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2008年6月

2008年6月30日 (月)

えの素 榎本俊二

えの素 上 完全版 (1)51ulsrpupel__ss500_

多くは語りませんが、はっきり言ってこれは有害図書です。読み手のアレに関する隠された嗜好性が白日のもとに暴かれてしまう恐ろしい書です。

ただしお好きな方には堪りません。自己責任でどうぞ。

私? もちろん大好きです。

葛原さん・・・プリーズ

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2008年6月29日 (日)

サラリーマンNEO Season3 #12

つぶれる理由』 前の会社の時だが、真っ黒に日焼けした二代目社長と取り巻きの重役達がゴルフ話で異常に盛り上がっている姿を見た時この会社はダメだと思った(現実になった)。

帰宅』 中途半端な管理職経験者には残業の話は嫌な記憶を甦らせる。どーしても反りの合わない人間というのはいるのだよ。人事は無責任に配置するけど、現場の日々の気まずさは相当なストレスになる。それは上司の立場なら尚更だ。酒で改善すればいいけど、そうじゃない時の酒屋での空気の重さは・・・うああ、つるかめ、つるかめ。

NYAO』 私はお風呂にします。

はじめての寿司』 このシリーズは秀逸、と言ってもまだ二回目だが。寿司屋の何が怖いって、味や雰囲気が最悪だったのに高額な勘定を支払わなければならない確率が多いことだ。嫌な思いをして敗北感を味わいながらも結構な金額を払わなくてはならない理不尽さ、これは辛い。今回の作品だと、最初に寿司屋に来たことを楽しんでいた老夫婦の想いへ気持ちが行くなぁ。「味」や店自体に満足しても他の客のせいでぶち壊しという事もあるからね。

しかし、寿司屋と言うのも特殊な世界だ。世間の常識は寿司屋の非常識、寿司屋の常識は世間の非常識。NEOも良い所に目をつけた。

スケバン』は女性陣の「本当はいい人」という地がのぞくのが残念、『セクスィー』はフラダンス隊の反応が・・・そのせいか全体のリズムがギクシャクしていた。それはそれで笑えたけど。

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2008年6月28日 (土)

TVゲーム『OBLIVION』のこと

TVゲームは昔は会社の休みに徹夜をするほどハマったこともあったのに、今はあまり興味がなくなった。ハードのスペックが上がれば上がるほど似たようなゲームが増えて購買意欲が減退した事もある。

かといって携帯ゲームは老眼には厳しいし、仮想世界でのマルチプレーは人付き合いが居酒屋かライヴ、良くて散策・旅行に限定されるオヤジには実現が難しい(現実世界の付き合いでお腹いっぱい)。

それでも宣伝につられて購入することもあるが、期待していたのに話や設定が陳腐だったり、「やらされている感」が強かったりして投げ出してしまったタイトルも多い。オヤジは「やらされる」仕事は十分すぎるほど経験してきているし、オヤジの想像力はありきたりのストーリーでは満足できないのだ。よほど上質なものでない限り押し付けられた「感動的なお話し」はもう必要ない、もっと自由が欲しいのだ。

そこで『OBLIVION』ですよ、皆さん(昨年はこのゲームと『Halo 3』がベストゲームだった)20071127_282482

このアメリカ産のゲームは、ここまで拘るのかというほど細部まで作り込まれた世界観が圧倒的なRPGなのだが、導入部で若干の強制的進行があるだけで、本編開始とともにいきなり広大な物語世界に放り出される。導入部で頼まれた仕事はあるが何の強制力もない。つまり自分で思うように生きて行けと言う事だ。

初プレイの時は面食らった。とりあえず、目の前にある水辺で蟹と戯れてみたり(試しに食べてみたり)、操作もままならないのに泳いで溺れかかってみたり、錆びた剣を振り回す危ない奴になってみたり。何をすべきか誰も教えてくれないので、さっき頼まれた用事の場所へ行ってみるかと歩き出す。道すがら声を掛けるライオン男がいて、「お、早速旅の仲間か?」と思ったら追剥だったりして・・・いかん、プレイ日記のようになっている。

ことほど左様に自由なのだ。善悪も選び放題。英雄になれるのは勿論、泥棒の親方になってみたり、暗殺者として女や老人まで手にかけてみたり、人の好意に応えたり踏みにじったリ、腹が立ったら殴ってみたり(相手があっさり死んじゃって牢獄に入れられたり)、しょうもない悪戯をしてみたり・・・どうです面白そうじゃないですか?

Xbox 360版が7月10日に3990円と価格が下がって再発(PS3版も発売中)

追記)ネットでプレイ日記など見るとゲームの世界と割り切ってずんずんと悪の道へ突き進む人もいるようだが、俺は最後まで悪人には成りきれなかった。悪い事も無慈悲な事も数多く行ったが、意に沿わない行為には常に後悔が付きまとった(良くも悪くも常識人です、はい)。それでもこのゲームに登場する暗殺集団のエピソードはぜひ経験しておいた方が良い。自分がどんな人間か、改めて考えるきっかけになる。

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2008年6月26日 (木)

シャッフルでゴー 4

さぁ今夜もゴー!ゴー!ゴー!・・・じゃ始めます。

1曲目「Message To LoveJimi Hendrix 1969年録音41wcd3kdmwl__ss500_

2000年リリースの4枚組CD‐BOX「The Jimi Hendrix Experience 」から。

ジミ存命中にこの録音の正式なリリースはないが、曲としてはバンド・オブ・ジプシーのライヴ・アルバムに収録されていた。このライヴ版に長年親しんだせいもあって後から知ったスタジオ版はまとまり過ぎの印象が強かった。一部削られた展開部分もあり(そこの歌い方やメロディが好きだった)物足りなさもあったのだ。のちにウッドストックのヴァージョンも知るようになり、ジミ自身がこの曲に試行錯誤を繰り返していたことが分かった。きっとこのヴァージョンがジミの求めていた完成形に近いのだろう。

当時のジミの最新アルバムになるはずだったアルバム「First Rays Of The New Rising Sun 」にこの曲や「Power Of Soul 」などバンド・オブ・ジプシーズで試みられたソウル/ファンク路線があまり反映されていないのが意外だった。まぁ、この辺については思う事が多いのだが、また次の機会に。

2曲目「To Whom It May Concern - UsThe Tony Williams Lifetime 1970年 413hkehhu2l__sl500_aa240_

ライフタイムというグループ名義では2枚目のアルバム「Turn It Over 」から。

これは想像だが、この録音スタジオとスタッフは普段アコースティクな響きを大事にするジャズ系の録音が専門なのではないかと思う(レーベル自体がそうだし)。この爆音をどうテープに封じ込めたらいいのか困惑したことだろう。しかも各音はハッキリ聴き分けられるように(特にドラム)の注文付きだったはずだ。結果、独特のサウンドに仕上がった。なんというかガレージっぽいというか、ライヴ・ハウスで生撮りしたようなリアルさというか、当時のロックでもジャズでもない、ましてや磨き上げられたフュージョン・クロスオーヴァー系の音でもない、歪みは歪みとしてありのまま再現しますというサウンドになった(言わんとしていること分かりますか?)。

天才と言われ10代でジャズ・ドラムの神に祭り上げられたトニーだが、同時代の音楽状況に刺激された彼は現状には満足していなかった。ジョン・マクラフリンとラリー・ヤングという時代を象徴するようなアーティストを迎えて制作されたファースト・アルバムにはそんな彼の思いのたけをぶつけたような渦巻くエネルギーが充満していた、それはタイトル通り「Emergency」な内容だった。

続くこのセカンド「Turn It Over は、さらに当時の有名ロック・ミュージシャンでもあったジャック・ブルースまで加入し、まさにリアルに時代を反映した作品に仕上がっていると言っても良いと思う。暴力的でありながら知性的、熱狂と覚醒、凶暴さと繊細さ、ジャズ・ミュージシャンで無ければ到達できない次元を目指そうとしていたのだろう(ジャックも元々ジャズ方面の人だし)。“Play It Loud”とジャケに表記されているが、ここはトニーの切実なお願いに従ってデカイ音で聴こうじゃないか。

さて次は、

うひょー、出ちゃいました。

3曲目「 Black SatinMiles Davis 1972年51tkdc2w5bl__sl500_aa240_

生涯ベストを選べと言われたら間違いなく上位に入るマイルスのアルバム「On The Corner から。このアルバムはワン・コード(無調、つまり何でもあり)のリズムパターンを基にしたセッションの録音を引き伸ばしたり、ぶった切ったリ、他の素材を混ぜてみたりと、まるで昨今のクラブ・ミュージック的手法を先取りしたかのような編集・再構築を施し造り上げられたマイルス流ダンス・ミュージック作品だ。ファンク、ポリリズム、現代音楽・・・マイルス・ミュージックのひとつの到達点と言っても良いかもしれない。

中でも追加録音や念入りな編集が施され、基のセッション内容から最も遠い地平に着地してしまったこの「Black Satin 」は不思議な曲だ(尤もアルバム自体が当時の音楽ファンの理解を超えたものであったが)。一度聴いたら耳に残るリピートされるメロディ、どんな法則性があるのかタイムがとり難いパーカッションとハンド・クラップ、音はぐるぐる回るし、ファンキーなようでとても踊り難いし、音質も全然HI-Fiではないし、そうかこれがエクスペリエンス・ミュージックなのかと結論づけるしかない。が、癖になる、多分一生聴いても飽きることはない。感情に訴えたり、親しみやすかったり、踊れたりしなくても音楽の面白さのはそれだけじゃないという事だ。

もう一曲。

4曲目「Love YouSyd Barrett  1970年Madcap

狂ったダイヤモンド、シドのソロ・アルバム「The Madcap Laughs 」から。

生き方そのものが調子っぱずれで情けなく、行動も思い付きでいい加減、少年の無垢さと言うよりも子供の幼さだ(だからこその天才性でもあるのだが)。でもなんだか無視できない、捨てておけない、手を貸したくなる。とにかく破綻ギリギリの危ういところで楽曲としてアルバムとして体裁を保っている(またそれが魅力的なのだから困る)のはそんな仲間たちのおかげだ。一度はシドを見限ったロジャーでさえこの録音にプロデューサーとして参加している(今度こそ懲りたようで2度目はなかったけど)。思えばピンク・フロイドに最後まで影響を与え振り回し続けている訳だものな、シドは。

ここでお終い、また。

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2008年6月25日 (水)

おいっすっ!!

8時だヨ ! 全員集合」の特別番組があった。51c6nube7ll__ss500_s 新しいDVDの宣伝を兼ねた放送で、CMは異常に多いし、肝心のコントは切り刻まれて部分しか流れないし、ゲストは・・・とさすがTBSらしいいい加減な内容だったのだが、それでもドリフは面白いから困る。

ドリフはもちろん当時のスタッフたちの子ども相手でも手を抜かないプロの仕事ぶりには今更ながら感心する(「全員集合」本番直前のいかりやによる前説にはプロフェッショナルの「凄味」を感じさせられた)。それは自ずと大人でも楽しめるものにになるし(だからこそ子供への悪影響が心配された?)、時代を超えて支持される普遍性を持つようになるのだ。送り手と受け手の境界が曖昧で仲間内のノリや楽屋落ちのネタ、客いじりなどに終始する最近のお笑い番組とはレベルが違うのだ。

大物ゲストや当時の旬のアイドルたちの動く姿も貴重だが、「バカ殿」のドリフ・ヴァージョンは珍しかった(これはもう80年代に入っていたのかな、あまり記憶にない)。

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2008年6月24日 (火)

シャッフルでゴー 3

今夜もシャッフル!シャッフル!て、まぁ今夜も行きます。

1曲目「I'm Not SatisfiedFrank Zappa/The Mothers Of Invention 1967年61uzah8rbml__ss400_

また出ました、『Freak Out』から。

ちょっとフォークロックっぽいしザッパの声が如何わしさと能天気さを感じさせるが、詞の内容は人生に対する絶望だ。それも時代を超えたリアルな絶望だ。洒落にならないものを洒落のめす、つくづくザッパは肝の据わったお方だ。一聴すると「安全でオーケイな歌で、わざとそう作られている。」と言っておられる。

2曲目「I Can't Give Back the Love I Feel for YouJeff Beck Group 1972年41egbadowhl__ss500__3

通称「オレンジ」と言われるアルバムから。

ジェフは意外とロマンチストで、どのアルバムにもメロディアスなインストが入る。 個人的にはあまり好きではない。選曲されても飛ばしてしまう事が多い 。斬新さや突き抜けた感じがしないのだよ。彼のギターは唄があってこそ映えると思うのだが、どうでしょう?このアルバムも唄モノが最高、「りんご」(Beck-Ola )も大好き。

もちろん「Blow By Blow」以降も聴いてはいるけど、どちらかと言うとドラムがスゲェとかベースがカッコエエとかジェフ以外に耳が行くのだな、残念ながら。

3曲目「21st Century Schizoid Man King Crimson 1975年31fsrbdm69l__ss500__2

The 21st Century Guide to King Crimson, Vol. 1: 1969-1974 」から1974年プロビデンスでのライヴ録音。音源は「USA」と同内容。

60年代から70年代までライヴでは必ず演奏されたキング・クリムゾンの代表曲。しかも世界的に有名な曲でありながら演奏の大半がインプロヴィゼーションで埋め尽くされるというとんでもない曲だ。それ故、各時期のラインナップでの演奏の違いを知るための格好の材料でもある(例えば崩壊寸前でジャム的傾向を強めていったアイランド期クリムゾンの暴力的なライヴ演奏とか、イアン・マクドナルドのマルチな才能が発揮されるデビュー直後のライヴ音源とか)。中でも、歴代クリムゾンで最も即興部分の比重が高かった70年代の音源は人気があり種類も多い。この演奏もまったく遠慮のないジョンのベースがのっけから唸りを上げ、これまた自己主張の強いタイトなビルのドラムが煽る煽る、クールなボブもここはキレざるを得ない。爆音にウンザリぎみの繊細なデヴィッドも最後はやけくそだ。何度聴いても身体が熱くなるハードでヘヴィな名演だと思う。

ではまた。

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2008年6月23日 (月)

サラリーマンNEO Season3 #11

大小の定番ネタと新ネタ(男の岐路)が程良く盛られた久々のNEOらしい内容で大変満足。

そうか、「テクシー」は死語同然か、平泉成が演じると悲哀感が増すなぁ、八十田の心遣いが沁みる。「ジャン」、鬱陶しいのだが、ここにも何故か悲哀感が。生瀬勝久は(そのナイスなヘアスタイル含め)このキャラを完全に自分のものにしたな、あとはキャラが勝手に動き出すのを制御しつつ合わすだけ、次回以降が楽しみ。

サラリーマン体操」、中田有紀様の鞭捌き、NHKは(一部の)視聴者のニーズを良く勉強している、エライ。石渕聡の「化け物」ぶりもパワーアップしている。「就活一直線」、田中“いーちゃん”要次はヅラをかぶると別人だ。山西惇ほどクソミソの悪口を浴びるのが似合う奴はいない事を今回発見。「喫茶80's」、そう映画「ゴーストバスターズ」もレイ・パーカーJrも80年代気分を象徴する物だった。中田有紀は今回のNEOでは身体動かすだけでセリフなしか。

がんばれ川上君」、こういうエラそうな企業コンサルタントの講義を俺も受けたことがある。「声がでかい」「理論が強引」「突然人を指名する」等々、恫喝に近い講義は思い出しても腹が立つほどバカらしかった。演じる入江雅人がリアルなので本気で川上君を応援したぞ。しかし、「阿久悠→作詞≠搾取」はアドリブか?

金子さやか は何と言ってるのだろう?

そして、「男の岐路」。この種のコントは演技がきちんと出来る役者でなくては成立しない。緩急を巧く使い分けるマギーも良いが、中越典子の「含み」を持たせた演技がイイ!あれは男なら悔やんで当たり前。BGMの「炎のたからもの」(from『カリオストロの城』)も切ないな。毎度書くがNEOの女優陣はハズレなしだ(奥田恵梨華が日本一のヤンキー女優に成りつつあるが・・・)。

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2008年6月22日 (日)

千葉県佐原に行ってきた

水郷伊能忠敬で有名な佐原周辺、普段それほど意識することのない観光スポットだが、誘われて小旅行。これは行って良かった。東京からそう遠くない場所に歴史や文化の伝統を感じさせる古い街並みがこれほど残っているとは思わなかった。いやいや不勉強でした。

水郷周辺も観光地化(「十二橋めぐり遊覧船」の強引な呼び込みとかね)はしているが、まぁ許容範囲、旅先の風物として我慢できる程度のもので悪くはない。「あやめ祭り」開催中の佐原水生植物園も「植物園」としてきちんと管理されていて変にアトラクション強調路線ではなかったし、当日行われた「嫁入り舟」のイベントも仕込みではなく「本物」の新婦新郎による風情のあるものだった。054a_4 お幸せに。

佐原に到着してからずっと心に引っ掛かる記憶があって、なんと言うか、なかなか明確な記憶として表面に浮上してこないもどかしさを感じ続けていた。それが、遊覧船に乗っているとき突然はっきりした。今村昌平の映画『うなぎ』だ。撮影場所など鑑賞時には関心もなく意識もしていなかったのだが(作品もそれほど評価はしていない)、映画的記憶がこんなに根深かったとは思わなかった。いろいろなシーンや人物たちが鮮明に思い出せる、今更ながら今村作品の画面から放射されるエネルギーの強さにも驚いた。たまたま乗り合わせた家族連れの若い父親が「うなぎ」に反応して声を掛けてきた、おお同志よ、ちょっと(小さく)盛り上がってしまった。映画っていいよな。060a_2

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2008年6月20日 (金)

シャッフルでゴー 2

なし崩し的に新企画登場。

お約束
.毎回新たにシャッフルする。登場順で最低3曲以上、選ばれた曲は必ず論評する。

.ただし、同じアーティストが続いた場合は別のアーティストが出るまで進める。

.以前論評した曲は再び採り上げない。

では、今夜もシャッフル・ボタンをポチッとな。

1曲目「Sing A Simple SongChuck D,D'Angelo&Issac Hayes 2006年61sszyrcb6l__ss400__2

スライ&ファミリー・ストーン の歴史的名曲の数々を現役の一線級アーティスト達がオリジナル音源から再編集・再構築した内容のトリビュート・アルバム『Different Strokes by Different Folksから。

オリジナルも十分ボトムの低いダンス・チューンではあったが、ここでさらに低く重厚なファンクネスを感じさせるミックスだ。あまりにも有名なリフと絡みつくヴォーカルやラップが黒々としたぶっといグルーブを屹立させています。ありがたや、ありがたや。で、バッキング・メンバーをチェックすると、バーニー・ウォーレル、T.M.スティーヴンス、スティーブ・ジョーダンときたもんだ、黒くないはずがないな。

2曲目「Go Cry On Somebody Eles's ShoulderFrank Zappa/The Mothers Of Invention 1967年 61uzah8rbml__ss400_

言わずと知れた60年代ロックを代表するフランク・ザッパ率いるマザーズのデビュー・アルバム『Freak Out』から。

初心者は決して手を出してはいけない呪われた入門用(として紹介されることが多い)アルバムでもある。無理はせずに70年代ザッパから親しむのが吉、どーしても60年代マザーズというのなら『We're Only in It for the Money 』、もしくは『Absolutely Free』がお薦めだ。

しかし、ザッパの超人的音楽活動に魅せられ始めると、これほど興味深い作品はない。『Lost Episodes』等でマザーズ以前のザッパの音源を聴くと良く分かるのだが、彼はデビュー時点でもう十分出来上っていたのだ。ある意味『Freak Out』はそれまでの彼の集大成、過去の清算的内容でもあるのだ。現代音楽、黒人音楽、60年代初期のポップス、芸能的要素etc・・・当時のマザーズのメンバーの可能性や限界もこの時点で見抜いていたのだろうなと思う(ザッパ自身はすぐにでも次の段階に行きたかっただろうが)。その後のアルバムや活動で持てるポテンシャルのギリギリまで要求され続けるメンバーはさぞキツかったことであろう。

それはともかく、この曲はザッパが愛してやまないドゥーワップスタイルのポップナンバー。ザッパは「聴かない方が良い」と自身のライナーで言っているが、本心ではないな。

3曲目「MaroonedPink Floyd 1994年41kc2bdstebl__sl500_aa240_

ベスト・アルバム『Echoes』から。日本語タイトルが『』という名のアルバムに収録されているギルモアのギターがコブシをきかす「繋ぎ」の小品。

嫌いではないのだが良くも悪くも80年代以降のフロイドはオリジナルとは別物と考えた方がよさそうだ。

それでは今回はここまで、また。

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2008年6月19日 (木)

楽しい音楽生活 7 シャッフルでゴー

大容量の携帯オーディオに調子に乗って手近のアルバムから高音質でエンコードした曲を入れまくっていたら2000曲を超えた。ぶっ通しで聴いて一週間以上、てそんな時間が取れるわけはない。結局毎回シャッフルで再生しランダムで出てきた曲を出来るだけ集中して鑑賞するスタイルで消化していくことになる。しかし何が飛び出すか予想がつかないとイントロから集中することになり、聴き厭きた曲でも新鮮で新たな発見があるものなのだ。

それで、せっかくだから今ここでシャッフル再生して、出てきた曲に対してコメントしてみよう。

1曲目「哀しまないでウコッケイ」 柴草玲Koutafujin 2006年

アルバム『小唄婦人』から。

烏骨鶏の存在意義における誇りと哀しみについて歌う小品。カシオトーンの達人柴草による一人録音。

しかしこの曲が一曲目とは思わんかった。

2曲目「Blah,Blah,Blah」 SUPER JUNKY MONKEY Jacket_m1995年 

ミニ・アルバム『あいえとう』から(ベスト『SONGS ARE OUR UNIVERSE』にも収録)。

ファンキーでハードなサウンドと623のラップを取り入れたヴォーカル・パフォーマンスの融合が他のミクスチャー系と一線を画する独自性を完成させた作品。

リアルタイムで聴いたこのミニ・アルバムは強烈だった。タイトル曲の「あいえとう」もさることながら全4曲全てに新たな次元へ突き進もうとするバンドのパワーが溢れている。

3曲目「Jam Fan(Hot)」 Bootsy Collins 1979年 51z7btdhpzl__ss400__2 

2枚組ベスト『Anthology』から(アルバム『This Boot Is Made for Fonk-N』に収録)

ビギナーには意外と取っつき難いP-FUNK関連で一番理解しやすいファンク・イメージを体現している現役ポップ・アイコン。この曲でも長尺のワンコード・ファンクを最後まで飽きさせずに聴かせてしまう工夫とサービス精神には頭が下がる。

なんと言ってもギャングスタ・ラッパーでさえこの人の前では唯のガキに戻ってしまう強烈なキャラの立ち方は圧倒的で、個人的にも大ハマりの時期があった(来日公演で身体に触ったり握手したことがあるのだ)。

という事で今回はここまで、続きはまた(続くのか?)

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2008年6月18日 (水)

ジミ・ヘンドリックス

レコード・コレクターズ増刊 ジミ・ヘンドリックス455

1987年の初特集から2000年の4CDボックス『ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス~アン・リリースと&レア・マスターズ』発売時の特集までの5回の記事をほぼそのまま収録したアーカイブスだ。

1970年の死から今日まで膨大な情報が常に更新し続けられ(ネット社会になってさらに加速した)、イメージは多様化し、時代や世代を超えて人気の裾野が拡大していくジミ・ヘンドリックス。評価の基準も多様化した今では単にルーツ・ロックの代表的アーティストの観点からだけ評論しても無意味だ。レコード文化やそのアーティスト達の大系的な資料造り目指していた初期レココレの第一回目の特集ではその点が古臭く感じさせる(もちろん刊行当時は資料性だけで歓喜しました)。80年代という時代性もあるのかもしれないが、居酒屋オヤジの感想大会みたいな小倉エージ達の対談記事などに今日性という視点はほとんどない。むしろポップ・ミュージックのボダーレス化が急速に進行していく90年代以降の記事が単に資料的な面だけでなく音楽性や影響力などに踏み込んだ記事が増えていくのが興味深く面白い。ジミの遺族が経営するエクスペリエンス・ヘンドリックスやエディ・クレイマー達がカタログのリマスター化や発掘音源や映像のリリースに積極的だったのも、新しい時代、新しい世代、新しい価値観に向けてジミの音楽を良質な形で発信したかった事にあると思う。

数ある記事の中では、やはり常に今日的目配せがある大鷹俊一が良い(あまりにジミが好きなのでたまに「想い」が暴走して過剰な表現になるところもあるけど)。スタンスがはっきりしている湯浅学や小出斉(4CDボックスの全曲ガイドが圧巻)も好感が持てる。

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2008年6月17日 (火)

こんな映画を観てきた 15      わが青春に悔いなし

わが青春に悔いなし(46年)黒澤明NHK BS2 5/10Poster20no20regrets20youth20_post_2

数ある黒澤作品、さすがに全部無条件に好きなわけではない。中には苦手なタイトルもある。時代性(政治、社会、思想等)に関する余計な知識や理解を求められ、それによって評価の基準を上げたり下げたり補正する必要がある作品だ。社会的政治的フィルターは大衆芸術である映画の評価において避けられない要素ではあるが、フィルターが多すぎたりその偏光度が強すぎたりすると作品の本質を見誤る恐れがある。それが思想性に関する物なら尚更だ。

戦中や終戦直後、映画に体制や権力側に都合の良い思想性を強く求められた時代に制作された黒澤作品はまさにそれで、評価が難しいのだ。まだ普遍的な娯楽性を前面に出した『姿三四郎』シリーズや『虎の尾を踏む男達』は単純に面白さの理由を考えれば良いだけ楽なのだが、問題は他の作品だ。前に取り上げた『一番美しく』と今回の『我が青春に悔いなし』の事だ。

なんと言っても原節子に尽きますImg2967_5  

当時の困難な状況下で作らざるを得なかったとか、監督の思想性云々とか、戦時下から占領下での変節とか禊とか、戦中戦後という黒澤映画の歴史の中でも特殊な時代ということもあってか余計なエクスキューズが多すぎる。当時の時代的な状況を考慮しながら鑑賞しなくてはならない映画は歴史的価値はあっても単なる遺物にすぎない。より映画を楽しむために解説や資料などテキストの存在は否定しないが、作品自体が「黒澤監督の歴史」を語る為の資料になってしまっては本末転倒だ。

なんとかして後年の黒澤らしさを探し出そうと撮影や演出、編集など技術論に逃げ場を求め「ああ、やはり黒澤は素晴らしい」と言うのは可能だが、本当に「話」として面白かったのか、が問題なのだ。

あ、あれ?面白いな・・・

相変わらず大胆な映画的手法を取り入れストーリーよりも画面で魅せる黒澤節は炸裂しているが、肝心の「話」が借り物のウソ臭さを感じさせる。中流社会(=知識人)を舞台にした登場人物たちの造形が類型的すぎるのだ。「脚本家」でもある黒澤のフラストレーションがさぞ溜まったであろうことは想像に難くない。おまけにある種の居直りとしか思えない後半は観る者があっと驚く超展開、知識人は野に下れってか(当時どの方面から圧力がかかったか良く分かる)。主人公の行動は自分勝手で直情型、しかも行動力は超人的、ありえない…はずなのだが、原節子が凄いのだ。ブルジョワ我儘お嬢様から泥まみれの農村労働者まで、彼女の演技が映画的リアリティ(ホントのようなウソ)をこの作品に与えているのだ。特にど根性ぶりを身体中で表現する農村シーンでの彼女は素晴らしい。大柄で日本人離れした風貌だが意外と大地に立つ姿が似合うのだ。そう原節子という天性の映画女優がこの映画を時代を超えて面白い作品にしていると言える。Hara_setsuko

近年、小津映画によって作られた原節子のイメージが一般的になってしまったが、実はいろいろな引き出しのある、しかも何を演じても「原節子」としての魅力は失うことがない「大女優」なのだ、そうでなければ巨匠と言われる監督たちがあれだけ起用してはいないはずだ。個人的には黒澤作品『白痴』の那須妙子役の印象が強い。放映は7月だが楽しみだ。

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2008年6月15日 (日)

サラリーマンNEO Season3 #10

ゲストは香取慎吾、すべてのコントに出演するスペシャル企画だ。

慎吾が悪いわけじゃないけど、最後まで違和感が付きまとった。演技のリズム感が共演者と微妙にずれる。普段は周りに合わせてもらう事が多そうだし、周りを巻き込むほど強力なグルーブを持っているわけでもない。例えば一作目の『線路は続くよ』でファンキーな連打を繰り出す強烈なオバサンたち(宮崎美子&堀内敬子)に挟まれた男役、たしかに圧倒されなすすべもない雰囲気は出ていたが、それだけじゃダメなのよ。これを入江雅人が演じていたらどれだけコントがシャッフルしたかということだ。つまり、香取慎吾ありきで造られたキャラではなく、何処にでもいそうな一般サラリーマンが些細なことから歪み始める日常にどうリアクションするか、がこのコントの肝であるわけだから予定調和的な演技では満足できないのだ。

その意味では生瀬との絡みに絞り込んだ他のコントはそこそこ楽しめたのだが、もうこれはサラリーマンNEOの世界ではないな、慎吾らしさが出ていた『アイデンティティ』が一番良かったがレギュラー番組のコントみたいだったしね。

良くも悪くも芸能人「香取慎吾」のイメージが強烈すぎるのが辛いところだ。どうしてもサラリーマンのような一般人には見えない、何を演じても、「あの香取慎吾が…」という前提が付きまとう(そう思うと近藤勇にしか見えなかった『新選組!』の終盤は奇跡のようだ)。なるべく先入観は持たぬよう努力はしたのだが・・・ファンなら更に客観的評価は難しいだろうな(アンチもね)。

それでも、NEOという事を考えなければ、純粋にコントだけの番組に出る姿勢は評価できる(しかも本人の意思だそうだし)。また機会があったら(NEOじゃなくてもいいから)トライして欲しい。

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2008年6月14日 (土)

映画「イースタン・プロミス」

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前作『ヒストリー・オブ・バイオレンス』でヴィゴ・モーテンセンとクローネンバーグとの相性の良さに強く魅かれた。

ヴィゴが演じた冷酷な殺し屋(ジョーイ)としての過去を封印する為に己の「人間性」までコントロールするトムという役柄は、映画の最後まで観客(映画の中での主人公の家族たちにも)安易に彼が善か悪かの判断を許さない不気味な存在感を示す。その冷血動物のような風貌と演技はクローネンバーグ映画の質感にピッタリだった。

クローネンバーグの作品には感情を爆発する人間は描かれても、感情に支配されて暴力行動を起こす人間はあまりいない。衝動的に見えてどこか醒めている人間の暴力行動の理不尽で深い怖さがより生々しいリアルさを持って迫ってくる。その世界にヴィゴの演技は見事にシンクロしていたのだ。

(余談だが、公開当時読んでいたキングの長編『ダーク・タワー』の主人公ガンスリンガーがこのヴィゴと『リング』でのアラゴルン役のイメージを重ねたようなキャラでとても好きだった。映画化することがあれば、ぜひヴィゴでお願いしたいものだ。)

それで、このコンビがしばらく続くことを望んでいたので、今回の『イースタン・プロミス』には大変期待していた。なるべくフラットな状態で観る事が出来るように余計な情報はシャットアウトして(それでもいろいろ入ってくるのだよ、今の社会は)、行ってきました観てきました、公開初日!

いやぁ、映画って本当にいいもんですね~(by水野晴郎、合掌)

これはもう一回観に行かざるを得ない。内容についてはそれから記事にする。

サングラスが似合うな、必要以上に出しゃばらないナオミ・ワッツも良かったU3eqp3000002nt39

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2008年6月13日 (金)

キミ犯人じゃないよね? 最終回

ホントに最後までしょーもないドラマだったわ。

いやドラマは求めてなかったな、だから楽しめたのだ。

真面目に評論するのも馬鹿らしいのだが、ずぅーと引っ張ってきた主人公の記憶の秘密が何かの殺人事件に関連するであろう事は想像できたが、それが時空を超えた宇田川とさくらの因縁に帰結するとは思わんかったわ。ご都合主義にも程がある!(ほめてます)

お笑い系やアイドル、バラエティ系のタレントが登場せず、役者だけが演じるコメディはうまくはまると面白くなる。小劇団風の身内ノリになる恐れもあるが(特にテレビ局側のスタッフにその傾向が強そう)、今回どんな役でも「真面目」に取り組む貫地谷しほりのテンションが良いスパイスになっていて全体を引き締めていたと思うが、どうか?やっぱ、グダグダには変わりはないか。

いずれにしても、終了したのがちょっと寂しい、そんな作品だった。

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2008年6月11日 (水)

Mazerun3号@西荻窪アケタの店  2008.6.11

Mazerun3号0611_all_3

石渡明広 (g) かわいしのぶ (b) 湊雅史 (ds)
[ゲスト] 林栄一 (as) 石田幹雄 (p)

リズム隊がロック(爆音)経験者という事もあってダイナミック・レンジの広いメリハリのある演奏だった。このメンバーならではの楽曲の個性やグルーブ感も以前観たときよりも際立っていて、Mazerun3号というバンド(あえて“バンド”と言わせてもらう)であることの必然性を感じさせる。各自のソロを強調する形ではなく常にバンド全体で盛り上がることを目指すインプロヴァイズは素晴らしい(ゲスト二人の強烈な個性もバンドの魅力を高めこそすれ決して突出することがない)。それは、やはりリズム隊の資質のよるところも大きいと思う。この二人、ジャズ周辺でプレイすることに遠慮がなくなり、本来のロック体質を全開にするようになってきた。ベースはぶいぶい度がさらに増し、ドラムは(ジャズ用のシンプルなキットなのに)どかどか煽る煽る、大変好ましい。これからもぶいぶいどかどかと何処までも行っちゃって欲しいとぞ思う。

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2008年6月10日 (火)

見っけた!MARQUEE

ポイントが結構たまっていたので久しぶりにTOWER渋谷店で前から欲しかったDVDなど購入。目的買いだったのであっさりショッピングが終了してしまって何か物足りない気もあり、普段は滅多に寄らない1階(新譜や話題作、キャンペーン商品、レコメンド系など)と2階(J-POPだな)も覘いてみた。このディスプレイや陳列内容のごった煮感は俺にはトゥーマッチだな、と思いつつ興味深いCDを幾つか試聴、「ふむふむなるほど」と悦にいっていたら、見つけましたよ、MARQUEE最新刊!毎度立ち読みで申し訳ないと思いつつ関根史織のページをさっそくチェック、こ、これはイギリス王道ジャズロック、コロシアムではないか!う~む、史織恐るべし、というか周りに話が合う人おるんかい?

で、時間もあったので、関根以外のページも見てみた。プログレ専門誌だった頃の残滓があちこちに見うけられてちょっと嬉しい。そういえば編集方針が変わってもしばらく買い続けていたおかげで知ることが出来たアーティストも多かったことを思い出した(クラムボンとか)。

でも購入したのはレコード・コレクターズ最新号なんだけどね。

そうそう、そのレココレの増刊号アーカイヴズ3は丸ごとジミ・ヘンドリックスなのだ。/19発売という事だが、これは楽しみ。ジミヘンは大好き過ぎて(書きたいことが多過ぎて)なかなか記事に出来なかったのだけど、これを機会に書いてみようかなとは思っています。

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2008年6月 9日 (月)

人間共の神話 山上たつひこ

人間共の神話 山上たつひこ単行本未収録傑作選332077486_4

71年の『旅立て!ひらりん』の頃に書かれた「晦夜」を除けば、収録作は全て『喜劇新思想体系』執筆時期の作品だ。

これは非常に興味深い。

惜しいことに未完のまま終了した山上流戦後新思想体系『人間共の神話』を始めまさに裏『喜劇新思想体系』と言える内容だからだ。

読み込んだ人なら分かると思うが、『喜劇新思想体系』にはそのエロでグロい過激ななギャグの裏にシニカルでペシミスティックな山上の視線を感じさせる部分がある。それは作者の根本的資質であり隠しようにも隠しきれず滲み出てしまうものだと思っていた。つまり直接的な表現の場所が無くなりギャグの世界に形を変えて表現してるとね。

違った。

同時期にこれだけ吐き出しているとは思わなかった。しかもかなり直接的な描き方だし・・・むしろガス抜きする場があったからこそ強烈なテーマをうまくギャグに転化できて『喜劇新思想体系』が描けたのかもしれない(それでも十分強烈だったが)。

若かりし頃の師匠(?)を彷彿させるキャラが主人公の『晦夜』も含めて『喜劇新思想体系』を想起させる登場人物がいくつか登場するが、『王道楽土の落日』はそのまま『喜劇新思想体系』に収録しても違和感がないぐらい「まんま」だ。警察官だったり軍人だったりするこの種の主人公や登場人物は山上作品に良く登場する。余計なものをそぎ落としてエッセンスだけで造り出したものが『イボグリくん』シリーズかもしれん、と今思いついた。

それにしても今回の未収録傑作選シリーズ刊行の意義は大きい。資料的価値は勿論、今まで影響の割にはきちんと論じられる機会の少なかった山上漫画の再評価のきっかけにもなると思う。「ユリイカ」あたりで特集しないかな。

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2008年6月 8日 (日)

THE JACK AND JIM SHOW Live in Japan 2008 @新宿 PIT INN 2008.6.6/6.8

THE JACK AND JIM SHOW Jj01

一応紹介しておくと、60年代ザッパ・バンド(マザーズ・オブ・インヴェンション)のオリジナル・ドラマーであるジミー・カール・ブラックと知る人ぞ知るギター怪人ユージン・チャドボーンのユニットの事だ。

ライヴは6日はキャプテン・ビーフハート・ナンバーを中心、8日がザッパ・ナンバーを中心という構成で行われた。

ジミーのドラムに音楽的広がりやテクニックを求めるのは無理な相談で、予想通り単調なリズム・パーターンが催眠効果を誘発させる非常に緩い雰囲気でライヴが進む。でも嫌いじゃないな。なんといってもユージンが見せる聴かせる楽しませるで大活躍。ビーフハート・ナンバーでのブルース色強い演奏から、バンジョーでのアシッド風味溢れるブルーグラス、カントリー風演奏、そして時折シャープに切り込むアヴァンギャルドなソロ、聴き手を覚醒させるノイズ、そしてボーカルまで・・・でも基本は緩いのが逆にたまらんのだ。ザッパやビーフハート・ナンバーに対してはもちろんだが音楽に対する敬意を感じさせるのが良い。ザッパ・ナンバーでは『We’re Only In It For The Money』からの曲が多かったのが個人的に嬉しかった。あと「My Banjo Wants To Kill Your Mama」があまり受けていなかったのがちょっとカワイソ。

ザッパやビーフハート以外の曲も何曲か演奏したのだが、ザッパのセックス・ライフに言及したらしい曲は言葉が分からないことがもどかしかった。 あと6日のアンコール曲はニール・ヤングの曲だったけ?ユージンの声質がニールに似ているのだよね。8日のラス前の曲もタイトルが思い出せなくて・・・ボケ症候群か。

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2008年6月 7日 (土)

こんな映画を観てきた 14       虎の尾を踏む男達

虎の尾を踏む男達(45年)黒澤明NHK BS2 5/9Bf8202716ddd75ed00df7969175d2c7c_2

無い無い尽くしの終戦直前に企画された黒澤4作目。フィルムの確保が難しくあまり尺の長い作品は作れない、ということで(当時の)日本人なら誰でも知っている歌舞伎の演目『勧進帳』なら話の前後をばっさり省略しても問題ないし、なんと言っても「山場」だけで映画が撮れる。しかも主従の絆を描いているので軍部の検閲も問題がなかろう(逆に戦後GHQの検閲に引っかかってしまうのは皮肉だが)。

と、苦肉の策で制作されたと思われる『虎の尾を踏む男達』だが、黒澤が非凡なのはこの古典の世界に榎本健一(エノケン)演じる強力を登場させたことだ。

歌舞伎の舞台そのままに再現しても結果が分かっている物語であるだけに意外性がなく映画的面白みに欠ける。かと言って、極端な改変は物語の魅力を貶める。そこで考え出されたのが、当時の日本の大衆意識を象徴する第三者「強力」の投入だ。

強力の存在は物語の大筋に何の影響も与えない。彼がいなくても義経主従は無事に安宅の関を通り抜けたであろうし、富樫は男を上げ、弁慶は舞を舞ったであろう。しかし、強力の第三者的視線があるからこそ、観客はより身近にそれぞれのエピソードを楽しむことが出来る。そうあたかも観客自身がその場に居合わせているように、豪放磊落で豪傑のイメージの弁慶が見せる統率力と人間性に魅せられ、富樫の心の動きにハラハラしその決断に喝采する、梶原の使者(久松保夫が良い)の蛇のようなしつこさに辟易し、義経公の美しさに息を飲む。そこには映画的楽しさが満ちているのだ。

しかも、この強力役が当時の喜劇王といわれたエノケンであることが、堅苦しくなりそうな映画に軽妙なテンポをもたらし、笑いの要素が観客の共感をさらに強めたのだと思う。誰もが一度は真似したであろう「六法を踏む」見せ場を弁慶ではなく強力が見せたことはまさに観客一人一人の代表である榎本健一の面目躍如たる場面だろう(こけるし)。

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2008年6月 6日 (金)

キミ犯人じゃないよね? 第9話

2008060300000018oricentview000_2  主役とはいえ『ちりとてちん』は群像劇みたいなものだったし、どうしても「脇」というポジションの演技が染み付いてしまっているような印象もあった貫地谷だが、ここへきて主役が張れる旬の女優の輝きが出てきたようだ。たまに要やいっけい等のバカ演技や小川奈那のアレに持ってかれることはあるが、基本的に貫地谷が画面の中心にいてドラマを牽引している。まぁ贔屓目があることも確かなのだが、彼女の過去の作品を知らない新しいファンが付いてきている気がするのだ。最近はブログやら何やらで芸能人に対する情報が過多になり、評価の基準が「芸」や「演技」に対するものではなく「私生活」や「性格」はては「人間性」に対する好き嫌いで判断されることが多い(しかもその情報が「芸」や「演技」以上に虚構であり妄想であるかも知れないのにだ)。だから予備知識なくまっさらな状態で彼女の演技を見て魅かれる人が多いという事は女優として正しい評価のされ方であり冥利に尽きることではないか。

それはさておき、

密室殺人とかアリバイ作りとか、今回も強引でリアリティの欠片もない小林信彦言うところの「バカ推理」全開の内容で安心して楽しめた。要と貫地谷のコンビも絶好調であと一回で終わってしまうのは惜しいなと思うが、主人公の意味ありげな記憶の断片にまつわる謎をどう回収するのか、このドラマに初めて「何か」を期待せざるを得ない来週の最終回だ。たぶんどーでも良い内容になるな、キミ犯だし、それもまた良し。

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2008年6月 5日 (木)

『関根史織@MARQUEE』の事

買う気はない(立ち読みで済ます)ので真剣に探す気もない俺も悪いのだが、MARQUEEがどこの店にも見当たらない。もともと在庫していないのか入荷部数が少なく売り切れか、どちらにしろ販売部数的には厳しい状態にあるんじゃなかろうか、余計なお世話ではあるが(思えばプログレがメインの雑誌であったFOOL'S MATEやMARQUEEがそれぞれヴィジュアル系と渋谷系の専門誌にシフトしたときは驚いた、いやがっかりしたものだが・・・)。

そんなわけで、『関根史織@MARQUEE』のシリーズはなし崩しに消滅させることにした。

ま、もともとプログレは好物なので折にふれて取り上げていくつもりだ。しかし最新号で関根史織は何を紹介していたのだろう?流れから考えるとニュートロルスかオザンナか、それともイタリアから離れてフランスやドイツ(これはなさそうだ)もしくはイギリスに戻ったかな。

彼女自身は趣味の音楽とバンド活動は別物と割り切っているようだけど、あまり我慢すると精神衛生上よろしくない気がする。いずれにしろ、今後の活躍に期待しています。

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2008年6月 4日 (水)

つんつるてん 山上たつひこ

857d31e29fa06aa56083a110__aa240___2 この第5巻 で今回の撰集も終了する。単なる懐古的なものではなくこの時代だからこその再評価を得て欲しいのだが、反響はどうなのだろう。売れてくれれば次もあるかもしれないし…

体は犬だが「目」が半田溶助な『あるぷす犬坊』は言わずもがな、続く『岩風呂くん』と『えら兄ちゃん』も半田溶助シリーズのバリエーションだ。“諸般の事情”で収録が見送られた『女狩り』の代替えとも言えるかもしれない。

少年誌に掲載されたとは思えないストレートなエロいギャグが炸裂する『あるぷす犬坊』も楽しいが、久々に読んだ『岩風呂くん』には笑わされた。温泉旅館を舞台にした話なのだが、テンポの良い展開もさることながら従業員のリアルな濃い顔のキャラ造り最高だ。この頃が『喜劇新思想体系』あたりから始まった山上らしい「ペン先の強弱で太めの描線を描き分ける」作画タッチの完成期ではないかな(このある種の劇画的な泥臭さが80年代に入ると洗練された均一な描線になって薄まっていくのだが、それはそれで味わいがある)。

岩風呂くん』にも登場しているが、この頃の山上漫画のあちこちにさりげなく書き加えられているウサギは当時の山上が実際に自宅で飼っていた動物だ。かなり可愛がっていたようで、主人公として漫画も描いている。それがここに収録されている『ラビットくん』だ。関西弁を話すウサギとネコたちの繰り広げる漫才か新喜劇のような短編だが、この当たり前のように人間と会話をする動物たちという設定は山上ワールドの重要な要素の一つで私にとっては非常に魅力的な世界だ(『がきデカ』でも栃の嵐とその息子が大好きだった)。

80年代の過激な山上漫画での二等身首無しキャラはいつ頃から使い始めていたのだろうか?以前から気にはなっていたのだが、収録作品『ゴムゴム』の76年が最初期になるのかな。『あるぷす犬坊』と同時期か、うーむ。79年の『つんつるてん』で80年代に続くキャラ設定の確立といったところかな。この頃は普通のキャラと混在しているので主人公周辺を際立たせる為の設定という使い方だが、後年は登場人物ほぼ全員二等身キャラになってしまうのだ(ああ、『金瓶梅』をどこかで復刻してほしいなぁ)。

撰集シリーズはひとまず完結だが、7月上旬に『光る風』が刊行される。編集長のブログによれば「これまでのソノラマ版、山上選集版(双葉社)、ちくま文庫版とは、かなり印象の違うものになりそうです。」という事なので期待できそうだ。ちなみに『中春こまわり君』も同時発売。

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2008年6月 1日 (日)

サラリーマンNEO Season3 #9

史奈の「スタミナそぼろ納豆ごはん」(withエプロン)、めちゃくちゃ喰いてぇ~!

というわけで、今週のNEO。今回は濃厚な味付けのものがほとんど、あっさり系が好きな方にはキツイかもしれない。

雨が降る夜に』 ─ 雨の中に捨てられた子犬のような男、憐れと思い関わりを持つと…これがまぁとんでもない狂犬。前回同様、相変わらず暑っ苦しいイケテツの演技だが、もう慣れた。どんどんエスカレートして血管がブチ切れる限界まで挑戦して欲しい。しかし「人事」と書いて「ヒトゴト」とは、一度でも振り回された経験がある者には重い喩えだ、くそっ。

大河内徹のウエディングベルが聞こえる』 ─ 田口浩正にとって大河内役はもう大事な持ちネタの域にまでなった。毎回次第に過剰になる表情や演技は好みの分かれるところか、でも俺は好き。宮崎美子の脇役なのに印象に残る存在感が気になる。ひょっとして大河内と「何か」起きるのか?

セクシィー部長』 ─ これはひとつの様式美というか、繰り返しの妙というか、毎度ワンパターンではあるが、状況設定や相手役女優の変化から生ずる大小のズレを楽しむ内容になってきた。例えば今回の「立ってられない~」はいつもよりグッときたとか、方言が変だとか、部長の腰のキレがいつもと違うとか・・・そしてなんと言っても今回の相手役女優がどうだったのか、という事だ。その意味では今週も大満足させてもらった。今シーズンから参加の堀内敬子は出演するごとに存在感が増している。飛びぬけて美人というわけではないのだが大人の色気を感じさせるのだ。

そうだ、最後の落とし役、やっぱり八十田勇一のとぼけた味わいが一番だな。「ソース」はアドリブなのかな?

 

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