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2008年6月17日 (火)

こんな映画を観てきた 15      わが青春に悔いなし

わが青春に悔いなし(46年)黒澤明NHK BS2 5/10Poster20no20regrets20youth20_post_2

数ある黒澤作品、さすがに全部無条件に好きなわけではない。中には苦手なタイトルもある。時代性(政治、社会、思想等)に関する余計な知識や理解を求められ、それによって評価の基準を上げたり下げたり補正する必要がある作品だ。社会的政治的フィルターは大衆芸術である映画の評価において避けられない要素ではあるが、フィルターが多すぎたりその偏光度が強すぎたりすると作品の本質を見誤る恐れがある。それが思想性に関する物なら尚更だ。

戦中や終戦直後、映画に体制や権力側に都合の良い思想性を強く求められた時代に制作された黒澤作品はまさにそれで、評価が難しいのだ。まだ普遍的な娯楽性を前面に出した『姿三四郎』シリーズや『虎の尾を踏む男達』は単純に面白さの理由を考えれば良いだけ楽なのだが、問題は他の作品だ。前に取り上げた『一番美しく』と今回の『我が青春に悔いなし』の事だ。

なんと言っても原節子に尽きますImg2967_5  

当時の困難な状況下で作らざるを得なかったとか、監督の思想性云々とか、戦時下から占領下での変節とか禊とか、戦中戦後という黒澤映画の歴史の中でも特殊な時代ということもあってか余計なエクスキューズが多すぎる。当時の時代的な状況を考慮しながら鑑賞しなくてはならない映画は歴史的価値はあっても単なる遺物にすぎない。より映画を楽しむために解説や資料などテキストの存在は否定しないが、作品自体が「黒澤監督の歴史」を語る為の資料になってしまっては本末転倒だ。

なんとかして後年の黒澤らしさを探し出そうと撮影や演出、編集など技術論に逃げ場を求め「ああ、やはり黒澤は素晴らしい」と言うのは可能だが、本当に「話」として面白かったのか、が問題なのだ。

あ、あれ?面白いな・・・

相変わらず大胆な映画的手法を取り入れストーリーよりも画面で魅せる黒澤節は炸裂しているが、肝心の「話」が借り物のウソ臭さを感じさせる。中流社会(=知識人)を舞台にした登場人物たちの造形が類型的すぎるのだ。「脚本家」でもある黒澤のフラストレーションがさぞ溜まったであろうことは想像に難くない。おまけにある種の居直りとしか思えない後半は観る者があっと驚く超展開、知識人は野に下れってか(当時どの方面から圧力がかかったか良く分かる)。主人公の行動は自分勝手で直情型、しかも行動力は超人的、ありえない…はずなのだが、原節子が凄いのだ。ブルジョワ我儘お嬢様から泥まみれの農村労働者まで、彼女の演技が映画的リアリティ(ホントのようなウソ)をこの作品に与えているのだ。特にど根性ぶりを身体中で表現する農村シーンでの彼女は素晴らしい。大柄で日本人離れした風貌だが意外と大地に立つ姿が似合うのだ。そう原節子という天性の映画女優がこの映画を時代を超えて面白い作品にしていると言える。Hara_setsuko

近年、小津映画によって作られた原節子のイメージが一般的になってしまったが、実はいろいろな引き出しのある、しかも何を演じても「原節子」としての魅力は失うことがない「大女優」なのだ、そうでなければ巨匠と言われる監督たちがあれだけ起用してはいないはずだ。個人的には黒澤作品『白痴』の那須妙子役の印象が強い。放映は7月だが楽しみだ。

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