« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »

2008年3月

2008年3月31日 (月)

アニメ映画「ベルヴィル・ランデブー」

メモ代わりに記しておく。0069

公開当時は観たかったのに、劇場までは足を運ばなかった作品は多々ある。そのうちに記憶の底にしまわれて、めったなことでは浮上してくることがない。このアニメ映画もそんな存在だった。それが先日、知らずに選んだテレビ・チャンネル(BShi)で偶然出会ったのだ。冒頭の一瞬の画像を見ただけで、すぐにこの作品の記憶が浮上してきた。素晴らしい美術と画面設計、極度にデフォルメされた人物設定・・・等、このアニメに関する興味が瞬時に蘇った。それで(冒頭部分が2分ほど観れなかったのは残念だったが)、この偶然に感謝しつつ集中して鑑賞することにした。

ところがだ。ラスト近くのクライマックス・シーンで放送事故が起きやがった!(約2分間のピンク色の画面、一瞬自分のテレビや受信機が故障したのかと思った)

うひょー、これは生殺し、というやつだ。作品が期待以上に傑作だったのに、何とも中途半端な気持ちで、自分の中で完結しない(くそ、このやろ、NHK!この精神的苦痛をどうしてくれる、謝罪しろ、金返せ、とテレビに向かって毒づいたところで、空しいだけだし)。

まあ冒頭の2分ほども観れなかったわけだし今度レンタルで再見するか、と思い始めていたら、NHK偉い!というかクレームが多かったのだろうな。

アニメ映画劇場 「ベルヴィル・ランデブー」
4月20日(日)16:30~17:51
(3月30日放送分の再放送になります)

といことで、今度は録画バッチリで、頭から最後まで鑑賞したうえ、感想記事をアップする予定です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月30日 (日)

マダムギター長見順 春ツアー@高円寺ジロキチ 2008.3.29

メンバー:長見順g,ロケットマツp, 梅津和時as, 片山広明ts, かわいしのぶb, 岡地曙裕dJirod_2

これは楽しいライヴだった。長見順はいつもそうなのだが、彼女自身から歌い演奏する喜びが溢れ出ていて、参加メンバーは勿論、我々観客にもその歓喜がダイレクトに伝わり特別な一体感が味わえるのだ。

しかしこれは酒が進む音楽だ。今日は若干二日酔い、面白かったなぁ!

前座に出た弾き語りの若いミュージシャン、かなり良かった。名前を忘れてしまったのだが、また聴いてみたい。会えるチャンスはあるかな? 

3

| | コメント (0) | トラックバック (0)

石渡明廣セッション@西荻窪CLOPCLOP2008.3.28

013ab石渡明廣(g)、かわいしのぶ(b)、福島紀明(dr.per)、古澤良治郎(dr.per)によるセッション・ライヴ。

第一部は即興演奏、とはいってもドラマーが二人いることからもわかるようにリズム主体のグルーブ感あふれる内容だった。かわいしのぶが要所要所でリズムのキーになるフレーズを作り出し石渡のギターが色を加え音の場を広げていく。福島のドラムは基本のビートをタイトに叩き出し、古澤がポリリズム的アプローチでそれに切り込む。全く飽きない、適度な緩さが良い方に作用している。タイトルからして「温度差あり過ぎ」と「温度差なし」だからな。

2部は一転してかわいしのぶの歌から。初めてこの声を体験する人はどういう感想を持つだろうか?「チャックから何か出るうた」(タイトル失念)「サランラップのうた」2曲、それでも破壊力満点。来月のマドモアゼル玲とシノブプレのライヴが楽しみだ。

その後ゲスト参加で2曲、正直一部のような即興演奏を聴きたかったが・・・。そして早く終了したがる古澤を説得しつつロック調の演奏で終わり。

福島紀明氏のドラムは初めて聴いたがなかなか良いではないか。古澤さんの弟子筋になるのかな。タイトで切れのあるプレイ、本人のサイトを見たらスチュワート・コープランドが好きみたい、ふむふむ。

かわいしのぶさん、久しぶりに拝見したが、相変わらずぶりぶりとよい音を出しておられた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

さかなのうた

遅ればせながら「発見」した。

ある女性が大学の卒業制作で制作した動画、楽曲も含めて全て一人で創りだした作品だ。

〈再生中に右下のアイコンクリックでフルスクリーンになります〉

二月ごろニコニコ動画にアップされて話題になっていたそうだが、先日NHKの『つながるテレビ@ヒューマン』で紹介され更に注目されるようになった(その週に限って観なかったのが悔やまれる)。私が偶然「発見」出来たのは2chの音楽系スレッド(なぜかプログレ、変拍子スレ)のおかげだが、個人がネットで発信した情報(作品)がたった一ヶ月ほどでマスに認知されていくスピードには今更ながら驚く(また、一人の力でもここまでの作品が作れるというパソコンの周辺ツールの進化にも)。

しかし才能自体にはネットもツールの進化も関係ない。むしろ昔よりシビアになっているかも知れない。「やればできる」「いざとなればできる」などと未完の大器を気取っていられないのだ。もう独りで、もしくは狭い仲間内でこつこつと才能を磨いていればきっと誰かが評価してくれるという夢は見れない。しかも積極的に発信するスキルがあったとしても、いきなり第三者のシビアな評価にさらされる。独創性や完成度が求められ安易な模倣は許されない。お互いの傷をなめ合ってくれる仲間はいないのだ(まぁ、そういう人向きの“閉じられた”サイトもあるが)。

この状況は、表現者にとって良いことなのか悪いことなのか。

今は純粋に「自分」を知って欲しいという欲求から発信されている作品がほとんどだが、そのうち「大人の事情」というか第三者の思惑が入り込んできて「したたかで」「あくのつよい」「ねらった」作品が増えて来ることになるかもしれない。デリケートな人の内面や感情を反映したこの「さかなのうた」のような作品が今後も登場してくることを期待はしているが・・・

作者のサイト、ギャラリーの設計用イメージボードとかキャラ設定とか、ほとんどプロのようだ。好きなゲームに「ICO」を挙げているのにはなるほどと思った。http://ao-den.com/index.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アリス・クーパー@新木場Studio Coast 2008.3.25

見よ!この雄姿C0069039_12455429

期待はしていなかった。ザッパ繋がりの人だし、「キラー」や「スクールズ・アウト」「ビリオンダラー・ベイビーズ」等、初期のアルバムは良く聴いたが、所謂HM/HR の文脈で語られる80年代以降の彼にはあまり興味はなかった。

ベテランアーティストにありがちな昔の名前で出ています系の顔見せ懐メロライヴか、オジーのように皆が生温かく見守る御達者ライヴか、ま、悪くても昔の知っている曲とお約束パフォーマンスが楽しめればいいか、ぐらいのノリで観に行ったのだ。

いやーこれは良い期待外れ。

60歳のこの還暦オヤジ、まだまだ現役バリバリのロック・ミュージシャンではないか!若いミュージシャンをまとめ上げ楽曲やパーフォーマンスのクオリティを高い水準に保っている。たぶん徹底したリハーサルを課しているのだろう、それはHM/HRの様式美とまた違う演劇性の強いものだ。本人も含めてスタッフやキャストが「アリス・クーパー」という舞台に本気で取り組んでいるのだ。

音楽性もスタイルも違ったものになってはいるが、やはりこの人もザッパの遺伝子を引き継ぐ男なのだ。

知らない人もいるかもしれないので、ザッパとの関係を少し・・・

ザッパ本人のオーディションを受け、69年にザッパのストレートレーベルからデビュー。当時のアリス曰く、「ラヴ・ジェネレーションに最期のとどめを刺したのが俺たちだ。ピースだとかラヴなんてものにはうんざりしてた。そこに俺達が登場したわけさ。ジム・モリソンが死んで、次はアリス・クーパーの出番さ。アリスはもっと過激だった。まさにスレッジハンマーだ。」

ショック・ロックとも言われていたその音楽は能天気なロックンロール調だが、実は多量の毒を含んだ社会風刺性の強い内容だった。「死」の概念を大きく取り入れた演劇性の強いステージ・パーフォーマンスをも含め当時のザッパが気に入ったことは今となればよくわかるし、アリス自身もザッパの影響を認める発言をしている。

「ぜひレーベルにといわれたときは嬉しかった。だって、ザッパには凄く影響を受けていたから。まさに天才だよ。彼は地球上で最も過小評価されているギタリストだ。おれの知る限りベストだ。そんな彼が俺達を欲しがるなんてショックだったよ」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月29日 (土)

ちりとてちん 最終回

「落語家」若狭から、「娘」であり「おかみさん」である喜代美に戻り、そして最後は「母」の笑顔で終わった。B_1920a

本当に面白かった、楽しかった。

良い企画、良い脚本、良い役者、良い演出・・・当たり前のことだが、映画もドラマもそうじゃない作品が多すぎる。役者の名前や原作の人気に頼り、メディアの宣伝至上主義が横行する、作品本来の質の高さで人を惹き付けようとする姿勢はほとんどない。

役者の好き嫌い、原作の再現性への拘り、そして観る前から刷り込まれる「泣き」や「笑い」を確認する為だけに観るわけではない者は、良い作品を出会うために苦労するのだ。

それでも映画なら多様な情報を参考にしてこちらから選んで観ることが出来るが、テレビ・ドラマではそうはいかない、とりあえず観てみるしかないのだ。矛盾しているが、結局、役者や原作、宣伝で興味をもつしかないのだ。そして数多くの「ハズレ」を引き、時間を無駄にする(期待が大きすぎるほどハズレが多いのだ)。だから、たまに数少ない「当たり」を引いた時の嬉しさは格別だ。

「ちりとてちん」も最初は貫地谷しほりに対する興味だけだった。同じ動機で観た「風林火山」が当たりだったので、ひょっとしたらと観始めたわけだが、正直それほど期待はしていなかった。

そしてこれがどんなに「大当たり」だったかは、このブログの連載を読んでいただければ分かってもらえると思う。「物語」の質が高ければ「人」を惹きつける、単純だけど実は一番難しい課題に挑戦して素晴らしい結果を出したスタッフやキャストに感謝したい。

ありがとう。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年3月28日 (金)

ちりとてちん 第150回

終わりが始まりFri_1_s

「お母ちゃんみたいになりたい」か・・・

今となれば、第一週の内容がこの作品全体のテーマを内包していたことが良くわかる。

印象的な場面、セリフ、小道具の小物に至るまで、その後半年続くドラマ全体に大なり小なり影響を与えていく。

その基盤と言うか設計図と言うか、それを基にしたエピソードの絶妙な配置具合、長いドラマを見事な構成力で魅せてくれている。

それにしても、若狭の「愛宕山」はもちろん、一門の落語を何時かじっくり聞いてみたいなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月27日 (木)

ちりとてちん 第149回

無くてはならない名脇役Thu_2_s

「(人の為に)毎日続けるということは、それだけでスゴイこと」、熊五郎がいいこと言った。

「(箸のように)無くなって初めてわかる『ありがたさ』」、糸子がいいこと言った。

「人にライトを当てるのも素敵な仕事」、順子がいいこと言った。

ああ、そうなんだ、このドラマは「主役」の活躍を描くわけではないのだ。人はそれぞれの人生の「主役」ではあるけれど、人との関わりにおいては「脇役」であることも大事なのだ。一人一人が名脇役であることが、一人一人の人生を輝かせるのだ。

たとえがナンだが、良質の素材を集めて煮込んだ鍋は、それぞれの食材が良いダシを出しスープを豊饒な味わいにするが、食材もそのスープを吸収することで旨味が増す。メインの食材でさえ例外ではない。

仕込みから半年間、火加減に気をつけてじっくり煮込んだ「ちりとてちん」という作品の目指すところは、良質のスープでだけではなく多様な食材の旨さを知って欲しいということだろう。

しかし、残ったスープはどうするのか、ご飯でおじや?うどん?

いいこと書こうとして、少し破綻してきた(腹が減ってきた)。

癖はあるけど良い食材、一緒に頂くと更にオイシイThu_3_s

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月26日 (水)

ちりとてちん 第148回

「小次郎」の遺伝子080324chiri_26wed

親族が集まり昔話をすると、必ず話題に上る「小次郎」タイプの人物がいる。

若い者が遊び事や芸事に現を抜かしていると、「隔世遺伝」とか「この子に『血』が現れたか」とか言われたりする世代を超えた「人気者」、顔も見たことのない過去の親戚なのに、綿々と語り継がれる「ろくでなし」だ。

それは悪意を込めた全否定ということではなく、「しょうがねぇなぁ」と苦笑しつつも存在を肯定しているような語り継がれ方だ(同時代の親族には大迷惑だったろうが)。

近年までの家長を中心の保守的な家族制度の中で、家系の中に時折現れる「ろくでなし」はガス抜きというか役には立たないが在る意味は持つジョーカー的な存在だったのかもしれない(身近な反面教師としては役に立つ)。

私の母方の家系にも過去にとんでもない「ろくでなし」がいたそうだ。母や親戚が彼らの話を語る口調は楽しげだった記憶がある、普通に人生を真面目に生きている我々にも自分の好きなように破天荒に生きることを望んだ「血」が流れていることを決して悪くは思っていなかったからだろう。

NHKとか朝のドラマとかいろいろ制約のある中であっても小次郎の存在は特別だ。これで最後までヒモ生活で定職につかず宝くじ(博打人生の象徴)を買い続けていたら・・・

彼は、和田家のみならず我々によっても語り継がれるだろう。

順子、最後の大予言Wed_2_s

積んだ経験が、過去と違った結果をもたらす。きっと新しいものが見えてくる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月25日 (火)

ちりとてちん 第147回

母と娘の物 080324chiri_26tue

「母と娘の物語」から始まったこのドラマは最終的にも「母と娘の物語」に帰結しそうな予感のする流れだった。

もちろん実際に生まれてくる子が女子とは限らないのだが、糸子と喜代美親子の絆が大きなテーマの一つであったことは間違いないだろう。そういえば、タイトルバックの2羽の鳥の描かれ方も暗示的だ。

ひぐらし亭初日の準備も段取り良く進み、それは同時にこのドラマが終わりを迎える事でもあるわけで、いつも通り面白いのではあるが、ちと複雑な気持ちではある。

落語三国志と言うよりも、落語三馬鹿だな(誉めてます)。Tue_1_s

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月24日 (月)

江東区で2万歩

先日の日曜、哀愁の人氏と江東区を深川中心に散策した。

午前9時半、芭蕉記念館からスタートして、清澄庭園、深川江戸資料館、そして東京都現代美術館、ポップアート中心の常設展示が意外と楽しめた。岡本太郎の素晴らしい壁画『明日の神話』は6月29日まで公開延長!これは観ておいた方が良いと思う。619_1_1

昼は、深川めしと蕎麦のセット、適当に選んだ店だったが旨かった。

午後は馬鹿話をしつつ門前仲町へ向かう。富岡八幡宮は骨董市で人出が多かった。骨董というよりもほとんどガラクタだが、それが楽しい、面白い。093a

081a_2

080a

その後深川不動に寄って、月島へ、もんじゃとビールでお腹いっぱい、せっかく2万歩歩いてもカロリー摂り過ぎで意味なし。

氏、彼女募集中。086ab_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ちりとてちん 第146回

ひぐらしか・・・080324chiri_26mon

このドラマの中では、師匠の亡くなった時のエピソードのせいもあって「ひぐらし」というと「何かの終わり」というイメージがあるが、実のところ徒然亭の紋にもなっている「ひぐらし」は違う意味だ。

『徒然なるままに日暮らし硯にむかひて...』という徒然草の冒頭での意味は「一日中」、転じて「日常的」「いつでも」といった意味合いでの徒然亭であり、常打ち小屋の名ということだろう、その象徴〈シンボル〉としての夏虫の「ひぐらし」なのだ。

しかし、若狭の顔には前者の意味にも取れる憂いが浮かんでいた。彼女が感じる「終わり」の予感は何なのだろうか。

とかく男というものはMon_1_s

だいたいそんなものです。

たとえばRPGのゲームで名をつける時もその傾向は強いかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月23日 (日)

ちりとてちん 第145回

師匠に見守られて落語がしたいSat_3_s

あまり言うことはないなあ、本当にお見事としか感想が出てこない。

草若師匠のの「愛宕山」、ここにきて後半の部分が初登場、しかもこれ以上はないという効果的な使い方、多彩な登場人物たちが無理なく集合して、それぞれの見せ場で盛り上げる、かなり速いテンポで進むのに満足度も感動も深い。

くどい演出で感動の押し売りみたいなドラマや映画に食傷気味だった私にとって奇跡としか言えないドラマだ。

言うことない割には結構語ってますが・・・

出来たやないか、誰もが気軽に入れて、噺家が腕競う常打ち小屋が」、鞍馬会長は最初から草若師匠の目的も気持ちも分かっていた。だから、ただ故人の遺志だからという安易な理由で取り組んでほしくなかったのだろう。遠回りはしたが、徒然亭一門、いや上方落語全体にとっての常打ち小屋の必要性に気づき、小草若はじめ一門全員の総意として取り組んでくれたことに大きな満足を得たに違いない。ま、食えないオヤジではあるが。

清海にとっての塗箸、その完成は一つの区切りにはなるが、終わりにはならない。落語が人に聞いてもらうことで成り立つように、箸も人の手に使われてこそ意味がある。過去を綺麗な模様に変えた清海の本当の再スタートはこれからだ。Sat_1_s

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年3月21日 (金)

ちりとてちん 第144回

みんなが仰山笑える場所、出来るのか?080317chiritote_25fri

「落語はみんなのもの、だから語り継いでいかなくてはならない」みんながいつでも仰山楽しめ、落語家がいつでも仰山経験の積める場所、それが常打ち小屋なのだ。

鞍馬会長、「おもろいなあ(やっと気づいたか)」と皮肉交じりに納得しつつ、会長らしいキツイ励ましを一言、「できるもんならやってみい」。

残るは現実問題。資金、場所、経営・・・課題は多々ある。特に当面の一番の問題は「資金」だ。みなの誠意あふれる応援は、常打ち小屋の必要性をさらに強く実感させつつも、実現させるための資金の一部にしかならない。鞍馬会長の「できるもんならやってみい」という含みのある言葉が何を一門に求めているのか、それはきっと小草若にむけられた言葉なのだ、そして小草若も・・・。

喜代美と清海、お互いに一歩づつ近づき合うことで自然な形で良い関係性を持てるようになってきた。清海の塗箸が完成する時、二人の友情もきれいな模様を作り出すのだろう。Fri_1_s

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月20日 (木)

ちりとてちん 第143回

塗った者にしか中身はわからんThu_1_s

愛や」となんの衒いもなく言える熊や咲、二人が塗り重ねてきた人生の模様も今輝き始めているようだ。

塗り重ねたものは本人にしかわからなくても、磨いで輝き始めた時には他人にもわかる。熊と咲の人生がどんなものであれ(想像はつくが)今の二人が魅力的で愛すべき存在であることは誰にでもわかるのだ。

「塗り重ねるもの」と「受け継ぐもの」、それが人をどう成長させていくのか、登場人物たちの人生の模様も一人づつ綺麗に輝き始めてきた。

日々、終わりが近いのを実感させる展開になってきたなぁ。

いやいやいや080317chiritote_25thu

ひろし、一瞬でも守銭奴と思った私を許してくれ。

小次郎でさえ納まるところに納まった小浜の和田家。あとは何だ?あれとあれがあーなるのか、それともあれがあれするのか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月19日 (水)

ちりとてちん 第142回

タイミング・・・それはいつ来るのか?Wed_1_s

草若の遺した土地家屋を売却すれば金は出来る。

しかしそれを誰も口にはしない。最初からその選択肢はなかったかのようだ。その上で話し合っても理想と現実は歩み寄らない。唯一現実的な決断が出来る相続人小草若が「どっちゃでもええ」と曖昧な発言・・・その真意は何なんだろう?確かに草々は直情型で思慮にかけるが、「常打ち小屋を造る」、その気持ちは鞍馬会長に拒絶されるまでは徒然亭一門の総意であったはずだ。小草若自身も会長に考え直してもらえるよう頼み込み一門全員で頭を下げたのだ。だから誰も草々を否定することはできない。

現実的な草原や四草の意見は先ず自らを納得させるための発言ではないか。常打ち小屋は落語を聞きたいお客さんの為に作られるもので、落語の質が上がるとか下がるとか競合するとかの落語家側だけの問題ではない。草々が磯七の手紙を見て新たにした「思い」とは違うのだ。

タイミングを待っているうちに、最良の機会を逸するということもありうるのだ。

歴史は繰り返す?Wed_2_s

そんなわけはないな。

久々の妄想シーン、いつもより長めにサービス。シリアスな場面の最中にセルフ・パロディを挿入するというのも大胆だ。孫の手がいいねぇ。

そういえば、誰も読み上げていないのに当たり前のように進行する寝床での自動再生「磯七の手紙」のシーンも大胆だ(草々は「手紙」に返事しているし)。

歴史は繰り返す080317chiritote_25wed

小浜伝統塗箸の世界では、また新たに歴史が繰り返された。和田清海が和田家に弟子入り、そうか同じキヨミという名がここでも生きてくるのだ。正典は彼女を何と呼ぶのかな?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月18日 (火)

ちりとてちん 第141回

肉じゃが女に宝くじ男080317chiritote_25tue

破れ鍋に綴じ蓋、やっぱりどこか似た者同士、200万という金には無頓着、それでいいのか?いいんだろうな、人生の宝くじで奈津子さんが当たったということで、幸せそうだし、ごちそうさま。

ど厚かましいのは、おやじと一緒やTue_2_s

常打ち小屋、自分らでなんとかせい。

これは厳しいハードル。「上がり」に近かったはずなのにサイコロ振ったらキング・ボンビーならぬ鞍馬ボンビーが出てきちゃったみたいな。

これは小草若を中心とした徒然亭一門の本当の結束力を知るための試練なのか、タイミングの問題か、それとも・・・ほんと鞍馬会長の腹の内は読み難い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月17日 (月)

ちりとてちん 第140回

「ふりだし」に戻るMon_4_s_2 

「ふりだし」に戻るだけにどんだけ時間が掛るんや。

鞍馬会長、自分で仕向けておいて呆れているが、「ややっこしい」ことがあったからこそ、以前よりも「上がり」に近い「ふりだし」に戻ることが出来た。

ただ「仲が良い」だけでは一門は一体にはなれない。各自が勝手にサイコロを振っていては良い目は出ないのだ。誰か核になる人間がいてこそ、その団結力は確固たるものになる。小草若の決意と立場は半端なものではないのだ。

だが、あと小草若のひと振りで「上がり」に届くと思っていたら、今度は「上がり」の方が遠くへ逃げてしまった、ドン、ドドーンとBGM付きで。

2曲で200万 底抜け付きMon_1_s_2

お茶の間に五木ひろし、こんなトンデモ設定で感動させて納得させてしまう力技。突っ込み所に登場人物たちが突っ込む反則技。『ちりとてちん』らしい「底抜け」演出を堪能させてもらった。

喜代美はB子化していなかった、成長したなぁ。小次郎はやっぱり不貞腐れていたが、結果オーライで満足したようだ。あとは奈津子との約束の件だけだが・・・。

そして、糸子お母ちゃん、願いが叶って良かった、良かった。Mon_2_s

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フランク・ザッパ ギターマガジンで特集

ギターマガジン最新号でザッパ特集。Gm0804

以前にも特集があった記憶があるが、あれはいつ頃だったか?今回はZPZの来日とライヴCD/DVDの発売に合わせたものだ。

自他共にZAPPAマニアと認められている日本人ギタリスト達によるギター視点からの各自お薦めアルバムと名盤ベスト9の紹介記事。まぁ、妥当な選出かな。

一位の「ワン・サイズ・フィッツ・オール」は当時のバンドがライヴをを数多く経験してきていかに良い状態にあったかということが良く分かる完成度の高い作品だ。アンサンブルも無駄なく洗練され聴き易さでは(あくまでもザッパの作品の中ではだが)一番だと思う。ただ個人的には「オーバーナイト・センセーション」や「アポストロフィ」のごった煮感や猥雑さ、下品さにより強く魅かれる今日この頃なのだ。各ギタリストのお薦め盤も個性が出ていて面白かった(斎藤誠のザッパ好きは初めて知った)。

他にドゥィージル、マイク・ケネリー、そして1988年当時のザッパへのインタビュー記事。どれも興味深い内容だったが、やはり圧巻はザッパ自身へのインタビュー。柔軟な姿勢とはただ無自覚にすべてを受け入れるのではなく、批評し取捨選択する能力があってこそ成り立つのだ、と今更ながら教えてもらった。

ついでに今の時点での個人的ベスト3

1.ジョーのガレージ:ロック・オペラ風の作品で、曲の内容もセリフを歌に置き換えたものやナレーションが多く、英語圏以外には取っ付きにくい作品ではあるが、最近になって対訳を手にじっくりと向かい合ったらすっかりハマってしまった。ザッパのギターも絶好調!「イースターのスイカ」はじめ名演満載。時代的には「黙ってギターを弾いてくれ」と同時期になる。

2.アンクル・ミート:ザッパが「普通でない」という事を強く認識させてもらった作品。

3.ザッパズ・チョイス:ザッパ自身の選曲と制作によるヴォーカル主体のベスト作品。ザッパへの興味が、ギター→アンサンブル→ヴォーカルと移ってきた私にとっては愛聴盤だ。当たり前のことだが、ザッパがロックを選んだのは時代ということもあるだろうが、表現手段としてのヴォーカルの重要性や必要性を強く感じたからだろう。

ZAPPAオフィシャルで壁紙配信中 Weasels_ripped_tnail_2

http://zappa.com/flash/jazzfromhell/01.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月16日 (日)

山上たつひこ 「中春こまわり君」のことなど 

中春こまわり君 その 老婦人の肖像

ええっ、4回で終わるのかと思ってたらまだ続くのか!

前回の流れから、こうきたか、の老人達のシーン。

歳をとればもう未来に望めるものは少なくなる。過去に拘るか、それとも過去を切り捨てて今を生きるだけになるか、いずれにしろ過去の記憶は曖昧になり、虚と実の境目は不明確になる。結果、全てが良い思い出になり(もしくは忘却し)仏のようになればよいが、妬み嫉み恨みなど悪い感情が増幅して阿修羅になる場合もある。身近にいるとそのはけ口がストレートに向かってきて辛いこともあるだろう。

いったい私は何を論じておるのだ。これは「こまわり」だ。素直にイボイノシシを楽しめば良いのだ。ええいっ、「お父さんは今、大欲情で忙しいのだ!!」で笑えば良いのだ。

「半田溶助女狩り」、発売中止。残念。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ちりとてちん 第139回

誰にでも奪うことのできない「ふるさと」があるSat_1_s

と,、小草若へのメッセージを込めて若狭が良い話をすることで全て丸く収まり、ひろしが感じ入って歌を捧げて終了。

とはならないのがこの作品。

和田家2トップの企てはことごとく挫折。

小次郎は信用を更に失い、それどころか「結婚」も遠のくし、ひろしの面目は潰すし、若狭は思惑が外れただけでなく自分の芸の吸引力のなさを思い知らされるし(ちょっとかわいそうだった)、ひろしは…出番を失った、のかな?

結局、周りがお膳立てを整えてくれたとはいえ、小草若は自らの意思と行動で局面を打開したのだ。草若の息子として、小さい頃から誰よりも長く落語家である父の背中を見て育ってきた、その事実を自分が前進するための力に変えることが出来たのだろう、たとえ追いつかなくてもだ。

これからは一味違う徒然亭小草若が見られそうだ、てあと2週か。

次週は常打ち小屋の問題がメインになるのだろうけど、その前に(たぶん不貞腐れている)小次郎や(たぶんB子仕様の)若狭、そして(たぶん困惑している)ひろしをどう収めてくれるのか楽しみだ。

はたして、ひろしがドラマの中で「ふるさと」を歌う時が来るのか?Sat_2_s_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月14日 (金)

ちりとてちん 第138回

それがしんどい、けど、それがおもろい

確かにそうなんだけど、それはすべて終わってみればの話、そこまで肯定的に思えるようになるのには個人差がある。内容にも由るし性格にも由るし・・・それをしっかりと描いているのがこの「ちりとてちん」なのだろう。

皆が皆、面白く思える時が来たときこの作品が終わるのか。

小浜の人々と接したり言葉を交わしたりしているうちに、小草若にも変化が出てきた。喜代美は困惑していたが、小草若にとって「本心」を(ひねた形ではあるが)言葉にできたことは悪いことではなかったと思う。その後何かを確かめに行くように塗箸の作業場を訪れたとき、黙々と伝統を受け継ぎ続ける正典の背中に何を感じたのか?それはきっと肯定的な思いであるはずだ。

喜代美と清海の仲が時がたつことで自然な形で復活しつつある。今までしんどかったけど、もう少しで二人で笑って昔話が出来るようになるのだ、と思うと本当に終わりが近づいてきたのだなと実感する。

今までは「おもろい」けど、終了後は「しんどい」だろうな、私は。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月13日 (木)

藤井郷子オーケストラ@西荻アケタの店2008.3.11

世界的なアーティスト藤井郷子がピアノ・トリオではなくオーケストラで「アケタの店」の出演、ということで行ってきた。

知っている人は、あの決して広くはない(むしろ狭い)店内にオーケストラが収まるのかと思うだろうが、やはり大変なことになっていた。0311_all_2

結局藤井郷子はピアノが弾けず指揮のみだったのが、ちょっと残念。

でも、演奏内容は最高だった。

参加メンバーも(知る人ぞ知る)そうそうたるもので、ほっとけば何時までもインプロヴァイズし続けるようなゴリゴリの即興演奏家ばかり。それらをまとめ上げ、自分のフィールドの中で抑制と解放を与えることで集団演奏を至高の高みへと導く藤井郷子(そして田村夏樹)の作曲と指揮の手腕は大したものだ。どうしてもインプロヴァイズの部分が冗長になって、曲全体のテンションが維持できなくなりがちなのだがそのバランスが崩れることはなかった。曲の冒頭で提示されたテーマや印象がラストまでぶれることがなく、曲としてきちんと成立している、必要以上に長尺でないのもいいのかもしれない。

個人的には2部で紹介された新曲などのリズム面で特徴のある曲に強く魅かれた。M_0b448f44ff870fa4d63561eb2c1a24a_2     

老婆心ながら、藤井郷子を良く知らない方もいると思うので、プロフィールを貼っておきます。http://www.jazzpage.net/fujii_satoko/

そしてこれはインタビュー記事、彼女の音楽観が良く分かります。http://www.jinaonline.org/topics/25/index.php?city=LA

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ちりとてちん 第137回

もれなくついてくる、といいねThu_2_s

レトロ宝くじで落語「高津の富」そのままの当選番号が当たった小次郎。奈津子が結婚の条件として提示した200万という中途半端な金額がここで生きてくるわけだ。

小浜の地域振興のニュースを見て思うところがありそうな小次郎が何やら企てそうな気配だが、「何か」に使ってしまったらほとんど残りそうもない微妙な金額だ。もれなくついてくるはずのものがついてこなくなるぞ。

小浜、でかい塗箸、地域振興イベント、小次郎、特別ゲスト、200万・・・おお、何やら見えてきたかも。予告で見た「あの人」はここで登場か。

徒然亭一門。ここのところのエピソードは「大人の不在」を強く感じさせる。みな、自分の事と相手の事、それぞれに対する感情が両極に振り切れすぎて中間がない、バランスがとれる人間がいない。

しかし、そんな登場人物たちの不器用にあがく姿が視聴者一人一人の感情を揺さぶるのだ。誰に共感するか、誰に不満を持つか、誰に心配させられるか、たった一つの視点だけでなく多面性を持ったドラマ作りをしているからこそ、視聴者一人一人の楽しみ方にも多様性が出てくるのだと思う。

ただ、いつまでもウジウジ・グダグダしている訳にもいかない。ドラマなんだからどこかで落とし所を作らなくてはならないわけだ。それには極端な行動をするキャラが必要だ。物語を収束させるきっかけとしての存在・・・そこで小次郎の登場!かな?(かえって拡散しちゃったりして)

四草、ここ数日の態度は何の解決も生み出していない。最後は感情の爆発・・・結局これが一番効果がありそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月12日 (水)

ちりとてちん 第136回

逃亡者の立ち寄る場所は・・・Wed_1_s

現場?女のところ?・・・なぜに小浜?しかも若狭の実家、和田塗箸店とは、目的は和田正典、お父ちゃんか?

若狭の父母の別居騒動の時、小草若が正典の作業場を訪ねるシーンがあった。

直前に四草に「草若の息子としての自覚を持て、このままだと(女だけでなく)いずれ草若の名まで(草々に)盗られてしまう」と諭されるシーンがあり、本心を見透かされて動揺している状態での作業場訪問だった。その時、正典から伝統を引き継ぐことについて話を聞いている。

「追いかければ追いかけるほど父の背中は小さく遠くなっていく、それでも追いかけずにはいられない」

伝統の象徴である正太郎の塗箸を見ながらその話を聞いていた小草若の顔にある種の決意を見た気がしたのだが・・・それは父の死により予想以上に早く訪れた現実の重さに耐えられるほどのものではなかったのか。

今回、和田家を訪れようとしたのは、もう一度再生の意思があるからこそだと思う。その最後をひと押しを求めて同じ立場であった正典に会おうとしたのだろう。「追いつくことが出来ないとしても、父の背中を追いかけていく」、それは小草若の運命でも義務でもなく、自分の意志で決めるべき人生であるのだから。

ということで、相変わらず和んでいます小浜の人々080310chiritote_24wed

スタート時から、「変わらない」小次郎叔父さん。

彼にも、人生の転機は訪れるのだろうか?奈津子さんとの結婚ぐらいかな。

しかしこの必要以上にでかい塗箸が、物語にどう絡んでくるのか、これは小次郎向きのエピソードになるのは間違いないな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月11日 (火)

ちりとてちん 第135回

跡目騒動勃発080310chiritote_24tue_2

ここにはいないたった一人の男のおかげで、皆の心が乱れ、まとまるものもまとまらなくなる。

遠くに離れて部外者になったつもりでいても、結局この男は「問題」の中心からは逃げられない。

(小草々を除く)この場の誰もがこの男を意識しているからこそ、この男にそれぞれの思いを抱いているからこそ、その「想い」のズレが新たな軋轢を生みだしている。

小草若の不在は何の解決ももたらしてはいないのだ。Tue_1_s_2

終盤になってテンポが上がり、さすがに15分間で描くシーンの数も増やして密度を濃くしていかないと追いつかなくなってきたか、と思っていた。

それが今回のようなワンシーン15分間だもの、相変わらず緩急が見事というしかない。

ここにきて、役者たちそれぞれの演技やアンサンブルをじっくり楽しめる展開になるとは思わなかったし、その質も高かった。役者たちもやりがいがあって楽しいだろうな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月10日 (月)

ちりとてちん 第134回

たわいないのぉMon_2_s_2

それまで悩んで悩んで「問題」の周りをぐるぐる回っていたにに、思い切って一歩踏み込んでみれば、あっさり解決ってことはある。なんだこんなことだったのか、という開放感に似た良い気分になる。

正平とお父ちゃんの笑顔が良いねぇ。

決して将来が約束されたわけではないが、自分に偽りなく取り組めればきっと悔いのない結果を得ることが出来る。もう正平は大丈夫だろう。

が、ここに「問題」の周りをぐるぐる回っているうちに(遠心力で)さらに遠くへ飛んで行ってしまった男が一人。080310chiritote_24mon

小草若の問題は、彼一人の問題ではないということが、彼をさらに追い詰めている。それが分かっているから、四草はあえてその「しがらみ」から小草若を開放するように仕向けている、それがあの言動を生んでいるのだろう。

だが小草若自ら決着をつけない限り、どんなに遠く離れても「しがらみ」から逃れることはできない。それどころか、それは彼一人の問題ではなく悪い形で徒然亭一門全体に波及しつつあるのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 9日 (日)

広川太一郎、モンティ・パイソンの事など

子供の頃、映画やテレビ・ドラマ、アニメ等の外国文化は言ってみれば翻訳文化であり吹替文化だった。特に日本語というフィルターを経過した吹替は日本に合わせて誇張や省略が施され、本家とは似て非なる極めて日本的な「芸」の文化に昇華していた。外人の顔した俳優やキャラクターが異文化の生活空間の中で、我々の日常的な感性に近い会話を繰り広げる。これはほとんど異次元の世界だ。

これは子どもには刺激的で魅力的な世界だった。おまけに、その「声」が、それぞれ芸達者で個性的で一度聴いたら忘れられない特徴をもっていた。そして、いつの間にかそれらの「声」に親しみや興味を持つようになった。

70年代に入った頃から、その「声」の主たちは活動の場を広げ始めた。ラジオのDJ(深夜放送!)、司会、俳優、日本製アニメの吹き替え等、それらは彼ら彼女ら「声優」たちの存在を更に身近に感じさせることになった。

劇場で観る映画は字幕付で鑑賞し、テレビ放映時の吹替は吹替として楽しむ。それは声優の「芸」を楽しむ事でもあった。

そして76年、「空飛ぶモンティ・パイソン」が登場する。これは衝撃だった。

後年DVD・BOXはじめモンティ関係の映像作品は何度も観ているが、実際のところイギリスの文化・風俗・歴史に詳しくないと理解不能の部分も多い。サブ・テキストを参照しつつ勉強しながら観なければならないようなエピソードもある。

それをあそこまで誇張・省略・改変を施し日本独自の作品に仕立て上げ、しかも原作のテイストを損なわなかったのは、翻訳の力もあるがほぼ100パーセント、山田康雄(グレアム・チャップマン)、納谷五郎(ジョン・クリーズ)、青野武(マイケル・ペイリン)、飯塚昭三(テリー・ジョーンズ)、広川太一郎(エリック・アイドル)、古川登志夫(テリー・ギリアム)たち声優の才能のおかげであった。

全員がこれ以上のはまり役はない見事な吹替えなのだが、特に広川太一郎演じるエリック・アイドルはそのすっとボケたキャラクターと時折見せるエンターテイナーの才能が素晴らしく個人的に大好きになった。これは広川演じるアイドルが好きなのか、アイドルを演じる広川が好きなのか、自分でも良く分からないほどのはまり役だったと思う。

これが私の広川太一郎主義(byとり・みき)の始まりであった。

この後「Mr.BOO」シリーズとかいろいろあるが、この辺でお終いにする、キリないからね。

最後に広川太一郎名セリフの一部を紹介。

「ちょんちょん」や「しちゃたりなんかして」は有名だが、好きなのは「レッツ5678、誰か止めろよ!」。

参考にさせていただきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ちりとてちん 第133回

終わり良ければ・・・徒然亭小草々誕生080308chiri_23sat

結局、悪戯者パックのようなトリックスター勇助の存在は、(残り時間の少ない物語の進行上)短期間で主人公たちの師匠やおかみさんとしての成長を見せるためのものだったようだ。

あ、もう一人いたな、勇助に対比する存在としての正平が。これは退場の仕方も鮮やかだった(お母ちゃん・・・)。

最後の最後に、小草々がぺろりと舌を出すんじゃないかと心配したがさすがにそれはなかった(それはそれで面白いが)。

さて、あと残り三週分。

いろいろなエピソードが収斂していく展開になる。

まずは小草若と徒然亭の襲名の問題だ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年3月 8日 (土)

広川太一郎さん死去

俺たちの昭和がまたひとつ消えた。

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/flash/KFullFlash20080308008.html

合掌

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年3月 7日 (金)

ちりとてちん 第132回

小手先の器用さでどうにか体裁が整っているFri_2_s

勇助の場合は「口先の器用さ」か。

ただ楽しむ為の「うそ」ではなく、真実を隠すための「うそ」。どちらも他人にとっては迷惑だが、後者は信頼関係を裏切り、周りの人を傷つけ、自身の信用も失う。

一時的に体裁を整えても、いつかぼろが出て最悪な状況をもたらす。「うそ」を重ねた先にあるのは「破滅」だ。

楽しむための「うそ」にはバラす快感があるが、隠すための「うそ」にはバラせない苦痛がある。真性のウソつきはしゃべりたいものなのだ、相手が当事者でなくても人間でなくてもね 

その意味で正直者で人を疑うことを知らないような正平の存在は 勇助にとって人畜無害な空井戸に見えたのかもしれない。しかし、この空井戸は良く響いたのであった(勇助の声もデカイし)。

おかみさんとしての「建前」と喜代美としての「本音」の間を常に揺れ動く若狭。それでも、草々や家族〈一門や奈津子も含む)に支えられてそれらしくなりつつある。

大阪の化身、磯七さんには申し訳ないが、堪えて下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 6日 (木)

ちりとてちん 第131回

塗り重ねたもの Thu_2_s

人間も箸と同じ、磨いでも塗り重ねたものしか出てこない。だから悩んだことも落ち込んだことも一生懸命生きていればきれいな模様になって出てくる。

繰り返しこの作品で語られるテーマだ。ここでまた再確認のように出てきたのは、清海の為だけではないだろう。

きれいな模様になって出てくるもの、それは徳の高さや教養の深さ、知性の輝きというよりも、他者に対する思いやりや優しさという形で出てくるのかもしれない。

未だ塗り重ねを続ける登場人物たちが、このきれいな模様も少しづつだが見せ始めたからこそ、今ここで語られたのだと思う。

080304chiri_thu しかし、一部で「嘘山」とも呼ばれている勇助は塗り重ねる気があるのか?この割り箸野郎が!

ま、喜代美にとっては、希少な素材を塗り重ねることが出来る訳で、将来キレイな模様になって・・・くれれば良いが。

そして、ただただ塗り重ね中の小草若。

喩えて言えば、漆が乾ききる前に磨ぎ始めて、もうグダグダといったところか。口は悪いが客観視してくれる四草が傍にいなかったら、とっくに潰れているかもしれないな。

さてさて、週末、週末。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 5日 (水)

ちりとてちん 第130回

いろんな人がおるなあWed_2_s

一言言って家出する正平、あんたもいろんな人の一人だ。

これまでの和田家のトラブルと趣が違うのは、年を重ねたせいもあってか、家族それぞれが相手の気持ちを思いやる余裕が出てきたことか。

子供はいつの間にか大人になり、人生の大事な決断を自らしなければならない。その時、身近な人々、家族の存在の大きさを実感するのだ。一時期の正平のようにネガティヴに考えてしまえば「しがらみ」と捉えてしまうこともあるが、今の正平は家族の存在に助けられていることを感じ始めているのではないか。次の決断は、きっとポジティヴはものになるはずだ。

それにしても勇助、「嘘」が攻撃的になっている。そうまでして覆い隠したい「もの」があるのか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 4日 (火)

ちりとてちん 第129回

怪しい、絶対何か企んでいる080304chiri_tue

積極的な第三者というか生涯契約プレミアムシートの観客というか、奈津子は楽しんでるなぁ。

奈津子同様我々も、「腹に一物」が丸見えのが勇助が初高座でどんな事をどんな形でやらかすのか、に興味がわいてくる。当事者は大迷惑だけど。

そういえば、ある意味同類(?)の四草が気が付いているくせに傍観者でいるのは・・・楽しんでいるな。

今までなら若狭がいっぱいいっぱいになってドタバタになりがちな展開なのに、草々と若狭の夫婦の日常場面(優しい助言者の夫草々、進化したのか?)が良いクッションになっている。今回の若狭は事が起きても一味違う対応をしそうだ。

と思っていてら、もう一つ問題が転がり込んできた。今度は「和田家の長女」としての喜代美が弟正平に向き合わなくてはならない。もっとも、正平には自己解決能力もありそうだし、ほんのひと押しを手助けすればよさそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 3日 (月)

ちりとてちん 第128回

衣装までつけんとはみ出せないMon_2_s_2

自分の為に?家族の為に?

正平があの時選んだ選択肢は、結局自分にとっても家族にとっても何の解決にもならなかった。結論をただ先延ばしにしただけだった。

そして今度こそ、自分に偽りのない選択をしなくてはならない。それは「恐竜」への道なのか、それとも別の道なのか・・・。

相変わらず、勇助の「はいっ!」は信用できない。初高座の話に小草若も絡んできて、予断を許さない展開になってきた。

「徒然亭一門の末っ子弟子」であり、「草々の妻」であり、「勇助のおかみさん」であり、そして新たな創作落語を完成させなくてはならない「女流落語家の若狭」でもある喜代美。

以前の喜代美ならすぐに音を上げそうだけど、今回の喜代美はちょっと違う(かな?)。

いずれにしろ、小草若と勇助、この二つの爆弾は強力そうだから要注意。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 2日 (日)

追悼 バディ・マイルス

2月26日テキサス州オースティン自宅で逝去 享年60歳Jimi_hendrix_buddy_miles_2

驚いた、まだ60歳だったのか。

シンプルだが切れの良いドラミングから生み出される3連、シャッフル系のグルーブ感が最高だった。そこを評価されてマイルスの「ジャック・ジョンソン」セッションに誘われていたのに無視しちゃったんだよな、らしいと言えばらしいのかもしれんが。

あの世で、マイルスやジミとジャムってるのかな、おっとマイク・ブルームフィールドを忘れちゃいけない。

ジミと一緒の上の写真はエレクトリック・フラッグ時代かな、二人の笑顔が素晴らしい。

合掌

| | コメント (2) | トラックバック (0)

にぎり寿司三億年 山上たつひこ

楽しみにしていた「半田溶助女狩り」は『諸般の事情』により発売未定、ていうか発売ラインナップからタイトルが消えているじゃないか!やはり、『諸般の事情』は厳しかったか・・・残念。477803063x_2

第1巻がシュールなギャグの連打によるカオスのような作品集だったことに比べると、第2巻はストーリー優先の短編集というところか。

初期の社会風刺や落語テイストの色濃い幾つかの短編。原作ものでありながら独自のギャグセンスと破天荒な山上キャラが合体して見事に自分の世界にしてしまった2作品。「がきデカ」で何度か披露された山上お得意の寿司に対する含蓄話を独立した作品にまとめ上げた「にぎり寿司」シリーズ。

そして落語、社会性、個性的なキャラとギャグ、含蓄、さらに作家性を強めた構成力等が高い水準で融合して生み出された傑作が「ファーブル新婚記」と「沈没村から」の2作だ

初見の時から強い印象を残したこの2作は、閉塞した共同体の狂気というか、未見の人の為に詳しくは書かないが、ある意味「イボグリ君」テイストの進化形とも言えるかもしれない。

上記2作は青年誌に掲載されていたのだが、同じ時期に少年誌に掲載された「タイムマシンつき電子レンジ」も好きな作品だ。お父さんの哀れな運命は笑えないな、あはは。

中春こまわり君、今回はつなぎの回か、「豚汁」ぐらいだもんな、次回に期待。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 1日 (土)

ちりとてちん 第126、127回

秀臣が辿ってきた道 、戻ってきた場所Fri_1_s_3 Sat_1_s

伝統、師弟、親子・・・『若狭塗箸』を通してのそれぞれの想いが交錯し、過去から現在へ続く愛憎を生み出してきた。

同じものを愛し信じてきたはずなのに、そこには単純な事実しかないはずなのに、何故関係は拗れたままなのか?

長い道のり(無駄にはなっていないが)を辿ってその答えを探し求めてきた秀臣が、最後に戻ったのが和田家の作業場というのは象徴的だ。そこは師匠(=父親)の懐であり、おかみさん(=母親)の愛に包まれてきた場所なのだから、同じものを愛し信じてきた始まりの場所でもあるのだから。

そして小梅が「母」として「息子」を迎え入れ抱擁したとき、秀臣はあの頃の「自分」に素直に戻れたのではないか。それは、再出発への気力を生み出すものになりそうだ。

ここにも拗らせた男、正平080225chiritote_22sat

「身の丈に合ったこと」は以前正平が言った言葉と記憶しているが、彼自身が何を選択するのかいよいよはっきりさせる時が来たようだ。ま、「小次郎への道」を選ぶことはないと思うが、「塗箸はなしで」ということは両親特に父親の反応が・・・悲しみか、怒りか、どうだろう?

草々はこちらの予想の上を行く単純男のようで、「おかみさんのスーツ」も「父親の座布団」のようにあっさり破棄される運命になったようだ。四草がどこまで算段したかは謎だが、結局草原が巧く落とし所を見つけ出したのだろう。まだまだ草々は師匠としては外部からのコントロールが必要なようだ、若狭だけでは荷が重いだろう。若狭自身はやる気満々だけど来週の予告ではあまり良い結果が出ていないようだし。

そういえば、小浜での落語会のシーンがなかったのは残念だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »