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2008年8月

2008年8月31日 (日)

スライ&ザ・ファミリーストーン       in東京JAZZ             @東京国際フォーラムホールA     2008.08.31 

スライに何を期待したのか?ちょっと冷静に考えてみよう。

1.「スタンド」やウッドストックに代表されるポジティヴで社会性のあるメッセージ性と祝祭性
2.「暴動」のようなドープでダウナーな密室性
3.「フレッシュ」におけるクールでミラクルなアンサンブルとねじれたポップ性

そんなの、3つともムリに決まってるじゃあるまいか!

そう、期待しても良いことは「そこに存在している」ことだけ(それさえも不確実であったのだから)。登場の瞬間が一番盛り上がったことは正しいことなのだ(出オチ?)

その意味ではまぁ満足・・・て、そんな訳ねぇだろ

もともと旧メンバーを含むトリビュートバンドにスライ本人が今年になってから便乗という事実があり、袂を分けたはずの他メンバーにとっては有難迷惑だったのではないか。だってこのオヤジ、まともにプレイする気ないじゃん。スライに合わせているうちに一緒にグダグダになってしまうアンサンブルが悲惨すぎるぜ。スライが退場した後、安心感と解放感から妙にアッパーになってしまう(演奏もグッと良くなる)メンバーの気持ちも分かるが、観客は置いてきぼりかよ。

ダメだコリャ

(おまけ)何が東京JAZZだかよーわからんが、その他の出演者の事も

ロベン・フォード ― 実はそんなに嫌いではない。70年代初頭アメリカ(特にLAメタル以前のウエストコースト)の有能な若手ギタリストは、本来ゴリゴリのロックやコテコテのブルース指向があっても(洗練と安定感が求められる)フュージョンもしくはスタジオ方面に行かざるを得ない台所の事情があった。ロベンもブルース・ギタリストとしての才能がありながら、フュージョン系と烙印を押されてしまったちょっと残念なアーティスト。でも、巧いんだよ。ライヴでもそんな本来の指向性が抑えられず思わずバリバリと弾き倒す瞬間があって非常に好ましかった。上着を脱いでチェックのシャツ姿でテレキャス抱えた時はロリー・ギャラガー(テイスト!)を思い出したぜ(ロベンもアイルランドやイギリスで生まれていれば同じような道を歩んだかも)。マイルスの目にとまり共演出来たのも、そんな彼の秘めたロックやブルースへの熱意にマイルスが気がついたからかもね。

サム・ムーア ― とりあえずアレだ、才能が枯渇したスライはサムの爪の垢を煎じて飲め!

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2008年8月30日 (土)

気がつけば

40000アクセス突破、ありがとうございます。

ブログを始めたばかりの頃、すぐにアクセスの数字が上がり、さすが俺と大喜び。ところがそれは自分のアクセス分を削除する処理をしていなかっただけで、実質は全て「俺」のアクセス数だったというオチ。アレは悲しかった。己の分を省いたら3ケタにも満たない現実は厳しかった。

結局、こつこつ積み上げていくしかないんだよね。

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2008年8月29日 (金)

いやな感じ

積乱雲、雷、土砂降り。子供の頃、それは「夕立」だったはずだ。夜の夜中に長時間雷が鳴り続け大雨が降る(しかも2晩も!)、これはどう考えても普通の現象じゃない。

破壊や汚染など自然や環境に蓄積したストレスが臨界点を超えてしまったのか。今まで蓋をしてダマしダマし抑え込んできた都合の悪い現実のタガが外れ、一挙に噴き出してきたような大自然のしっぺ返し。そして、対処療法的対策がほとんど機能していない現実、かと言って根本的解決に向かう方策も各自の思惑が優先し見通しは明るくはない・・・。

日本全土を襲った今回の豪雨が単なる始まりにすぎず、これから毎年(もしくは毎回)「記録的」という表現が更新されていくかもしれない(これから台風シーズンだ)。

頼りになるのは自らの生命力の強さと、あとは「運」だけか。

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2008年8月28日 (木)

パンチの効いたブルース     with湯川トーベン@西荻窪terra 2008.8.28

パンチの効いたブルース長見順vo.g、かわいしのぶb、GRACEds)  with 湯川トーベン008a_4

久々のライヴ、久々のパンチ、いやー楽しかった。それにしてもトーベンのロック・バカぶりは清々しいほどだった。

この男、ノリノリである010a

このジイさんもノリノリである016

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2008年8月27日 (水)

シャッフルでゴー 10

今日も続けて

1曲目『Hard JiveMiles DavisNefertiti」 1967年51ep06cdg3l__sl500_aa240_

アコースティック・マイルスにおけるスタジオ録音アルバムの到達点。

このクインテット(サックスは流動的だったが)は60年代前半のライヴ時期の方が好きだったのだが、ここ最近は「ESP」以降のスタジオ盤ばかり聴いている。モードもポリリズムも変幻自在、ウェインが凄すぎる。おかげでウェザー・リポートまで再び聴き始めてしまった。

2曲目『洗礼人間椅子三悪道中膝栗毛2004年Sanaku

今年最大の発見!今頃ハマってすみません。みうらじゅんのビデオ「とんまつり」(2000年)での演奏を聴いたあたりから気にはしていたのだが、聴く機会がほとんど無かったからなぁ。

基本はハード・ロックやプログレなど70年代ブリティッシュ・ロックなのだけど、そこに日本的な要素(乱歩、東北、魑魅魍魎etc)をブレンドするセンスが頭抜けている。さらに高い演奏技術があるにも拘らず、テク至上主義にならず適度なポップ感覚があることも魅力の一つだ。しかも、その基本姿勢が20年近く活動してきてほとんどブレないことも素晴らしい(この一ヶ月で全アルバムを聴いてしまった)。また一貫して和嶋慎治(g)と鈴木研一(b)にドラムというトリオ・スタイルであるところも良い。

3曲目『Long Hard ClimbMaria MuldaurMaria Muldaur1974年413c1rcp90l__sl500_aa240_

大学に入った時、音楽好きという事を基準に友人が作れるという事が嬉しかった。何か新しい世界が広がる予感がしていた(結局、そんな甘いものではなかったのだが)。そんな友人の一人の家(横浜の中華料理店)へ泊りに行った時、彼が自慢げに聴かせてくれたアルバムが二枚あった。そのうちの一枚がこの「Maria Muldaur」だ。

彼は、「ハードで激しいロックも良いけれど、こういう音楽も良いんだよ、ホラここのストリングスがいいだろ、ギターもたまらんなぁ」、とかそんな事を2曲目の『Midnight At The Oasis』をかけながら言っていたような記憶がある(何人か参加ミュージシャンの名をあげていた気もする)。

それまでハード・ロック一辺倒だった自分には本当に新しい世界だった。一見オールド・ファッションでありながらロック経由でしか醸し出せない新しい感覚。参加ミュージシャンの若さ。アメリカ音楽の懐の深さに気付かせてもらった。もちろんこのアルバムはCD時代から携帯時代になっても聴き続けることになった。必要以上にのめり込むことはなかったが、その後の音楽人生を豊かにしてくれたことは確かだ。

そして、もう一枚ジェネシスの「Selling England By The Pound」。

これは、人生を変えました。まだ日本盤が出る前だったと記憶しているが、友人は「これは寝る前に聴くと最高なんだぜ」と言っていたな。このアルバムとジェネシスについてはまた機会があれば(iPodにも入っているし)。

その友人とは誤解もあって疎遠になってしまったが、元気かなぁ、木村君。感謝してるぜ。

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2008年8月26日 (火)

シャッフルでゴー 9

一部曲を入れ替えた。合計2201曲、時間は7.6日分。さて何が飛び出しますか?

1曲目『Dark(Kip's Tune)』 Kip Hanrahan Vertical's Currency31ppjem6dvl__sl500_aa240_ 1985年

ジャック・ブルースの声に惚れ込んだキップ・ハンラハンが制作した「俺たちなりの”スモーキーロビンソン”風アルバム」から。

ゴリゴリでアグレッシヴなロッカーのイメージを覆すジャックの甘く切ないヴォーカルがジャズ・ミュージシャンを中心としたラテン風味のバッキングと程良くブレンドされ味わい深い音楽世界を作り出している。

2曲目『ヒガンバナ柴草玲 会話2004年41f1b1mbntl__sl500_aa240_

抑え込まれた女の情念がじわじわと染み出してくるような詞とメロディの歌だけではなく、表現力豊かなピアノのバッキングも含めて丸ごと一曲作り込まれた、柴草の魅力が凝縮された名曲。

いや、この曲以外もタイトル曲の『会話』など素晴らしい曲ばかりのアルバムなんだけどね。

3曲目『SleeplessKing CrimsonAbsent Lovers1998年51jcfnqrkul__sl500_aa240_

1984年モントリオールで収録された80年代クリムゾンのラスト・ライヴから。

頭でっかちで中途半端と煮え切らない印象だった80年代クリムゾンの評価がこれを聴いて180度変わった。全ての楽曲が見事に肉体化していてロックのダイナミズムに溢れているのだ。

しかしこれほどの内容なのになぜかお蔵入り、正式発売は98年まで待たねばならなかった。オリジナル・リリースが予定通り85年頃だったら、後世にもっと影響を与えていただろうに・・・。

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2008年8月25日 (月)

あたらしい朝 1 黒田硫黄

黒田硫黄久々の長編漫画、単行本化を待っていた。51ss2h2bntil__sl500_aa240_

仮装巡洋艦とは、さすが面白いところに目を付けるものだ。

待望の新作は第二次世界大戦時を舞台にした戦記物(主人公はドイツ人)。もちろん硫黄らしく唯のドンパチには終わらない 、捻りの効いた内容だ。人間味はあるがクサクなり過ぎないキャラ造りと、ドラマチックではあるが熱くなり過ぎることのないクールなストーリーが彼の魅力だと思うが、この作品でもその魅力が十二分に発揮されている。

表紙の印象から今巻はドイツ本国中心の導入部かな、と思っていたら、あっという間に戦闘開始。よっぽど仮装巡洋艦の活躍と船員たちの生活を描きたかったのだろう、作者がノリノリで描いているのが伝わってきて好ましい。その昔、宮崎駿が専門誌で描いていた戦記物に近いテイストも感じる。常に「死」と隣り合わせの状況下であるとはいえ、日常はあくまでもボンクラで普通の男達の日常なのだ、だからこそ戦闘時の殺人と破壊という非日常性が際立つ。

そして、このあまりに人間的で親しみのもてる登場人物たちに、現実が(歴史的にも)幸せな結末を与えることはない予感を覚えるだけに、全編にわたって「悲劇性」が通奏音として低く小さく流れているような気がする。少なくとも全員が幸せな結末を迎えることはないだろうな、そうか、「あたらしい朝」を迎えるとは・・・まだ結論は早いな、始まったばかりだ。

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2008年8月24日 (日)

えの素3 榎本俊二

えの素 下 完全版 51bfsjizval__sl500_aa240__2

二比の不能騒動は海を越えアメリカへと怒涛の展開、ドン・ズリネッタ率いるマフィアとのロッパーな(文字通りの)肉弾戦を制し大団円か、と思っていると物語はさらに体内探検から精神世界へ突き進み神話世界へ辿り着く。

何なんだろうね、この漫画は。巻末の解説で翻訳家の岸本佐和子がこの作品の内容を的確に表現している。曰く、「尻屁乳ペニ尿糞尻穴ペニペニ糞屁尻吐尿糞糞ペニ乳尻」──読み手を選ぶことは間違いないが、読めばちょっと人生が面白くなるかも。

それにしても葛原さんだよ。いつもクールで魅力的。特に前田郷介「ハメっぱなし」妄想における「朝・昼・晩/上・中・下/松・竹・梅」の小さな葛原さんはサイコーだ。

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2008年8月23日 (土)

映画「デトロイト・メタル・シティ」 

そりゃ原作だって大した作品じゃないさ、絵も下手だしストーリーは破綻しているし、でも楽しめるんだよ。

それは、バンドマンやそのファン、オタクやオヤジ(オシャレ系、変態系、メタボ系いろいろ)等のキャラ達と主人公根岸のヘタレぶりが(誇張されているとはいえ)妙にリアルな印象を与えるからだ。超人というか狂人というか人格破綻で非常識な奴らばかりでも、自分たちの日常とそう遠くはない場所にいる気がするから、かれらの行動や言動が笑わせてくれるのだ。

善(ヘタレ)と悪(クラウザー)の狭間で翻弄される根岸がしだいに善悪を超えた存在(ルサンチマンの怪物)になりつつある展開も個人的に興味深い。二重人格の落差に悩む根岸ではなく、二つの人格を使い分けるもう一人の「根岸」の存在感が強くなってきているのだ。あ、そうか、これ「ジキルとハイド」か。

で、なんで原作に付いてくどくど書いているかというと、映画版が見事にどーしようもない「日本映画」だったからだ。映画は別モノと期待は持たないようにしていたとはいえ、原作と比べて脚本や演出どうのこうの言う以前に、映画としてダメでしょ。いや、ところどころ良い部分もあるのだが・・・これは編集の手際悪さもあるが、テンポが悪く間延びして笑える場面が笑えない。セリフが聞き取り辛く、一部を除いて演技が棒、もしくは手抜き(でも高橋一生は良かった、ほんと何でもやるな、この年齢不詳役者は)。そして肝心の音楽シーンだが、主題曲『SATSUGAI』のビデオクリップがなかなかの出来で期待していたのに、それを超えるモノが本編にないとはどういう事だ。クリップの監督・編集は別人?残念ながら一度も一瞬たりも「本物」は感じなかった(上手に騙して欲しかったのに)。http://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00547/v05178

新宿歌舞伎町の映画館で鑑賞したのだが、しょうもないネタでも笑いが起きる右側と反応の鈍い左側の客層がはっきり分かれていたのが不思議(当然俺は左側)だった。唯一の場内全員爆笑はクラウザーのハンパない農業スキル発動シーンかな、松山のクラウザーはハマリ役だと思う(しかし弟役の演技は最悪だった)。

ま、「好き」か「嫌い」かと言われたら、「嫌い」じゃないが、一般的にはどうなのだろう。

ところで、歌舞伎町に着いたとたん、原作から飛び出してきたような「オタク」の集団に遭遇して驚いてしまった。コマ劇場で「モーニング娘。」の公演があり、いわゆる「モーオタ」という人種が集まっていたようだ。あれだけ集まるとやはり独特の空気感を醸し出すなぁ。

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2008年8月21日 (木)

シグルイ 11

Bpbookcoverimage そろそろ決着を迎えそうな清玄と源之助の因縁と並行して屈木頑之助のエピソードも本格的に始動。

がま剣法」をどう描くかと期待していたが、こうきましたか、さすがだ。頑之助はもちろんだが、新たな登場人物が相変わらず超個性的すぎる。特に千加様は山口貴由キャラの真骨頂だ。

ちょっと残念だったのは孕石雪千代が退場してしまったこと。その一歩引いた立ち位置が好きだったのでもう少し活躍して欲しかった。

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2008年8月20日 (水)

ロックは動いてナンボ 4        How Dose It Feel ?

〈6月に書いた記事を一部修正追加して再録。決して手抜きではない…許して〉

恋や夢や希望を歌ったポップス・ソング、もしくはセックスやドラッグや共同体幻想を歌い出したロック・ミュージック、そのどこにも属さない普遍的なレトリックを用い社会や人間の本質に迫る歌が65年に登場していた。イマジネーションを刺激するその言葉と音楽は聴き手一人一人に様々な感情を呼び起こし社会に衝撃を持って受け入れられた。その曲こそ、ローリングストーン誌のロック名曲BEST500で第一位に選ばれたボブ・ディランの『ライク・ア・ローリングトーン』だ。

動画は66年のツアーから。ロックの概念(カッコよさ含む)がひっくり返った瞬間の記録(その時、日本では彼はまだフォークの神様だった)。

そしてそのひっくり返ったロックの世界にさらなる革命を起こした人物がジミ・ヘンドリックス。イギリス経由でアメリカに凱旋した彼が67年のモンタレー・ポップ・フェスティバルで見せたライヴは歴史的なものだが、爆音や過激さだけが当時の観客に衝撃を与えただけでなく、黒人であるジミがソウルではなくロックを演奏し、しかも『ライク・ア・ローリングストーン』を自分の持ち歌のように完璧に披露したことにあったのではないか。それはこの曲の世界を体現するにふさわしい人物が降臨したように見えたのかもしれない(同じ人物が最後にギターに火を付け破壊するパフォーマンスをするとは思わなかっただろうが)。

ちなみに「ローリングストーン」とは“苔のつかない”の方ではなく“石ころ”といった意味合いらしい。とるに足らない路傍の石、といったところか。

ついでに、同じモンタレー・ポップ・フェスティバルからインパクト十分な一曲目『キリング・フロワー』と、伝説のパフォーマンス『ワイルド・シング』もあげておく。

どんな気分かな?(How Dose It Feel ?)

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2008年8月19日 (火)

動物の子供は夏バテ知らず

夏の動物園はキツイ。広くて高低差もある多摩動物園は尚更だ。歳のせいか、ビールの飲み過ぎか、ハンドタオルでは間に合わないほどやたら汗が出る。それでも、少しは運動不足の解消にとなるかと通い続けるわけだ。

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2008年8月18日 (月)

ロックは動いてナンボ 3      スライ&ザ・ファミリーストーン 

う~、辛抱堪らん、生スライを拝める日が近づいてきた。ネット上でも静かだが熱い盛り上がりを感じる(「ミュージック・マガジン」まで今月号はスライファンクで「レコード・コレクターズ」化してしまった)。とりあえず、無事にステージに上がってくれることを八百万の神々にお願いしたい、頼みます。

スライの映像と言えばウッドストック、この69年の夏まではポジティヴでアッパーなイメージだったのだが・・・

70年以降ののクールでダウナーなスライ、時代を超えています。

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2008年8月17日 (日)

オリンピックの人々

なんだかんだで、興味深いな、やっぱり。

競技の勝敗はもちろんだが、選手や関係者、観客、マスコミ、ネット上の反応等、取り巻く人間たちの言動を観察するのが面白い。良い、悪い、美しい、醜い、テレビ放映が映し出す人間たちの生々しさは、美談や感動物語にすり替えようとする放送局の思惑を超えるインパクトがある。

女子レスリングでの浜口京子の素晴らしい笑顔に人間的魅力を感じたのは私だけでないだろう。

マスコミなどが望む故意のイメージ作りに合わせるなり抗うなり、ただ取り込まれるのではなく自分の意思(言葉や行動)で対応しようという選手が多くなってきたのも興味深い。特に連続出場で良い成績を残した選手たちの人間的な強さには感動を覚えた。なんとかして(演出上)思惑通りの言葉を貰おうとするマスコミのインタビューとの微妙な温度差が何とも・・・特に優勝直後のそれには失笑する物が多かったな。それにしても相変わらず(というか更にひどくなった)くだらないスタジオ場面よりも試合や会場の様子をそのまま流して欲しいのだよ、民放さん。

マスコミのイメージ作りや演出が先行した幾つかの団体競技が苦戦したり敗退しているのには「ざまぁ」という気が湧いてくる。それは負ければ存在価値がない、というようにマスコミが誘導してしまっているからだ。そのスポーツの本質や個々の選手の切磋琢磨と関係のないところで「商品価値」が決めれてしまう。過大広告や不当表示がバレれば即回収、廃品扱いだ。

資金面や施設などスポーツ環境が貧弱な日本おいて、国の援助は全く期待が出来ない。どうしても民間スポンサーやマスコミに頼らずを得ないところもある。ある程度の妥協と演出も必要だし、認知度という点で大きな効果を上げることもあるだろう。しかし、規模が大きくなる程、そのスポーツの持つ本来の魅力や楽しみ方が本当に伝わっているのかどうかは疑問になってくる。試合の楽しみ方を知らない人間は「結果」のみにしか関心はない。負ければ興味は無くなってしまう、消費されてしまうのだ。これはその競技にとっても選手にとっても不幸なことだ。

そんな事を考えたのは、女子バレーの不甲斐ない(投げやりな)試合ぶりを見たからなのだ。素人目にもわかるやる気のなさは応援する気を著しく萎えさせる。「勝って」結果を残すしかないのに・・・すでに関係者は「言い訳」をたくさん用意しているな。

日本国内での試合での過剰な演出が誇大広告もしくは不当表示(賞味期限偽装?)と言われないように対ブラジル戦ではテレビ的に美味しい「奇跡」を起こすしかないな。ま、せめて拮抗した試合を見せて欲しいぞ。

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2008年8月15日 (金)

「あんどーなつ」記事 終了のお知らせ

ちょっとしんどくなってきた。竹蔵の妹(その夫も)のキャラ設定がひどすぎる。あれだけ無神経で自分勝手な人物に描いておいて、饅頭一個で突然物分かりが良くなるってのは・・・ああ、やっぱり「印籠」と同じか。自分に正直に言えば、「好み」の話ではなくなってきた。もちろん良いところもあるのだが、毎回それをわざわざ探し出して評論するのは本末転倒という気がする。視聴は続けるので、内容が良い時はまた書くこともあるかもしれません。

HDDに録画したままの「ゴンゾウ」もなんとかしなければ・・・

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2008年8月14日 (木)

吉幾三と人間椅子は青森出身

あの「ねぶた」以降、東北に魅せられている。

もともと、学生の頃に寺山修二の映画「田園に死す」を観て衝撃を受けて以来、微熱の様に東北に対する興味は継続していた。それはイーハトーブであったリ、将門伝説であったり、遠野物語であったり、津軽三味線であったり、いがらしみきおであったり、映画や小説であったリ(ユダヤとかキリストとかトンデモ史観の某SF作家もいたなぁ)、興味の対象に変遷こそあるがその背景である東北の風土に魅かれるものを感じていた。風土が「濃い」のである。中央に併合しがちな軽い地域性ではなく、抜け出そうにも抜け出せない刻印のような重い地域性とでも言うか・・・さらに宿命のような(逃げることが叶わない)風土性を個性的な文化に昇華するしたたかな粘り強さにも興味を覚えた。沖縄文化に通じるような独自性を感じるが、どうかな?

それはともかく、ニコニコ動画におけるは吉幾三(IKZO)のスンクロ率は相変わらず絶好調(先日、幾三本人も降臨して新たな盛り上がり)。日々進化するMIX UPのスキルも凄いが、何と言っても素材としてのIKZOの普遍的な東北パワーが圧倒的。

更に驚きの人間椅子との「共演」。「混ぜるな、危険」ならぬ「混ぜるな、普通」、違和感なし、東北マジックのなせる業としか思えない。投稿者のスキルの高さも素晴らしい。

そんなわけで、人間椅子、怒涛の俺的再評価実施中。た、たまらん。

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2008年8月13日 (水)

暑いニャ

上野動物園前061

浅草裏飲み屋街031

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2008年8月12日 (火)

谷本歩実の一本

特別強い関心があるわけではないが、何となく観てしまうオリンピック放送(もちろん民放のふざけたノリにはついていけないのでNHKかBSで視聴)。今回の女子63キロ級柔道も「ああ、この選手知ってるな」程度の興味で観ていた。

が、その鮮烈な一本勝ちに思わず声を上げてしまった。今年一番胸のすく一瞬だった。

積極性が優先され受けて技を仕掛ける「柔」の部分が軽視されたJUDOでは、各国の選手のレベルも上がり実力も拮抗してくるとどうしてもこう着状態が生じやすい。結果、指導など反則ポイントや中途半端な技で勝敗が決まってしまいどうにも煮え切らない試合が多くなる。真剣勝負の駆け引きという視点からルールを熟知し選手の情報も押さえておけばそれなりに楽しめる部分もあるのだが、一般の人々が興味を持続させるのは難しい。特に武道に限らずスポーツ全般に「美学」を求める日本人にとっては尚更だ。

だからこそ、谷本の決勝での一本は(あくまで「柔道」に拘る)日本人の琴線にダイレクトに響く強烈な印象を残した。間違いなく後世に語り継がれる一本だろう。

ただし試合的な面白さは勝ち上がる予選で見せた寝技での一本にあるなぁ。格闘技は立ち技よりグランドの攻防だな、やっぱり。

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2008年8月10日 (日)

ちりとてちん外伝 まいご三兄弟

ほとんどが2つの部屋のやりとりで、舞台上のセットが目に浮かぶような演劇的なワン・シチエーション・ドラマだった(低予算、短期間という事もあったのだろうが)。「ちりとてちん」らしく落語(「宿屋の仇討ち」)がベースになっているとはいえ、二転三転する「嘘」の構成は見事なもので、登場人物の設定を変えてオリジナルとして構成しても十分通用する脚本だと思う。

とはいえ、「ちりとてちん」、徒然亭一門つまり三兄弟の人気があってこそのスピンオフであるわけで、そのあたりのサービスも抜かりはないのが藤本クオリティ。四草を中心とした場面構成はお好きな方には堪らない物があったのではないか。もっとも比較的長い芝居が求められる中で演技的に一番安定しているのが彼という事もあるのだけど。

ほんの少しの出演だったが草々役の青木が役者として存在感が増していたのが嬉しい。育ち盛りの役者を見るのは楽しいよな。

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2008年8月 9日 (土)

あんどーなつ 5

必要以上に重厚にする必要はないけど、軽いなぁ。あれもこれもと、限られた器に盛り込み過ぎて浅くなってしまったとも言える。淡白なようで実は説明過多な過剰な演出、誰にでも分かり易く楽しめるドラマ造りとしてはあり得るかもしれないが、個人的には興味が急速に薄れてしまった。「重さ」と「軽み」の塩梅が絶妙な尾美としのりの演技が唯一の楽しみになってきた。梅吉に「軽さ」の演出はいらない、役者が自然と醸し出していた部分を台無しにしてしまっている。奈津も空回り気味だし・・・前回が良かっただけに残念だ。

ドラマの視聴は続けるつもりだが・・・さて次回はどうだろう。

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2008年8月 8日 (金)

デトロイト・メタル・シティ 6

いよいよ映画公開(8/23)も近づき盛り上がってきたDMC。しかしデス・メタルがこんな形で一般に認知されるとは思わなかったぞ。良いんだか、悪いんだか、ま、良いか。そんなこんなで、出ました第6巻。07206937_2

掲載雑誌を断片的に見ていた時には 、各エピソードがバラバラな印象でちょっと迷走しているかと思っていたのだが、ああ、こういう風に繋がっていたんだ。全ては恐るべき元祖クラウザー北原元気(オヤジ)の強力なルサンチマンによって引き起こされていたのだった。そう、現クラウザー(根岸)にとって最大にして最強のライバルが登場したのだ。

しかもこの元祖クラウザー北原はロッカーとしての実力のみならず、圧倒的な(無神経で恥知らずな)オヤジ・パワーをも持ち合わせている。うーむ、シャイなエンジェル(自称)根岸に勝ち目はあるのか?いや現クラウザーはまだまだ本気を見せてはいない、彼が本気を出すとき世界は変わる(と思う)。次回、乞うご期待といったところか・・・て、次回は来年かよ!

映画は期待はしていないが楽しみにはしている。「ロックは動いてナンボ」ではないが、映画でしか表現できないDMCのパフォーマンスの仕上がり具合がポイントだな。一瞬でも良いから「本物」を感じさせてくれれば満足すると思う。

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2008年8月 7日 (木)

ねぶた

旅行に行っていた。場所は青森、ねぶた祭りだ。125

今年の夏は、野外フェス(Fuji)にするか「ねぶた」にするか、という選択肢があったのだが、「ねぶた」にして大正解。期待以上に素晴らしい祭りを堪能できた。

禍々しい異形の者が日常生活の象徴である駅前のメインストリートを練り歩く。

土着的な祭りの持つ(呪術的ともいえる)祝祭のエネルギーには実際にその場で浴びると圧倒されるものがある。「閉じた」祭りを第三者として見学するのではなくその場にいる者全てをまき込むような高揚感があるのだ(実際「「跳人(はねと)」と呼ばれる踊り手には観光客も含めて誰でも参加できる)。

それにしても、やはりこの異形の造形が興味深い。それぞれにもっともらしい題目が付いているのだが、それは創作のヒントでしかないと思う。目的はいかに他より優れた禍々しき者たちを造り出すかという事だろう。青森、いや東北という風土がこの造形を求めるのだろうか。もともとは七夕祭りが起源という事だが、どうしたらこのような形態にたどり着くのか、興味は尽きない。139

祭りの後、知人の案内で市内の民謡酒場へ行った。

これも素晴らしかった。唄や女子二人の舞も良かったが、やはり津軽三味線の曲引きが圧巻。魚介を中心とした料理も大変おいしかった。

今回の旅行を手配してくれた森野氏(仮名)に感謝。237_2 

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2008年8月 4日 (月)

サラリーマンNEO Season3 #16

2008夏コント復活スペシャル」ということで過去の名作タイトル『社内スタントマン』『部長の親』『大いなる新人』『社内竜王』をリメイク、じゃなくてリボーン(?)。

どれも過去の作品以上に力の入った(適度に抜けた)なかなかの出来。毎回一発芸に近い『社内スタントマン』はともかく、他は続きが観たいぞ。ま、酸素のない宇宙に転勤しちゃったらしょうがないか(ほとんど終了のお知らせだもんな)の『部長の親』と、次なる秘儀の編み出しに時間がかかりそうな『社内竜王』は諦めるとして、『大いなる新人』での実質「老いらくの恋」の行方は激しく気になる。冨士眞奈美 は確かに「キツイ」が、きっと慣れる(と思う)。

4年に一度の時事ネタ、『サラリンピック』。廣田直敬アナウンサー による実況や律儀に構成されたカメラワークなどいかにもNHKらしい部分がすべてバカバカしい「緩さ」に転換されている。NHKのスポーツ実況ノウハウの(よい)無駄遣いだな、こりゃ。特にもつ焼き好きの俺には「男子串投げ」がツボだった。

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2008年8月 3日 (日)

ロックは動いてナンボ 2         スーパージャンキーモンキー

もう観ることは不可能だと思っていた。

90年代半ばだったと思うが、テレビ東京で「タモリの音楽は世界だ」という音楽番組を放映していた。クイズ形式のバラエティではあったが、ジャズからロック、クラシックまでジャンルに拘らないミュージシャンのセレクトが個性的で、音楽好きには堪らなく刺激的な番組だった(タモリも今の某音楽番組での司会ぶりとは別人のように活き活きとして楽しそうだった)。

その番組に、スーパージャンキーモンキーが出演したことがあった。確か、ロック・ライヴでのモッシュダイブの説明に関連付けての出演だったと記憶している(紹介者は東海林のり子だった)。これが、テレビという事を全く念頭に置いていないようなゴリゴリの選曲と演奏で、天晴れとしか言いようのないパーフォーマンスを披露し、他の出演者や視聴者の度肝を抜いたのだ。

とはいっても、13年以上前の事で記憶も曖昧なこともあり、再び観たい気はあれどまず不可能に近いし、ひょっとしたら曖昧な記憶を美化というか過大に評価し過ぎているのではないかという不安もあった。よくあるでしょ、こんなものだったけ、ということが。

で、見つけてしまった。大したもんだよ、ネット社会。同好の士が必ずどこかにいるもんだなぁ、ありがたいこってす。

これはもうね、記憶を凌駕している。

今でもインパクト抜群だ、意外な大物もいる多彩なゲストたちの反応も面白い(現正蔵だけ相変わらずワザとらしい)。しかし何と言ってもヴォーカル623の存在感が・・・あらためて合掌。

当時のビデオ・クリップもなかなかの内容だ。特に『WE'ER THE MOTHER』は大好きな曲で、後に「母」になる623を思うと感慨深い。

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2008年8月 2日 (土)

赤塚不二夫 死去

昨年あたりから関連本が出版されたりテレビの特番があったりと(つい最近もトリビュート・アルバム(?)制作のニュースがあった)、周辺の動きが慌ただしくなってはいた。そろそろ、かなと・・・

彼のキャラや生き方そのものが「マンガ」そのものだった。チビ太やバカボン・パパ、ニャロメ等、赤塚らしいと言われたキャラは全て赤塚本人が投影されていたからこそだ。だから死去の報を知ったとき、「赤塚不二夫」という長編漫画が未完のまま終了したような気がした(最後の方は下書きすらない真っ白なページばかりだったが)。

これからいろいろな人たちが各メディアで彼と彼の作品に付いて語ることだろう。高度成長期、団塊・・・何に結びつけて語られるかは見当が付く(新橋駅前のインタビューとかね)、自らの個人史に関連して語る人も多いと思う、周辺キャラによるスピンオフ的長編漫画大2部の始まりといったところか。

どう盛り上がるのかな?「祭り」好きだった本人も楽しみなはずだ。

合掌。

ところで、赤塚不二夫の最高傑作は何だろう?

タモリ、かもしれんな。

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2008年8月 1日 (金)

ロックは動いてナンボ

法的・倫理的問題はあるにせよネット動画サイトは音楽ファンにとっては刺激に溢れた天国だ。IKZOブームや「初音ミク 」に代表されるツールを使用した投稿、自己アピールの為の宅録投稿、クラシックやジャズの貴重映像・・・等々、訪れるたびに新しい発見がある。中でも、所謂ロック・レジェンド達の歴史的ライヴ映像には今でも通用する強い魅力がある。

今の時代の曲順や動きまで演出されパッケージされたライヴと違い(それはそれで嫌いじゃない)、己の衝動に忠実で粗削りながら人間味や「色気」が溢れるライヴ映像に新鮮な感動を覚えるのだ。再発見どころか再評価、音盤だけでは分からなかった魅力に今頃気付いたアーティストもいる。

特に60年代から70年代にかけてのアーティスト達の存在感には圧倒される。クラシック・ロックの若いファンが「音」からではなく「映像」から興味を持つきっかけを与えられるという事は、ある意味正しいことかもしれない。「見た目」のインパクトの重要性は当時のアーティストも十分認識していたことだろうし、何よりも当時のシーンの「気分」というか「雰囲気」が伝わってくる事に興味を惹かれるのだ。ネット動画の世界で最も人気のある(今でも通用するインパクトを持つ)アーティストがツェッペリンとジミヘンという事実にも納得させられる。

今の音楽ファンはホント幸せだよ。俺らの時代は、レコード盤(多くはシングル盤)と少ない情報(ミュージックライフのグラビア等)から妄想するしかなかったからな(おかげで妄想力だけは鍛えられすっかり社会不適格者に)。

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