないほど向上していて「絵」自体に読み手を惹きつける力があるのに残念な印象があった。

ヒメアノール」第一巻 古谷実41eoix1jzbl__ss500_

相変わらずと言えば相変わらずの設定であり話ではあるが、相変わらず読ませる力があるのは流石である。

まだまだ登場人物紹介、少しだけ動き始めた物語、といったところだが、メインの登場人物を気弱だが常識は持ち合わせている普通人森田君と古谷キャラの真骨頂安藤さんの二人にしたのが良い。女性(ユカちゃん)がらみのエピソードは「稲中」以来のギャグ・テイスト炸裂で笑ってしまう(特にカメ・リュックの毒キノコ飯田アイちゃんとのダブルデート場面)。

ところがサブ・キャラの伊藤が登場してから物語の空気感が一変する。人の人生に突然訪れる理不尽な運命の予感が立ち上り始めてページをくくる指も重くなる。

ただでさえ不穏で危険な空気をまとったキャラが殺人がらみのエピソードに関わってくると、サブとしての立ち位置を超えて強烈な印象を残してしまう。前作では殺人犯が物語の空気を支配してしまい展開に破綻をもたらしたと思える部分もあったので、次回以降メインの森と安藤に本格的に絡み始めるであろうこの二人を古谷実がどう描くのか興味深い。

うーむ、立ち読みの誘惑に負けないよう我慢するのは辛いなぁ。

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2008年11月21日 (金)

映画「ウッドストック」を観る

知人が泊まりにきた。と言うより「呑みにきた」という方が正しいか。

例によって音楽の話などで盛り上がったところで、酒の肴代わりにDVDで「ウッドストック」を観た。最初はザ・フーだけのつもりだったが惹き込まれるように最後まで観てしまった。まだロックに幻想を抱いていた時代、後付けで幾らでも批判は出来るが、このポジティヴなパワーには素直に感動する。一歩引いた冷静で的確なインタビューや変化球的切り口(トイレ掃除のおじさんの話は好き)などドキュメンタリー映画としての完成度も高いのも良い。今観ても懐古趣味的な印象はないし純粋に映画作品として鑑賞できるのだ。

Loadcluster アーティスト達もこの特別な舞台に負けない優れたパフォーマンスを残しているのだが、今更ながら圧倒されたのはサンタナの演奏だ。何か得体のしれない強烈なエネルギーがステージから観衆に向けて強烈に放射されていて凄い。ラテン・リズムの持つエモーショナルでトランシ―なグルーブをロックに見事に融合させたサンタナの歴史的成功の瞬間がここにある。この場にいた全ての人が何か新しいモノを体験したという実感を持ったのではないか。それはDVDを観る我々にも伝わってくる。

しかし、来年で40周年か。ロックを中心とした洋楽をリアルタイムで聴き続けてくると、音楽の本質的な部分にあまり変化がないことに気づきノスタルジックな気分にはならないだが、さすがに40年という年月の重みには愕然とする。2世代分だよ!映像に映っている人で亡くなった方も沢山いるだろうし・・・関係者が生存中にまた記念イベントを開催するかもしれないな。

観終わった後、少しパワーを貰ったけど同時に感傷的な気分にもなった。知人ともども後は寝るだけ気分になってしまい、本日終了になったとさ。

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2008年11月20日 (木)

グランド・セフト・オートIV(Grand Theft Auto IV)には血が騒ぐ

昔はそれこそサルのようにハマったゲームも最近はほとんどご無沙汰になってしまった。自分はR.P.G.やシミュレーション、アドベンチャー系が好みなのだが、「HALO」や「OBLIVION」等個性的で優秀なアメゲーを体験してしまうと既存の日本製ゲームでは満足できなくなってしまったこともある。もちろん興味を引くタイトルは相変わらずあるのだけど、たいていは途中でやらされている感が強くなり、こちらの意思は反映しないし想像力も必要が無くなってゲームは単なる時間つぶし(もしくは苦行)になってしまう。。アメゲーによくある投げっぱなしの自由度とまでいかなくても、目的に辿り着くまでのプロセスにもう少しこちらの意思や個性が反映されてオレだけのゲーム世界にしたいわけだ。8bitのドット絵や音源の時代から比べれば驚異的に表現手段が進歩したのに却って以前より閉じた世界になってしまった気がする。

そして、久々にサルのようにハマっているのがコレ。

grand theft auto IVGrand_theft_auto_iv

舞台はニューヨークを彷彿させるリバティーシティなのだが、まずここで生きる人々の生活感の表現が凄い。買い物帰り、喧嘩、ポリスに追われる奴、売春婦、酔っ払い、ジョギングする奴、携帯かける奴etc、彼ら都会人は積極的に他人と関わることは嫌いだが、ど突けば怒るし、車をぶつければ降りて抗議をしてくるし、場合によっては暴力をふるってくる。B005

そんな大都会に「夢」を求めて渡航してきた主人公ニコはソ連崩壊後新たな移民マイノリティとなった東欧系セルビアの出身。紛争の絶えない故郷やロシア系移民との複雑な関係性など、その背負った運命だけでもリアルでこちらの想像力を刺激するのだが、彼に関わる登場人物たちがこれまた一癖も二癖もあって超個性的なのだ。基本的に、こいつは死んでも(殺されても)しょうがないなという人間としてはダメな奴らばかりなのだが、だからこそ魅力的というか、堪らないのだ(今現在、序盤のロシアンマフィア登場まで進んでいるのだが、ここで出てくるキレ易いボスのファウスティンと冷静な相棒ディミトリのキャラ設定も最高)。

で、主人公ニコはミッションを黙々とこなしストーリーを進めてもいいのだが、手持ちの携帯をオフにすれば、ストーリーから離れて何をやってもOKな自由を手に入れることが出来るのだ。盗んだ車やバイクでドライブ、スタントポイントで度胸試し、ポリスに追われて逃げ切ったリ、街中で目を付けた人物の後を付け観察したり、サブストーリーでデートしたり、ボーリングやダーツを楽しんだり、タクシーの運転手をやったり・・・もう、本編を進めるのを忘れるぐらいハマるのだ。序盤でこれだもの、ストーリーが進むとさらに行動範囲が広くなるので、これはたいへんなことになるなぁ。Grandtheftautoiv55

しかし何と言っても、主人公ニコが魅力的だ。武骨で寡黙、内に秘めた暴力性・・・ただかっこよく出来るかは操作する人次第で、どうしようもなくチキンでヘタレなニコにもなるし、外道で鬼畜なニコにもなりうるのだ。俺のニコ?ミッションはいつもビビりまくりで殺さなくてもいい相手を殺しちゃったり、銃撃戦で仲間撃っちゃたり、自分がぶつけた車で渋滞引き起こして相手に逃げられちゃたりと、最初はかなりのヘタレぶりで情けなかったのだが、最近はちょっとクールに決められるようになってきた(かな)。

注意)決して万人向けではないので、購入の際はネット上のレビューを参考にしてお求め下さい。

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2008年11月19日 (水)

楽しい音楽生活 14             Perfumeは紅白でどの曲を披露するのか

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新曲発表のたびに良い意味でこちらの期待や予想を裏切るプロダクションは今回も同様だった。よりディープなクラブ系か、もしくは(紅白的な意味で)ファン層拡大を目指すポップス系か、というどちらかの方向性になると思っていたのだが、一聴すると直球の応援ソングとしか思えない曲で初印象は決してよくなかった。しかしPV付きCDを購入しリピートしているうちに、この曲は両方向性を備えたかなりの優れモノではないかと思えてきたのだ。

ネット上でも賛否両論あるようだ。とは言っても、大方の意見はPVと合わせて聴くうちに好きになってきた、というものだが。そう、Perfumeの魅力は、楽曲の(カラオケ的)親しみ易さや、日常の(癒しや励まし的)BGMとしての効果で評価されるものではなく、彼女たちの優れたパフォーマンスや作り込まれたサウンド・プロダクションの複合的表現性にあるのだから、聴き手にもある程度の集中力と持続性を求めるのだ。

その結果、聴くたび、観るたびに新たな発見やイメージが喚起され楽曲の深い部分に取り込まれていく。逆に言えば、Perfumeの曲やPVなどに接するたびに非日常的な高揚感と至福を与えてくれるのだ。これは中毒になる。個人差はあるとはいえ、二十歳前後の小娘や生意気そうな20代半ばの音楽クリエーターに自分の隠された(音楽性だけでなくいろいろな)嗜好性を刺激され弄ばれることになるとは思ってもいなかったコアな音楽ファンも多いのではないか、私の事ですが。

残念ながら期待された初登場一位は実現しなかったが、今回は大きなタイアップがあるわけではないし、むしろこれからのテレビなどでのプロモーション活動で本領が発揮されていくと思う。

カップリングの『願い』もこれまた「らしく」ない曲だ、というのが第一印象。路線的には『マカロニ』系と言えるかもしれないが、「狙った」ものではなく素直に出てきたような詞とメロディーにPerfumeというより中田ヤスタカの音楽性の深い部分が反映されているように思う。そういえば外出中にiPodでこの曲を聴いていて、歌(詩の内容)に集中しようとした瞬間にサウンド全体に自分が包まれる感覚が湧き起こり驚いた。全てのサウンドがフラットに配置されているようでありながら、その一部分に集中すると全てが有機的に絡まってくる。これってアンサンブル音楽の理想だよね。そうそう、2曲とも歌なしのバックトラックが収録されているのだけど、これはこれで完成していて全くの別モノとして楽しめるところがまた凄いのだ。

ところで、ほぼ出場確定の紅白ではどの曲を披露するのかな。人気があると言っても幅広い層にあるというわけではないので、この際、新たな人気獲得の為にも思い切った演出をしてほしいと思うが、やっぱり、「Dream Fighter」になるのだろうな。そういえば、小学生以下の子供たちの人気ってどうなんだろう。あんまり情報が入ってこないのだが、将来SPEEDがPerfumeを産み出したようなことが起こるのだろうか。

同日発売のcapsuleのアルバムも購入したのだが、それに付いては次回の「楽しい音楽生活」で。

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2008年11月18日 (火)

The Who@武道館 2008.11.17

Vfabsp_2  熱かった。いや、ステージの上は適度にクールではあったのだが、俺自身が自分でも驚くほど燃えた。何曲かでは自然に涙が出た。ただ昔の曲を(昔のライヴのように)再現する懐メロ・バンドではなく、今なお現役のロッカーであることへの自負と自信が前面に出た貫禄のパフォーマンスだったし、確かなテクとセンスを持つツアーメンバーと伴に今この場でザ・フーとして演奏することの必然性を強く感じさせるライヴだった。

ザ・フーの音楽的魅力は、重厚さと軽妙さ、頑固さと柔軟性、シリアスとジョーク、キングとジョーカー、両者の資質を併せ持つことだと思う。それは極めてイギリス的な在り方だ。それはメンバーそれぞれの個性が強く反映していたものだったとも言える。後者的存在については言わずもがなのキースや飄々と傍観者的立場を守り続けたジョンがいたが、現在のピートとロジャーはどちらかと言えばやや前者に寄った立ち位置だと思う。それがかえって、今のバンドに適度な緊張感と刺激を与え音楽的に充実させているのかもしれない(仕事上はともかくプライベートでは相変わらず仲良さそうには見えないし)。

今回の客層は思いの外若い世代が多く、リアルタイム世代であるはずの50代前後が少ないような印象があった。60年代の日本では紹介状況のお粗末さや情報の少なさのせいがあって当時のポップス・ファンにほとんど認知されていなかったことがあるのかもしれない。70年代に入って、「ウッド・ストック」や「ライヴ・アット・リーズ」等でロック・ファンがその魅力に気付きはじめ、「トミー」の映画化などにより一般的にも認知度が増して入ったが、その限られたイメージは日本では一部を除いて長期的な人気には結びつかなかった。日本で正当に評価支持され始めるたのは90年代以降かもしれない。近年、常に若い人たちによって再評価されファンが増えてきている状況は素直にうれしい。もちろん他の大物たちに比べれば絶対数は少ないのだが、その分本当のロック好き音楽好きが多いようで会場の雰囲気も大変良かった。

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2008年11月16日 (日)

「陽炎の辻2 ~居眠り磐音 江戸双紙~」 第11回

前シリーズは後半から見始めたこともあり、磐音と奈緒の関係性のほとんどを脳内で補完して鑑賞しているのだが、それでも当事者の複雑な想いは伝わってくる。今回の襖越しの再会シーンはちょっとドキドキしてしまった。ドラマ的制約はあるにせよ、吉原が「悪所」「苦界」のイメージだけではなく組織的に管理され社会的に認知された施設として描かれているのも良い。奈緒の存在を除けば、磐音自身が吉原の存在に疑問を持つことはないし、ましてや会食などに利用したり仕事を請け負う事に何の躊躇もないのだから。

さて、気になる予告篇の内容も含めて、全ては次回の最終回へ持ち越し。でも、万事解決とはならないかもしれないな。とりあえず次回を待て、ということで、また。

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2008年11月15日 (土)

マダムギター長見順                @渋谷クアトロ 2008.11.14

さすが渋谷、普段着風アット・ホームな感じの中央線沿線や下北でのライヴとは違うお洒落な華やかさが開場前から漂っていて、こりゃアウェーだなぁ、と僅かな不安が・・・事実、いつになくハイテンションで登場したマダム(しかも演奏前にメインのギターを落としてネックを折ってしまう!)には観客にも戸惑いと動揺が感じられたし。ところがだ、演奏が始まってしまえばいつもの長見ワールド全開で心配は杞憂で終わった。持ち前のマダム・パワーでぐいぐいと観客を巻き込み会場を幸せな空間に変えていくのだった。やっぱスゴイな、このウーマンは。

客席を練り歩く長見女史003

カメラに向かってVサイン。ありがとうございます。004

会場には有名無名含めて業界関係者の顔を多く見かけたけど、原田郁子がいたような気が・・・ま、いいか。

しかし、このクアトロでの大成功は大きい。来年はさらに大きな会場でのワンマン・ライヴを期待したいし、彼女の持つ天性のエンターテインメント性が広く認知されてほしいと思う。

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2008年11月14日 (金)

ミッチ・ミッチェル死去 享年61歳

11月12日ビリー・コックスとのツアーの途中、アメリカはオレゴン州ポートランドにて死去。

ああ、とうとうこの日が来てしまった。Mitch01

これでエクスペリエンスのメンバーは全員あの世に行ってしまったわけか。ジプシーズもバディが亡くなっているし、後はビリーだけになってしまった。

死因は老衰による自然死という事だけど、61歳で老衰とは。確かに、数年前フジ・ロックで見た時も年齢に比べると老けては見えたけど。

上の写真はラマタムの頃かな?カッコいいなぁ。最近、ネット動画のおかげでミッチに対する評価が上がっていたのが嬉しかったのに・・・本当に悲しい。

ご冥福を祈ります。

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2008年11月13日 (木)

合葬 杉浦日向子

合葬」 杉浦日向子 1983年C04

「義」とは何ぞや?正義?大義?何に対しての「正義」であり「大義」なのか?

ここには大人たちの様に冷静に、もしくは狡猾に立ち舞える術もなく、抽象的で曖昧な「義」のみを拠り所に生き急いだ少年たちがいる。自分なりの価値観など持ちようもない短い人生のはずなのに、受け売りの「義」を自ら生み出した価値観と思いこんでしまう、いや、思い込むことでしか自分の存在を肯定できなかったのかもしれない。時代とともに価値観が大きく変動する中にあって、旧幕臣旗本の環境で育った彼らが柔軟に対応することは容易ではなかったと思う。

この作品には三人の若者が登場する。自らの拠り所に執着する秋津極。拠り所には執着せず流れに任せながら生きていく吉森柾之助。世の変化に柔軟に対応し新しい拠り所を見つけようとする福原悌二郎。

この三人の個性(立ち位置)の差が読み手に多角的な視座を与えている。そこには絶対的な価値観など存在しないのだ。それら全てを見境なく飲み込んでしまう理不尽な歴史の悲劇があるだけだ。

それにしても、福原悌二郎の理不尽な死は重い。彼が死の間際に見た幻のような一編「長崎にて」には涙が止まらない。

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2008年11月12日 (水)

ロックは動いてナンボ 6                ゴールデンカップス

デイヴ平尾氏逝去の報の後、GSブーム当時のゴールデンカップスの動画がないかネットで探してみた。とは言っても、今日のように録画機器が当たり前のようにある時代ではないわけで、残っている動画は非常に少ない。情けないことに、GSがあれだけのブームだったのにもかかわらずテレビ局ですら記録をほとんど残していないようだ。生放送が多く当時のビデオテープが高価だったことなど、いろいろと事情はあるのだが、大衆文化・風俗(ましてや若者中心)は一過性の物で記録するに値しないという意識もあったのではないかと思う。アメリカやイギリスの同時代ミュージシャンの丁寧に保存されアーカイヴ化された発掘映像などを見ると、彼我のメディアの文化認識の差に驚く。それは今でもあまり変わっていないかもしれない。資料性の高い映像のアーカイヴ化を進めるNHKはまだしも、民放では貴重な映像でさえバラエティーのネタとしてぞんざいに扱われ消費されるのだから。何度その手の特集番組にがっかりさせられたことか。

そんな訳でやっと見つけた貴重な映像。まずは『愛する君に』。昨日シングル発売と言っているという事は1968年9月2日のの放送かな。「この曲もまたまたご機嫌なんですね」と振られるデイヴ平尾氏の微妙な反応が・・・。ヒット狙いの曲でも決して手を抜かない演奏とちょっと甘さを含んだ歌声が素晴らしい。

「結構でございました。結構ついでにもう一丁行くべきでしょう。ゴー!ゴールデンカップス!」(by尾藤イサオ)ということで、次は『アイム・ソー・グラッド』、こちらも68年の映像。

テレビ用にコンパクトにまとめた演奏ではあるが、この時代にこれを日本のグループがテレビで演奏していたことに素直に驚く。ライヴではブルース・ロックナンバーを中心に演奏していたカップスの本来の実力と魅力が伝わる超お宝映像だな。

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2008年11月10日 (月)

デイヴ平尾氏逝く

食道癌だそうだ。63歳。

自身のブログ最後の一言メッセージが「愛する君に」だった。これは特定の誰かではなく、同時代を生きた人々への言葉だと思う。

合掌。

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2008年11月 9日 (日)

「陽炎の辻2 ~居眠り磐音 江戸双紙~」 第10回

一度でも「負」のベクトルを背負った男女の末路は哀れなものだ。特に時代が時代だし、さしずめ「明和枯れすすき」といったところか。大塚左門(河野安郎)のやつれぶりとヘタレぶりが妙にリアルでちょっと笑ってしまった。ここは姉さん女房(だったけ?)お香奈(森ほさち)が思いっきり尻を叩かないとダメだな、最後の素早い旅立ちもお香奈主導だとは思うが。

今回の殺陣はカッコ良かった。中国の武狭映画のようなスタイリッシュでケレン味ある動きが時代劇の中で上手く活かされている。「時代劇」らしくないとか批判もあるようだが、従来の殺陣だって演出的効果を狙ったところから完成したものだし、これはこれで充分「あり」だ。

磐根がまだ一度も具体的な言葉でおこんに気持ちを伝えてないことが何とももどかしくはあるのだが(「舅殿」優先だもんな)、これに関しては次回大きな動きがありそうだ。

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2008年11月 8日 (土)

J-POPの「売れる曲」のほとんどに魅力を感じないのは何故?

何故だろう?

プロとしてのレベルの高さや意識の違いを感じさせない「親しみ易い等身大のアーティスト」達が多いせいかもしれないし、歌詞の低レベル化(比喩や暗喩が幼稚で語彙が極めて少ない)が原因かもしれないのだが、それよりもなんかこう鬱陶しいというかしつこいというか、普段音楽を聴く脳内の場所とは違うところに侵入してくる異物感が耐えられないのだ。

歌詞を理解しようとする動きが脳内で優先して、「音楽」として全体を感じることが難しくなる。それは普段洋楽を聴くことが多く、(外国語の意味が分からないこともあり)歌詞はメロディの一部という状況に慣れている自分が、具体的に理解可能な日本語に拒否反応を起こしているだけだと、つまりは個人的な慣れと嗜好性の問題だと言ってしまえばそれまでだが、音楽的構造それ自体に根本的な問題があるのではないかという気がしていた。日本語の歌詞でも全く気にならない曲もあるからだ。

それには薄々とは気が付いていたのかもしれないが・・・昨晩、偶然ネット上で見つけたこの動画にその答えの一部が具体的に説明されていた。目から鱗が落ちるとはこのことだ。私自身、音楽理論にそれほど詳しいわけではないが、ギターを弾く人だったらこのコードの「王道進行」にはすぐピンと来るはず。毎度のことですが、コメントは非表示推奨。

サンプルとして紹介している曲が好きな人には洋楽がダメというタイプが多いような気がする。ともあれ、いろいろと示唆に富むこの考察は、もっと広く知られるべきだ。日本的感性や情緒性にどうしてこの王道進行が訴える力を持ちうるのか、そして、この進行上で歌われる歌詞がなぜ暴力的に脳内に侵入してくるのか(私だけ?)、誰かもっと詳しく検証して欲しいと思う。

しかし、コレ使っとけば一般人大喜び、みたいな発想で安易にヒットさせようとする思惑がメーカーに日常的にあったとしたら(絶対あると思うが)、それこそ唾棄されるべき行為だな。

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2008年11月 7日 (金)

perfume@武道館 2008.11.7

観ておかないと絶対後悔しそうな気がしたので行ってきた。079

ひとつの現象として最初のピークを迎えたPerfumeの人気を実感(体感)したかったという思いもあった。

既存のメディアやインターネットなどで、知りたい情報は何でも手に入る時代になったが、それは対象に対する想像力を過度に刺激してイメージ先行になりかねないこともある。

メディアを通してしか対象が自分の中に存在しない、という「現実感」は携帯世代にとってはそれほど違和感のないことかもしれないけど・・・

いや、そんなことはないか、彼らももっと身体で実感できるリアルを求めているはずだな。Perfumeの存在そのものが全てメディア上の幻想にすぎず、武道館はガラガラで、3人娘は笑顔を見せるだけのお人形状態、そんな可能性だってあるかもしれないし。

いったい俺は何を書こうとしているのか。

つまりは、この目で見て体感し実感しなくてはいけない、それこそがリアルだと。だからライヴ通いは止められないのだ。

以上、オヤジがPerfumeを観に行くの事への言い訳でした。

ここからはただのミーハー状態2008103000000004expmusiview000

1階サイド席だったのでステージを真横から見ることになるのだが、これが座席が前の方という好位置だったこともあり、ステージの袖から関係者として見ているような感覚で大変嬉しゅうございました。正面からのダンスの振り付けは「GAME」DVD等で何度も見ているが、真横から見るとポジション・チェンジの様子や、微妙な修正、アイコンタクト等、いろいろと新鮮な気持ちで楽しめたし、シャープで美しく無駄のない彼女たちの足の動きが鍛え抜かれたアスリート達の競技や演技を見ているようで印象的だった。

たまにメンバーがステージの端まで来てくれるのだが、いやー、こんなに近くで良いのだろうかという至福の時であった。観客全員を視線に入れるあ~ちゃん、泳がせぎみでなるべく視線を合わせないのっち、それぞれ性格が表れているのだが、なんといってもワンポイントで視線を合わせてくる(様に見せる)かしゆか!こりゃ、男は皆誤解をするな。

サウンドは鑑賞位置から考えれば上出来だった。ライヴ用にビートが強調されたミックスで自分好みだったが正面の席ではどうだったのだろう。

観客の印象だが、perfume武道館ライヴ達成という瞬間の目撃者という一体感があった(ひょっとしたら初日の方が強かったかもね)。アイドル系やJ-POPでの予定調和的(押し付け的)な部分も少なく皆が自分なりに楽しもうとしているのは好感が持てた。ただ、時折さぁと熱が引く瞬間があってちょっと気になった。ま、確かに武道館のような広い空間だと突然「全てを客観視しているクールな自分」が現れて驚くことがあるけどな。

もっと書きたいことがあった気もするが、こんなとこか。

そうだ、新曲「Dream Fighter 」、 最初はどうかなと思っていたが、だんだん気になり始めて、今回のライヴお披露目で決定的になった。「上がる」いい曲だ。

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2008年11月 6日 (木)

楽しい音楽生活 13              SWEET SERENITY 鈴木祥子

なんぎや、ほんまに51o7ysjt79l__ss500_

発売日に購入したのだが、iPodに入れて部分的に聴いていただけだった。

しっかり聴いてみようという気になったのは、あれこれ考え眠れなかったからだ。一年に一回ぐらい訪れる、後悔と慙愧と不安と・・・僅かな希望さえ持てない暗澹たる気分。明日になればけろっと忘れるだろうけど、今眠れない状態を何とかしたくて音楽を聴くことにしたのだ。手近のCDから選んでいるうちにこの鈴木祥子のアルバムに気がついた、そう言えばまだちゃんと聴いていない事に。

緩くなったなぁ、いい意味で。

私を見て、私を聴いて、私を知って、というエゴイスティックな自我が抑えられ、言葉に無理がない。私はこんな感じだけど、あなたはどう?、声高に押し付けるのではなく自然な問いかけを感じる。40代の、いや歳を重ねることで変化する自分の視点を楽しんでいるような気もする。

難儀なことも多いし、たいして成長もしとらんし、大人には死ぬまで成りきれそうもないけど、そんなに悪い人生じゃなさそうだ。ありがとう。眠れそうだ。

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2008年11月 5日 (水)

祝 新大統領決定!でも「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」んだぜ

2大政党と言われているが共和党と民主党の関係は簡単に保守と革新(右と左)とに分けられるほど単純なものでない。今回の選挙では、冷静な現実認識の上で修正路線を選べる経験と実力がありそうな共和党のマケインの方が反ブッシュの思いが強かったかも知れない。革新(リセット)ですべて解決するほど現実は甘くないだろうし、オバマにしても実際には緩やかな修正の道を探るしかないと思う(問題の根は想像以上に深そうだし)。何はともあれ、悪夢のような8年間を世界にもたらしたブッシュ政権がやっと終焉を迎えることがめでたい。

アメリカには2大政党の他に、資本家の「利権」を第一の目的とし「宗教」の力を隠れ蓑にしたもう一つの大きな勢力がある。日本では新保守主義=ネオコンとも紹介されることもあるが、それは経済的にも宗教的にも強いアメリカ(一国主義)による世界主導を目指す考え方だ。つまり宗教(もしくは思想)で支配し経済で搾取する、というわけだ。その勢力が、その目的を実現する為に選んだ歴史に残る史上サイテーの大統領がジョージ・ブッシュだ。

ブッシュのマヌケぶり、ボンクラぶりはインターネットなどで世界中が認識していることだが、では何故こんな人物が大統領になれたのか?民主主義発祥の地であるアメリカで(しかも選挙によって)民衆が彼を選んだ理由は何?アメリカって、ひょとして民意がかなり低いのか?という疑問がわいてくる。そこでこれですよ。

アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない町山智弘51ble1h5nwl__ss500__2

「週刊現代」「サイゾー」等雑誌での掲載中から注目していたコラムがまとまって刊行された。これは面白い・・・というか怖いぞ。薄々は気付いてはいたが、こんな事実を突きつけられると改めてアメリカがとんでもなく大雑把な「国」という事がよく分かる。しかし、日本人も笑ってはいられない事柄もここには書かれているのだ。アメリカにはまだ何とかしようという(一部ではあるが)発言や行動によるバランス感覚があるけど、日本はどうだろう?次の選挙が重要な分岐点になりそうだ。

ところで、政権の座を追われたブッシュ・ファミリーにどのような現実が待っているのだろう?「9.11」をはじめ、いろいろな疑問や謎が多すぎる。世界中が驚愕する事実が明らかになるかもしれない。

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2008年11月 4日 (火)

雀が好きな杉浦日向子さんはロックも大好き

ユリイカで杉浦日向子特集。51pjmqwzall__ss500_

彼女の事を知ったのは、最初の単行本「合葬」(83年)の刊行に合わせた雑誌「スターログ」の漫画家紹介記事だった。このSF・ファンタジー映画専門誌で紹介される漫画家は毎回アクの強い人ばかり(花輪和一もここで知った)だったのだが、ガロ出身で若い女性、しかも作品舞台が幕末(江戸)ということに特に強い興味を持った。 絶対俺はこの漫画家を好きになる、という直感があった。その後、漫画サンデーでの連載「百日紅」との運命的出会いによって直観は確信になったわけだ。

彼女自身やその作品の魅力については、この特集号の中でも多々語られており、私がくどくどと述べるつもりもないが、一つだけ書いておく。

それは、彼女の人を惹き込む(巻き込む、もしくは触発する)力の事だ。彼女のおかげで一体どれほどの人たちが江戸に興味を持ち(しかも)能動的に関わろうとしたことか。江戸に関する本を買い漁って片っ端から読破し、東京中を江戸の面影を求めて歩き回り、江戸文化の展覧会や特集番組は必ずチェックして、テレビの時代劇にダメ出しをする(あ、ほとんど俺のことか)、そう、自分なりの江戸を幻視させようとする力だ。このある種の巫女的体質こそ杉浦日向子の最大の魅力だと思うが、どうか。そういえば、彼女はいろいろと見えたらしい。私はその種の話のほとんどは信じない方なのだが、彼女なら「さもあらん」と納得する(「百物語」はそうでなければ書けるはずがない)。

ところで彼女がロック少女だったという事は知ってはいたのだが、実兄鈴木雅也氏の序文に書かれていた「お別れ会」で流した曲の選曲には驚いた。趣味が近いのは単純に嬉しいなぁ。しかし、「私達兄妹だけが分かる降霊(交霊)の符丁」てのはスゴイな。

久々に個々の作品を順に読み直しているので、そのうち記事にする。今、ちょうど「風流江戸雀」(87年)で、雀が可愛いな、と思っているところだ。

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2008年11月 3日 (月)

「陽炎の辻2 ~居眠り磐音 江戸双紙~」 第9回

毎回、食事をしながらもしくは酒を飲みながら見るとはなしに見ていた事もあり、今一つ人間関係を正しく理解していない私ではあるが(濃縮された30分間のストーリー展開はちょっと目をそらせただけで次の場面に切り替わってしまう)、それでも面白く鑑賞することが出来た。

それは「時代劇」の基本的要素―正義漢だが訳ありの主人公、人情味ある長屋の住人、ツンデレな町娘(?)等々―のおかげである程度先の展開が読めるということもあるが、なんといっても実力ある役者たちが登場人物たちを魅力的に演じていることにある。

短いシーンやカットの中で決められたセリフや動きをするだけでなく、その人物の「想い」や「背景」まで想像させるような余裕の演技力(何気ない表情・演技、アドリブっぽい一言)が、時代劇のお約束的登場人物たちにリアルな人間的存在感を与えているのだ。悪役でさえも切なく愛おしくなる。もちろん全ての役者が高い演技力を持つわけではないので、これは演出の力でもあるのだろう。

行間を読む、というか、観る者の想像力(≒妄想力)を刺激する作品は強いということだ。まるで漫画のコマ割りのようにサクサクざっくり進む展開を受け手の脳内で好きなように補完する楽しさは最高だと思う。

でも、「何で?」「どうして?」と全て説明的でないと満足できない向きもあるから難しいのだけどね。それにしても民放時代劇のように複雑な思考回路を持たないお約束の登場人物が、お約束の展開で、お約束の決着を付ける、だけじゃね・・・年配者向け?年配者全員がそんなに単純だと思っているのかな?それじゃジリ貧になるのはしょうがないな。

全然第9回の話題にならなかった。ここは「おこんが好き!」ということで、また次回。

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2008年11月 2日 (日)

伊豆下田から南伊豆辺りをぐるっと

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いや~伊豆を甘く見ていたわ、こりゃ奥が深い。メシも旨かった。

70_1_2 同乗者に案内してもらった下田金谷旅館の千人風呂も風情があって良かった。また行きたいな。

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