« Mazerun3号@関内ストーミーマンデー2008.9.24 | トップページ | シャッフルでゴー 11 »

2008年9月26日 (金)

SONGS 沢田研二 Part2          華やかさと強さ

実は放映直後にひとつ記事を書いた。

「はたしてジュリーはロックなのか」から始まり、GSの事、60年代末の自分(中学生)にとっての音楽体験と視聴環境(テレビ、ラジオ等)、70年代日本の音楽状況、ロックとメイク・・・話が脈絡なく広がり本筋からどんどん離れていって収集がつかなくなった。

第一、こんなに長いもの誰も読まない。それに、ここで使ってしまうには勿体ないネタが多すぎる、という事で削除決定。ここでは違う切り口で書く。

華やかさ

ロックでも芸能界的なそれとも違う沢田研二でしか持ち得ない「」。これは選ばれた人しか与えられない天性の素質だ。それが何か、なんとか言葉で説明しようと試みたが上手く表現できない。個人的な印象論では不完全なのだ。

そうか、今書きながら思いついたのだが、多面体の魅力、とでも言うのだろうか。一方からだけの光で輝くのではなく、多様な視点や想いによって違った輝きを見せる「」。ある人はそこにロックを感じ、ある人は理想の王子さまを重ね合わせる、あるいは80年代の輝きを思い出させ、団塊世代は彼に「夢」を見る(?)、等々。一人一人の視点や想いの集大成が沢田研二であり、それら全てに「輝き」で応える事が出来るのが彼の「」なのだ。

もちろん、それには彼のパーフォマンスの質が衰えていないことが絶対条件になる。近年ライヴに力を入れ積極的な音楽活動を行っているのも、自らに刺激を与え続けることで「」の維持を図ろうとしていることは明らかだ。それは単なる維持ではなく(若い頃と同じでは意味がないし、肉体的精神的にも無理だ)、更なる次元へ自らを高めようとする彼の意志であり強さなのだ。

強さ

はっきりと聴き手に届く「言葉」。伝えたい事が明確だからこそ、確信をもってを歌う。過去のヒット曲も、改めての世界が想像力を刺激し新鮮な印象を残す。それは新曲においてより顕著であった。過去を単なるノスタルジーとしてそこに逃げ込み今を投げ出すのではなく、今だからこそ、過去と向き合い今の自分の、いや、新たな始まりの糧とする強さ。この前向きな姿勢、見習わなくてならない。それは個人史に対してだけではなく、社会に対する沢田研二のスタンスでもある。

とここまで書いて、硬いなぁ、長いなぁ、まぁいいか。

要は、ジュリーはいつまでもカッコイイ、ということです、はい。」

|

« Mazerun3号@関内ストーミーマンデー2008.9.24 | トップページ | シャッフルでゴー 11 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/222843/42608498

この記事へのトラックバック一覧です: SONGS 沢田研二 Part2          華やかさと強さ:

« Mazerun3号@関内ストーミーマンデー2008.9.24 | トップページ | シャッフルでゴー 11 »