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2008年9月 7日 (日)

サラリーマンNEO Season3 #18

今更だが、テンションのハイな人とロウな人の対比という設定が基本的なパターンなのだな。それは非常識と常識という単純なものではなく、常識人でさえも適度にネジが緩んでいるからこそコントとして成立する。これは道理が通用する世界ではなく「起承転結」的な展開は無理な話で、「起承転転」というか「起転転承」というか「投げっぱなし」のオチが多くなるのはしょうがない。作品の質が高い低いは物語的な「オチの秀越さ」ではないわけだ。では何か?

視線の先が観客に委ねられる舞台ならば役者や演出の良し悪しが全てだが、送り手が視線の先を決定するテレビでは「絵」としてのインパクトやテンポが作品の印象を決定的にする。

NEOには「セクスィー部長」の「如何わしさ」、「サラリーマン体操」の「胡散臭さ」、「大いなる新人」の「インチキ臭さ」等、画面から臭い立つようなインパクトがあった。

で、最近はどうだろう。オリンピック以後ちょっと低調な印象は否めないのだが・・・

決して役者や演出のレベルが下がったというわけではないのだが、「慣れ」とは恐ろしい物で、初期のインパクトの印象は薄まりワンパターンでマンネリという感想を生み出してしまう。時々、さすがと思わせる「絵」を見せる瞬間もあるが長くは続かない。やはりワンシーズを通してクオリティーを保ち続けるのは大変なことなのだろう。

とはいえ、今シーズンまだ残り3週あるわけで、きっととんでもないものを見せてもらえる期待もあるのだ。

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