パンズ・ラビリンス こんな映画を観てきた 7
(前置きとして、昨年の公開時に掲載した記事を一部修正のうえ再録します)
〈何年か前、ホラー映画を何本かレンタルした。一通り観て返品したあと、妙に心にひっかる作品があった。不気味さと悲しさと残酷さ…とてもホラー映画の括りに入らない奇妙な後味。残念ながら監督の名までは注意していなかったし、タイトルもうろ覚え。しかし、その後もこの作品のイメージが突然心の深いところから浮上してくることが度々あって、自分の無意識レベルまで届いていたのかと驚いた。
昨年、劇場で「パンズ・ラビリンス」を鑑賞している時もこの作品が心に浮かんできた。同じだ、まるで姉妹のような作品だ。スペイン、ファシズム、子ども、閉鎖された環境、無残な死、そして残酷なファンタジー。ひょっとしてこの監督は・・・。
デル・トロの作品は「ミミック」「ブレイド2」「ヘルボーイ」と劇場で鑑賞する程度には好きだった。奇妙なクリチャーが登場するアクション映画が得意で、ハリウッド映画にしては多少作家性(ピーター・ジャクソンと似た)を持つ監督だな、程度の認識だった。だからヨーロッパやアメリカで質の高い作品に対して贈られる賞を受けている「パンズラビリンス」が彼の作品と知った時はちょっと違和感を感じた。
ギレルモという名がもう少し日本人に覚えやすい名前だったら、デル・トロがラテン系ではありがちな名字でなければ、もっと早く気が付けたかもしれない。
ギレルモ・デル・トロは私の心に深く印象を残した「デビルズ・バックボーン」の監督でもあったのだ。パンフレットでその事実を知った瞬間、すべてが腑に落ちた。
幻想と現実、生と死、破滅と再生、それらが混然となった作品世界は考えてみれば彼の作品に共通した要素だ。
独特の死生観を持つメキシコで生まれ、アメリカ製のコミックや映画で育ち、ゴシックホラーやファンタジー、日本のアニメや漫画も大好きという彼が、その作家性を全開にしてヨーロッパはスペインで作り上げた作品が「デビルズ・バックボーン」と今回の新作「パンズ・ラビリンス」なのだ。〉
ネットや雑誌でいろいろな感想、批評を読んだ。「少女の冒険ファンタジー」風なパブリシティーのせいで余計な先入観や期待を抱かせてしまったことが悪い方に作用し「否」が「賛」よりも多いのでは懸念していたが、意外なほど好意的意見が見うけられた。
楽しいファンタジーの期待は裏切れたが、(リアルな暴力シーンやグロテスクなクリチャー等生理的感覚的に受け付けられない要素はあるにせよ)作劇や場面構成の巧妙さに惹き込まれ、加えて「投げっぱなし」のラストシーンに困惑し、なんとか自分なりに理解し納得するために努めている、そんな感想や批評が多かったようだ。
自分なりに理解し納得するために努める。それは、この作品の時代背景、民族的な宗教や家族に対する概念や死生観、深くは語られていない登場人物たち(特にヴィダル大尉)のバックグランド、「妖精」「試練」「王国」など伝説や伝承に普遍的に登場する要素の意味など、それらを理解するために情報を集め知識として活かし、さらに納得するために想像力を巡らす、ということだ。そして、オフェリアに訪れた(現実世界では)悲劇的結末についても、自分なりに「答え」を見出すことが出来るのだ。しかし、その「答え」は絶対なものではない。一人一人が違うのはもちろん、自分の中でさえ時間とともに変化する可能性があるものなのだ。
それで良いのだ。解釈の多様性がこの映画の魅力であり、そこに至る過程こそがこの作品を最大に楽しむことなのだ。いわばこの二次的な楽しみ方が何度もこの作品を観たいと思わせる要因になり、忘れ難くさせているのだ。
以下、自分なりに思うこと(ネタばれあり)
主人公オフェリアが創り出した(または呼び寄せた)ファンタジー世界とは別に、この軍隊の駐屯地とその一帯はヴィダル大尉にとっても妄想(=ファンタジー)の王国であったのだろう。
絶対的な「父」なる者(それは独裁者フランコでもあり、実の父でもある)を中心とした規律と力による支配。その価値観にそぐわない物、逆らう者は徹底的に排除処理される。儀式のように執り行われる髭剃りや拷問の場面、宴席での時計にまつわる逸話を否定するような第三者には触れさせない聖域の存在、超人的な活力や強運、それはまさに妄想(=ファンタジー)の王国であり、自身が「父」になることで完璧に完成するはずの世界であった。
その世界の、事もあろうに最も深い所に紛れ込んだオフェリアという異物。規律を乱し、逆らい、異質な世界を持ち込み、あろうことか「父」なる自分の証である息子まで奪おうとする。そう、これは少女でありながら母性的なものを代表するするオフェリアと全てを支配することを望む「父」ヴィダルとの衝突の物語ともとれるのだ。
オフェリア役のイバナ・バケロはギレルモ・デル・トロ監督から参考にとコミック版「風の谷のナウシカ」(映画版ではないことが重要)を渡されたということだ。ひ弱で儚く決して超人的な活躍が出来る訳ではないが、彼女もナウシカ同様たった一人で世界と対峙したのだ。そして彼女は・・・
結末の解釈は観る側に委ねられたが、一つだけはっきりしていることがある。
ヴィルダ大尉の望んだ王国は完成しなかったということだ。彼自身も含めて完全に破滅してしまったのだ。現実世界では苦い結末であったが、その意味ではオフェリアは勝利を手にしたとも言える(彼女の母の「子」も父のような人間には育たないはずだ)。
個人的には、オフェリアは地底の王国の姫君であり「役目」を終えて帰還したのだ、と信じたい。
以下補足
二つ目の試練で、オフェリアが我慢できずに食べ物に手を出してしまうのは、その衝動的な欲望を喚起させてしまう「罠」も含めての試練なのだ、という事に理解が及ばない意見が多かった。「しゃべってはいけない」「振り返ってはいけない」「名前を呼んではいけない」等々、伝説・伝承の類にはよくある設定だ。
初期構想ではもっと幼い少女が主人公だったが、イバナがオーディションに登場して監督がほれ込み、年齢設定を上げて脚本を書き直したそうだ。分別のある年頃だからこそ過酷な現実が辛く厳しく描けたわけで、もうこの年齢でしか成り立たない気がするが・・・幼い少女というと「トトロ」のサツキやメイあたりか、もっと(まっとうな)ファンタジー色の強い初期構想だったのかな?興味深い。
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コメント
TBありがとう。
「風の谷のナウシカ」の実写アニメ化は、ジブリが許諾するかどうかわからいけど、誰が映画化するんでしょうね。
日本ではVFXの山崎君が、さかんにオファーしてますけどね。
投稿: kimion20002000 | 2008年5月 2日 (金) 15時09分
kimion20002000さん
こちらこそありがとうございます。
ナウシカ実写版ですか・・・
かなり金のかかりそうな企画ですから、世界的成功が見込まれるスタッフ、キャストでないと実現不可能でしょう。かといってハリウッド資本は柵が多そうですから欧州と日本の共同出資で、て私が真剣になってどうするってことですよね。
「三丁目」の山崎貴監督は次の作品が正念場でしょう、評価はそれからです。
投稿: kussy | 2008年5月 3日 (土) 11時33分