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2008年2月

2008年2月28日 (木)

ちりとてちん 番外

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撮影もクランクアップして、ドラマの放映自体もあと一ヶ月になってしまった。

前半が終わった段階でこれは傑作と確信していたが、正直視聴率から考えて一般的には盛り上がらずじまいで終わってしまうのか、もったいないな、と思っていた。

ところがだ、後半の怒涛の展開のせいもあってか、気がつけば凄い盛り上がりになっているではないか。今年になってから観始めたという知人も何人かいる。

人気の理由は、個性的で魅力的なキャラ、そして演じる役者たちがキャラに負けず劣らず魅力的という事がありそうだ。詳しくは書かないが、ネットでブログ検索すると、その熱い想いに圧倒される(唖然とすることもある)。

しかし、キャラを魅力的にしたのは、やはり物語が面白いからこそだ。

脚本や演出に何度唸らされたことか。何度見ても飽きないし、観るごとに発見がある。「遊び」の部分も含めてひと画面ごとの情報量が多いのだ。まさに地デジ時代のドラマだ。

ハイ・ヴィジョン対応でないのは残念だが、DVDで完全版の発売が決まった。特典映像が気になるが・・

私は金もないし、様子見かな。

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ちりとてちん 第125回

『モノ』はいつかは汚れる、壊れる Thu_1_s

喜代美にとって辛いことは、今の清海が分からないことではなく、今まで清海のことをひとつも分かっていなかったことだろう。まぁ、お互い様の事でもあるが。

それは責められる事ではない。

お互いの本当の部分に踏み込まないからこそ人間関係は良好のまま続くのだ。「ペルソナ」を使い分けるからこそ人間社会を軋轢なく過ごすことが出来るのだ。だが、いつしかお互い無意識のうちに相手の秘められた領域に踏み込んでしまう。無意識のうちにお互いを傷つけてしまう、そして、傷口を広げてしまう。

どんなに美しい『モノ』もいつかは汚れ、壊れる。過去の価値にだけ拘ればこれほど悲しく辛いことはない。

清海が喜代美に返したネックレスの(かっては輝いていた)『石』の存在は象徴的だ。もう捨て去ることしかできないのか。しかし、汚れ壊れかけた『モノ』に新たな価値を見つけることが出来れば・・・

草々、二度目の受難080225chiritote_22thu

「父親の座布団」につづいて「おかみさんのスーツ」もボロボロ。

ここにも過去の価値に拘る男がいた。

座布団の時の若狭がそうであったように、草々はスーツに代わる「何か」に価値を見出すことができるかな。

たぶん、それは勇助、「弟子」だな、きっと。

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2008年2月27日 (水)

ちりとてちん 第124回

『モノ』の価値を決めるのは、誰?080225chiritote_22wed

今週の落語は「はてなの茶碗」、落語には世の中の本質を突いた噺も多いが、この「はてなの茶碗」もそんなひとつ。

『モノ』はただそこにあるだけなのに、人間がそれに意味付けをして価値を見出す。しかし、それは絶対的なものではなく相対的なものでしかない。

草原には「無理」と言われてしまったけど、小草若がこの噺を演じてみたいと思ったのは何故なのだろう、徒然亭という家名へのこだわりなのだろうか?

四草の算段は横綱相撲Wed_4_s_2

対勇助、これは勝負にならなかったな、さすが四草。

だが、単に腹が減ってただけの算段ではなさそうだ。

どうも草々の「あれ」に・・・

草々にとってはあの(趣味がいいとは言えない)愛用のスーツが彼なりの価値観によって絶対的な『モノ』になっているが、かっての「父親の座布団」がそうであったようにその価値が大きく変化する時が来るのかも。座布団へのそれは若狭への「愛」に変化したけど・・・

そう肝心の、正平の造った「箸」が「はてなの茶碗」になり得るか、という問題があった。ま、小次郎がらみということもあるし、あまり期待はできそうもないか。

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2008年2月26日 (火)

ちりとてちん 第123回

運命の再会?Tue_1_s

まあ、恐竜と塗箸、共通点もあるし、自分の立ち位置に割り切れなさを感じるところも・・・ただ傷のなめ合いになっては意味がないわけで、そのあたりどう描くか、ってまだそうなると決まったわけではないか。

小浜組、いろいろな想いが交錯し始めた。

やはり、秀臣との長年の確執から考えて、小梅さんがキーパーソンになりそうだ。そこに若狭と清海、落語会がどう絡んでくるか?たぶん若狭の落語は創作落語になると思うが・・・

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2008年2月25日 (月)

ちりとてちん 第122回

言葉では補いきれないものMon_2_s

言葉によるコミュニケーションも完全なものではない。

言葉を投げかけた相手の本心〈裏の意味)に拘ればいくらでも悪い解釈は可能だ。受け取る側の心の持ちようで疑心暗鬼が生まれる。

過去の言葉なら尚更だ。前後の記憶は曖昧になり言葉だけが独り歩きする。その言葉を発した事実だけが残り、受け取った側の誤解を解くことが困難になる。投げかけた側は困惑するだけだ。

あの時は言葉通り素直に受けとめてくれたはずなのに・・・

「言葉」で分かり合った気になっていても落とし穴がある。時間によって生じたお互いの成長のズレが人間関係に歪みを生ずるのかもしれない。若狭が得てきたモノ、清海が失ってきたモノ・・・

清海が失ったモノを補えるのは何だろう?誰だろう?

今週一日目で若狭が小浜に戻ったのは意外だった。福井を舞台に話がどう動くのか。「恐竜」あたりに何かありそうなのだが、どうだろう。

咲さんの人生・・・今は幸せでなによりMon_3_s

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2008年2月23日 (土)

ちりとてちん 第121回

ウソのウソはホント?Sat_1_s

もう何が何だか分かりません。

四草が「仕込み」とか余計なこと言うから、観ている方もどれが真実でどれが「仕込み」か疑ってかかるようになる。最後の手紙も怪しいと思えば怪しいし。

もうここまで来ると勇助本人にも虚実の区別が曖昧になっているのかもしれない。ウソにウソを塗り重ねていくと、そこにはキレイな・・・これは違うな。ま、とにかくそういう人種なのだ。

勇助が劇場型というか自分が主役で周りを巻き込むタイプのウソつきだとすると、四草は徹底して自分の為だけの(ウソ、この場合は)「方便」の使い手に見える。勇助は勝手に自滅してくれそうだが、四草は相手を一生騙すことも可能かも。いずれにしろ敵にしたくない「食えない奴」だ。ドラマ上では四草がウソをつく場面はほとんどないけど、ひょっとしたら既に全員騙されているのかもしれないぞ。

嘘つきっ!」、清海にとうとうスイッチが入ってしまった。しかも、「あなたのせい」とまで言うとは、若狭同様、我々も「ポカーン」である。

理由は分からんではないが、どこをどう回路をつなぐとこういう爆発をするのか。それだけ追い込まれる理由が現状もしくは過去にあるのだろうか。和田塗箸製作所の危機のせいなのか、それとも清海の語られていない東京での体験が重く彼女の心に影を落としているか。

来週は急展開になりそうだ。

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2008年2月22日 (金)

ちりとてちん 第120回

焼けぼっくいに火はつかない080218chiri_21fri

清海のセリフ一つ一つに起爆装置が付いているようで、草々や若狭の答え方次第ではスイッチを押してしまいそうでヒヤヒヤした。

セリフのやりとりの上では微妙なところで回避できたようだが、なんと言葉ではなく若狭の三味線が危険なスイッチを半押し状態にしてしまった。

A子とB子、二人の立場が逆転してしまった現実を「三味線」は清海に再確認させてしまったようだ。

これは危険。

しかもお人好しの夫婦は食事も一緒にしようと余計な事を言い出すし、いつに間にか徒然亭一門全員揃っているし、勇助は・・・ああ、観るのが毎日「怖い」。

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2008年2月21日 (木)

ちりとてちん 第119回

時が解決する事、しない事080218chiri_21thu

比較的安定した人間関係に「異物」を投入という設定・展開はドラマの王道的流れなのだが、今週の「ちりとてちん」はその「異物」が強力だ。

勇助はまだ落とし所が予想できそうな気がするが、清海に関しては全くできない。

幸せな家庭を築きつつある草々と若狭、だからこそ素直に清海を受け入れるのだろうけど、それが清海に対しては逆効果になってそうなのが辛い。

過去の〈本来の?)清海らしさがもう少し感じられれば丸く収まる予想がつくが、「過去の清海」さえ利用してそうな得体の知れない怖い清海すぎて、観ててドキドキする。下手なサスペンスよりも視聴者の「なぜ?」「どうなる?」という期待と好奇心を煽る。

若狭たちが悪いようになることはないと思うが、清海の今後が楽しみだ、いや心配だ。

勇助くん、こいつは呼吸をするようにウソをつく、一瞬の躊躇もなく顔色も変えずに。

でもこれは自分で自分を追い込むタイプのウソだな。

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ビョーク@武道館2008.2.19

P000027211_2 これはロックのライヴというよりも総合芸術の舞台を鑑賞したという印象だ。 いや、ロックライヴとしても最高のポテンシャルを発揮していたのだから、これはもう最強と言っていいな。

最先端でありながら大衆音楽としてのクオリティも維持し続ける、要するに間口が広いが奥行きが何処までもある、しかもいつもケアは怠らない。

CDやビデオ作品を通してできたアーティストイメージの追認というライヴが多い中、ビョークはいつもその期待を良い方へ裏切る。曲はいったん解体され新しいライヴ向けに再構築される。入念なリハーサルが行われているであろうステージパフォーマンスは演出と自然なひらめきとのバランスが絶妙で、ビョークのイメージが毎回新しく上書きされていく。

彼女の音楽と言えば、大地というか母性的というかプリミティヴなビートが特徴の一つだが、今回のツアーメンバーのリズム隊が素晴らしかった。LFOのマーク・ベルの創り出すエレクトロ・ビートとダミアン・テイラーが操る新しい楽器『Reactable』のノイズとビート、そして生ドラム&パーカッションが複合的なグルーブを生み出していた。

気が付いてみれば、ベースもギターもいない、ブラスはリフ的な対応だし、バックはほとんどリズムだけというのも潔い。

ここ数年はビョークの熱心な聴き手ではなかったが(後悔して反省しています)、今回ライヴが観れて本当に良かった。マーク・ベル周辺も気になる。

『Reactable』はこんな楽器です〈ゲーム・マシーンみたいだ)http://wiredvision.jp/news/200708/2007082121.html

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2008年2月20日 (水)

ちりとてちん 第118回

意外とやるな、でも・・・080218chiri_21wed

家事をはじめ万事そつなくこなす勇助、おまけに落語の基本もできているし本当に落語が好きそうだ。

しかし披露した落語が日本一のウソつき男を題材にした『鉄砲勇助』というのが意味深(というか分かり易すぎ)、草々が入門を認めるきっかけになった身内の不幸もどこまで本当なのか。

奈津子さんが彼女ならではの(肉じゃがとかで鍛えられた)嗅覚で勇助の胡散臭さに気がついたようだけど、彼女は第三者として楽しんじゃうほうだから・・・そういえば師匠もどこかで楽しんでるかもしれないな。

「おかみさん」になることであれこれ悩む若狭と草々のやりとりが笑わせた。いいお母ちゃんだけど確かに糸子さんは特殊だ。「春の陽だまり」に「冬の水たまり」でかえすとは。結局、理想のモデルは草原かい。Wed_1_s Wed_2_s

『鉄砲勇助』もそうだが、落語に登場するホラ話は奇想天外でおもしろい。

「富士山がこけそうだから、線香持って突っ張りに行く」てスケールの大小の差が凄すぎ、だいたい富士山は普通こけないし。スケール感の欠如がめまいに似た感じさえ覚えさせる。

『頭山』というシュールで荒唐無稽な落語の傑作がある。桜の種を飲み込んだ男の頭に大きな桜の木が育ってしまい皆がお花見にきて宴会まで始めてしまうという話なのだが、ありえない話でありながら、日常的な生活感覚から離れ過ぎていないところが妙な現実感を感じさせる。若い頃、この作品の落ちを初めて聞いたときの現実と非現実がない交ぜになったような不思議な感覚は一生忘れられない。

アニメにもなってます。

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2008年2月19日 (火)

ちりとてちん 第117回

胡散臭い奴、何が狙いか?Tue_1_s

こういう男は信用してはあかん。妙にハキハキと芝居臭いセリフ言いやがって、分かり易すぎる。でも、騙されるんだよな、これが。

先にナレで「トラブルメーカー」とネタばれしているので、観る側の興味は、何故勇助が手間暇掛けてまで徒然亭に入門する必要があったかということだ。

本当に落語が好きなのか?ならどうしてトラブルを起こすのか?ひょとして若狭狙い?(いや、草々だったりして)それとも大がかりなジョークの為?(最後に『なんちゃって』とか)それとも・・・

ありがちな設定なのに、この作品ならではのひねりがあって先が読めない。

草々と若狭が夫婦らしくなってきて良いな。「恐竜あたま」の夫を若狭なりに支えていこうと姿勢がほほえましい。それに最近ちょっと色っぽく・・・いやいや。080218chiri_21tue

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2008年2月18日 (月)

ちりとてちん 第116回

漢五郎師匠、日本語でOK?Mon_2_s

漢五郎師匠(通訳付き)に言葉をかけられたとき、草々は下向いて笑っていたな、絶対。

傍若無人な小次郎の行動には、こういうキャラだと納得していても少し抵抗を感じたが、その悪意のない能天気な振る舞いが次第に場の空気を変えていく流れは見事だった。最後は皆自然な笑顔になっていた。

草若師匠の葬式を湿っぽいままでは終わらせるはずはないだろう、かといって最初から笑顔や笑いは出せないし、どうするのかな、また若狭がらみかな、と予想していたので意表を突かれた展開だった。

しかし、関西度が高い芝居による笑いの演出は好みが分かれるかもしれない。でも、このドラマをずっと観ている人は、本来の「ちりとてちん」に戻ったと感じて素直に楽しめたはずだと思う。

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2008年2月17日 (日)

大阪ハムレット 森下裕美

Photo_3

以前1巻目を書店で見かけたとき森下裕美の新作ということで手が出かかったが、表紙の絵柄から彼女の持つダークな側面全面展開の暗く重い話のような気がして躊躇していた(タイトルにハムレット入ってるし)。

今年になって2巻目が出て表紙の女(の子)たちに魅かれるものを感じて、ためしに購入してみた。

やられました。Photo_5

電車の中で読んだのがまずかった。涙が止まらない。だいたい「ちりとてちん」で涙腺弱くなっているところへ、大阪弁の人情話直撃はやばかった。

その日のうちに1巻目も購入したのは言うまでもない。

人情話と書いたが、だれか奇特な人の親切で皆幸せハッピーエンド、という話は一つもない。世の中や大人の事情に振り回されやすい弱者としての子供たちや女性が主人公の話が多いが、彼女彼らが厳しい人生を生き抜くための〈良い意味での)「強かさ」を周りの人々とのふれあいから身につけていく過程が泣かせるのだ。決してハッピーエンドは約束はされていないが、ポジティヴに生きようとする姿勢に共感するのだ。

舞台は「だんじり」で有名な岸和田や和泉周辺のようだが、住民の定住率が高い街で人間関係は濃いのだろう。そんなイメージを代表する大阪ハムレットこと久保田君がいいキャラだ。少し乱暴者だけど優しいところもあって、何といっても家族思い(またこの家族がいい味出しているのだ)。ほかの話にもチョコと顔出したりしていてこの作品が連作として描かれていることがわかる。映画化されるようで、だれがどの役を演ずるのか楽しみだが、久保田君役は重要だと思うぞ、期待して大丈夫かな?

好きな話はいくつもあるが、1巻目の「乙女の祈り」、同じ主人公で「おんなの島」、性同一障害の主人公が前向きに生きようとする話なのだが取り巻く人々の描写も含めて完成度が高い。お父ちゃんがいいんだよ。あとは第2巻の「十三の心」、思春期の女の子の揺れる心を描いた作品で、主人公が自分の文学的資質に開花していく過程と自分の周りの現実に折り合いをつけていく過程が並行して描かれていている。途中で出てくる高校の文芸部部長が昔の森下キャラそのままでちょっと嬉しかった。

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ポリス@東京ドーム 2008.2.14

10034946296_s_2 なにか、寒々とした印象

観ていた場所は、ほぼ正面スタンド席の最前列で、目の前にPAスピーカーがあったせいもあり音響も良く、三人の演奏も悪くなかった。

でも初期のライヴや、映像作品「シンクロニシティ・ライヴ」での神がかったライヴを知っている者には何か違和感が残る内容だった。

暖房費をケチったとしか思えない「寒い」会場のせい?

演奏中にもかかわらず、無神経に会場入りする撤収隊のせい?

一曲目から立ち上がって最後までボーと突っ立てるアリーナの観客のせい?

原因はいくつかありそうだが、やはり大きな問題は観客の求めるものと演奏者の提供するそれとの微妙なズレにあったのではないかと思う。

後で知ったのだが、今回のツアーのセット・リストはほぼ固定していて、つまり、パッケージされたお披露目的な再結成ツアーだということだ。たぶんこのメンバーで再び新しい刺激的な音楽を作り出そうなどというモチベーションはないだろう。

それは演奏内容にも如実に表れていた。あの破綻ギリギリのひりひりするようなテンションに溢れたアンサンブルはそこにはない。ロックのライヴに意外性や即興性を求める(私みたいな)観客には期待外れのものだったと言える。特にダブ的展開でのおざなりな演奏(アンディーのギター、あのひらめきに満ちたユニークなアプローチはどこ行った!)は彼らのライヴバンドとしての魅力を損なうものだった。

もちろん彼らが80年代のロックバンドとして過去の曲を完璧に破綻なく「再現」していたことは事実だ。ポリスというロック・アイコンとして大きな需要のある欧米では再結成ツアーは大歓迎されたことだろう。しかし、日本では「まずスティングありき」の観客がほとんどであろう。彼のバンド、もしくは彼が元いたバンド、スティングの音楽やイメージ経由でポリスを認識している(スティングを求める)観客にとっては、逆に今回のライヴはあまりにもロックバンドであり過ぎたのではないか?

観客の求めるもの、演奏者の提供するもの、それらがぴったりとシンクロして生み出される幸せな一体感は最後まで訪れることはなかった。

そして語られるのは、「スティング、かっこえー」とか「ドラムばかうま」とか「PA最悪」とか瑣末なことばかり。ま、それも楽しいのだけどね。

ただ寒過ぎだぞ!会場がイマイチ温まらなかった原因は空調にもある。

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2008年2月16日 (土)

ちりとてちん 第115回

これは良い「あの世」、往きたくもあり往きたくもなし080211chiri_20sat_5  Sat_2_s_5

かわいい弟子たちの道中話、それぞれ自分の味を出しながら場を盛り上げてくれます。師匠の「芸」を受け継ぐ心意気に師匠にも笑顔が浮かびます。

さてどうやら「あの世」も捨てたものじゃないようです。楽しむか否かは旅立つ人の心掛け次第、どうせいつかは往かなくちゃならないなら、楽しい方が良いに決まっています。

皆が面白おかしく送ってくれているうちに、そろそろ・・・

奥さん、最期まで笑わせてくれなすなぁ。そうだ、旅立ちのついでに若狭に・・・その前に酒やな。

必要以上に感情的な愁嘆場を描かないところが「ちりとてちん」らしい。

次週はいきなり葬式場面(通夜かな?)のようだし、もう師匠は皆のセリフの中にしか登場しないと思うとやはり寂しい。思い出も日常生活の中に埋没していくのだ(時々ひょっこり顔を出して感情を激しく揺さぶることがあって困るが)。

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2008年2月15日 (金)

ちりとてちん 第114回

言葉はいらないFri_1_s

師匠と小草若、いや父と子は、お互いの生きている「温もり」を共有し合う、という最高のコミュニケーションをとることができた。

それまで病室等で言葉を交わしてたであろう事を菊江に語らせるだけにして、あえて添い寝のシーンに会話を入れなかった事が父と子である二人の特別な関係性を印象付けていた。

言葉で伝えることも大事だけど、それ以上のコミュニケーションが「ふれあい」で可能なのだ。

頭なでなでもそうだが、師匠はある意味達人だ、一歩間違えると「通報」されることになるので素人は真似しない方が良いが。

若狭の笑顔、師匠の陽気な旅立ちFri_2_s_2

土壇場までいろいろとありましたが、いよいよ旅立ちの時がやってまいりました。

送る者、送られる者、皆笑顔でにぎやかにお別れしたいものです。

まずは若狭が、ご挨拶代わりのご機嫌うかがい。

師匠との出会いやあれこれ、面白おかしく語りますうちに、皆様パーッと明るくなりました。師匠の顔にも笑みが浮かんでおります。

昔は、日本橋から品川辺りまで送る者も送られる者も一緒に道中して楽しく別れを惜しんだこともあったそうですが、残りましたる4人の兄弟子たちがあの世の入り口まで案内をかねてお供いたします。というところで、また次回。

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2008年2月14日 (木)

ちりとてちん 第113回

師弟としてではなく、親子としても・・・Thu_2_s

伝えておきたい言葉や想い。

親子が素に戻って二人きりで語り合える時間は持てたのだろうか?

明日からいよいよ弟子たちの落語会、まずは若狭の創作落語、そして草原、草々、小草若、四草4人による「地獄八景亡者戯」。師匠の容体と合わせて大きな山場を迎える。

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2008年2月13日 (水)

ちりとてちん 第112回

なんだ、この夫婦、仲良いじゃないか、このやろ 080211chiri_20wed

すみません。僻んでおります。

回想シーン、すごく時間がたった気がするけど、ほんの数か月前の放送なのだ。役者も演じながら成長するのだな、と今更ながら演じるという事の深さを感じた。

佐藤めぐみ演じるA子。少しづつ少しづつ本筋に絡み始めてきた。これは役者としてはおいしい役ではないか?ちょっとの出番で視聴者の興味をうまく引き付けていると思う。和田清海の人生の答えが出るのにはもう数週間かかるのかな?

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2008年2月12日 (火)

アクセス数20000回突破!!

気がついたら20000アクセス!

約6ヶ月で、これが多いのか少ないのかよくわかりませんが、ありがとうございます

あっという間に立ち去った方も、じっくりと駄文に付き合っていただいた方も、ほんとに感謝感謝でございます。

ちりとてちん」という最高の追い風があったにせよ、その他のカテゴリーでもアクセスがあったことが嬉しかったです。

今後ともよろしくお願いします。

Kussy

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ちりとてちん 第110回、111回

音楽でいえばアダージョでしょうかMon_1_s Mon_2_s

先週の毎日がいっぱいいっぱい状態から一転して、まったりと各自の想いが語られる展開。

人生の教訓めいたことがいろいろ語られるが、登場人物たちが自分のレベルで納得し共感しているのが良い。決して説教臭くならないし、共感を呼ぶ現実感がある。

過去の場面が少し視点を変えて再登場する。繰り返し変奏されてきた各テーマが再び元のメロディで提示されたかのようだ。

そして、各テーマや変奏部分がフーガのように絡み合い、週末のクライマックスに向かっていく(たぶん)。

おまけ) 若狭が兄弟子たちの稽古に合わせて披露するパントマイム落語がもうほんとにキュート!ええ、私は若狭ファンです。Tue_2_s Tue_1_s_2

お母ちゃん、これからリンゴのウサギを見ても必ずカニさんを思い出す私になりました。

京本と渡瀬の共演は珍しくないか?なんか緊張感が漂っていた気がする。

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2008年2月10日 (日)

楽しい音楽生活 5        LOVE&PEACE HARD CORE   スーパージャンキーモンキー

記憶に残るだけではいかんのです。41w7kqg2crl__aa240__2 

91年の結成から99年の解散まで怒涛のように駆け抜けたSJM。

50年以上生きてきて最も惚れた日本のバンドだ。

インディーズ時代にライヴ音源のアルバムとビデオ、メジャーでオリジナル・アルバムが2枚、ミニ・アルバムが2枚、ビデオ2本、解散後再びインディーズからミニ・アルバムと2枚組ベスト。 そして精力的なライヴ活動。

チャートでの実績や芸能界的な成功とは全く無縁だが、ロックという手段を通して自分たちを表現するパワーとエネルギーは誰にも負けていなかった。何物にも媚びず、自らのスタイルを貫く、その為のテクニックと才能も持ち合わせていたのだ。

メンバーは、KEIKO(g)、623I(vo)、かわいしのぶ(b)、まつだっっ!!(dr)の4人。その音楽はファンク/ハードロック/パンクを融合し昇華させた当時でいうミクスチャーという物だが、同時代の他のバンドとは一線を画する要素がいくつかあった。

それはまず、強力にグルーヴするリズム・セクションだ。かわいしのぶとまつだっっ!!のコンビは複雑な構成の曲を軽々と演奏しつつそこに常にグルーブ感あふれるノリを提供していた。ライヴでは客が終始踊りまくるのもこのリズム隊あってこそだ。さらにKEIKOのギタープレイはスぺーシーだっだりアグレッシヴだったりノイジーだったりと曲のカラーを決定づけていて、仕掛けのある曲作りおいて大きな役割を果たしていた。

そして、何より圧倒的なのは623の存在だ。SJMのコンセプトそのものが623のカリスマ的存在にあるといっても良い。

曲の半分以上を占める英語の歌やラップ。ほとんど何を歌っているかわからないシャウト、ひしゃげた声、歪んだ声、早口、呟きで埋められた曲。しかし、切れ切れにしか理解できない言葉や単語が彼女のヴォーカル・パフォーマンスを通して伝わると聴き手のイマジネーションを強く刺激するのだ。

陳腐な恋愛ソングやバラードなど一曲もない。全ての曲が623の心から身体から剥き出しのまま湧き上がってきたものなのだ。それは前向きな人生応援歌でもなく心の痛みを嘆いた歌でもないが、聴き手の心には強く突き刺さる声であり言葉だ。

いつもハイテンションのステージ・パフォーマンスも含めて、これは表現者としては非常に消耗すると思う・・・結局彼女はその現場から去るのだけど。

ちょっとでも興味を持ったらぜひ聴いてみてほしい。とは言っても個人的布教活動はあまり成功したためしはないのだ。真剣に「音楽」と「自分」の関係を考えている人には何か伝わると思うけど、どうだろう。

で、今調べたら2枚組ベストが生産中止みたいでamazonの中古でエライ値が付いていた。ソニー時代のCDは安く入手できそうだ。

今でもウォークマンにアルバムの音源入れて、シャッフルでどの曲が飛び出すか楽しみにしながら毎日聴いているが、最近のお気に入りは[SEVEN」そして623の鎮魂歌とも言える「LOVE&PEACE HARD CORE」。

マイ・フェバリット・ベーシストかわいしのぶについてはまた別項で記すつもり。

追記)2枚組ベストはまだ店頭在庫はあるようだ(渋谷のタワーで見かけた)。

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中春こまわり君2 山上たつひこ

集中連載の2回目、快調に飛ばしていて面白い。

2006年の集中連載でのジュンちゃんのエピソードでもそうだったが、大人たちの生々しい事情がリアルに情け容赦なく描かれつつ、こまわり的な異次元展開が随所に炸裂している。

お父ちゃんの切ない欲情と悲哀はなんとも・・・襖に向かって頭を下げるシーンは泣けるなぁ。

山上たつひこ撰集は2月下旬に「にぎり寿司三億年」と「半田溶助女狩り」が2巻同時発売だそうでめでたい。とくに半田溶助シリーズ、『人妻砦夜の穴ふり』『じょしちゅうがくせえ涙のタコ壺』『失神首ふり童子』、タイトルからして狂っている。でも無修正オリジナル版は今回も不可能なのだろうな、小学館だし。

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2008年2月 9日 (土)

ちりとてちん 第109回

師弟のけじめ、張りつめた空気、最後の稽古 Sat_3_s_3 Sat_2_s_2 

師匠の支度を手伝う若狭、稽古場で待つ弟子たち、稽古をつける師匠、この一連の流れが良かった。

五人同時ということを除けば、徒然亭では日常的な風景だったはずなのに、この日の稽古は特別な意味を持つ。弟子たちの真剣なまなざしと、師匠の次第に熱を帯びてくる語り口がこの瞬間をさらに神聖なものにしていく。師匠として伝えていくことへの「けじめ」、弟子として受け継ぐことへの「けじめ」、最後の稽古の持つ意味は大きい。

弟子たちがどのような思いで受けとめ受け継いでいくのか、これから語られることになるのだろう。

渡瀬恒彦、上手い下手ではなく草若の落語はこういう芸なのだという説得力があった。キメの台詞「その道中の陽気なこと」が活かされてこその今週の締めだったしね。

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2008年2月 8日 (金)

ちりとてちん 第108回

小浜組も参入Fri_2_s

昔からの映画ファンにとっては、お互い懐にドスを隠し持っているような凄いツーショット。

でも語られるのは、人生の無常と希望。

ほとんど落語世界の住人たちのような和田家登場で、若狭の創作落語への道に光が見えたか。

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2008年2月 7日 (木)

ちりとてちん 第107回

素直に泣くしかありませんThu_2_s

これはドラマであり、あくまでも虚構の世界の出来事なのだ、と理解しつつもここ数日の展開は私の涙腺を刺激しまくりで、かろうじて理性の砦が守っていた最後の結界が今日崩壊した。

冒頭、糸子母さんのセリフから弟子たちのそれぞれの受け止め方が描かれるあたりまで、もう涙、涙で頭の奥の方で冷めている自分もあきれっぱなし。

これはあかん、こういうドラマではないはずだ、と思いつつも身体の生理現象はどうしようもない。今日はこのままグダグダで終わるかと思ったら、最後の若狭とのシーンで草若師匠が締めてくれた。

「消えていく命を愛おしむ気持が、だんだん、今生きてる自分の命を愛おしむ気持に変わっていく。そしたら今よりもっともっともっと一生懸命に生きられる、もっと笑うて生きられる。」

涙がすっと消えた。

運命を受け入れ、それでも生きている間は生きる努力をしよう、生きている意味を見つけよう、たとえそれが叶わない思いであってもだ。

いかん、これはドラマで、あくまでも虚構の世界だ。  

分かっているさ。

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2008年2月 6日 (水)

ちりとてちん 第106回

「現実」は容赦がないもんです 080204chiritote_19wed

悲願の常打ち小屋作りは若狭との師弟落語会の成功が条件になった。草若が演じなくてはならない「地獄八景亡者戯」と若狭に演じさせなくてはならない創作落語。

事情を知らない若狭は当然反発する。そこで草若師匠が若狭に創作落語の必要性を説いたところで病魔が牙を剥いた。

現実は待っていてはくれない。甘い希望など何の役にも立たない。ただ迫りくる現実を現実として受け入れるしかないのだ。そのうえで折り合いがつくところ、少ない時間で可能なところ、力が及びそうなところを何とか探し出してあがくしかないのだ。

現実にたくさんの「死」を身近で経験してきたであろう渡瀬の演技が鬼気迫る「場」を作り出し、周りの役者たちもその「場」に感応して尋常でないドラマを作り出しつつある。

週末から来週にかけて描かれる草若師匠の死はきっと長く記憶に残るものになるだろう。

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2008年2月 5日 (火)

ちりとてちん 第105回

その道中の陽気なこと・・・Tue_2_s_2 080204chiritote_19tue_3

去年私の父も肝臓の末期がんで亡くしているため、なんとも・・・。

治療不可能という事実を父に伝えたとき「よろしく頼むよ」と言ったきり、ホスピスでの三ヶ月間一度も「そのこと」には触れなかった父。本当は何を思っていたのだろう?「心残り」はすべて息子たちに託したつもりだったのだろうか、それとも・・・本人がいなくなれば、後は残された者の「心残り」だけだ。

草若師匠が身辺の「始末」に入った。限られた時間、自分で出来ることは出来るうちに手際良く進めなくてはならない。

残された者たちによけいな「心残り」を与えないために、そして自分が「心残り」なく陽気な道中を歩くために。

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2008年2月 4日 (月)

ちりとてちん 第104回

地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)Mon_1_s

昔、関西系の漫画家がこのネタを作中に登場させていたことがあった。その題名のゴロの良さに興味をひかれたが、「落語かな?」と思っただけで詳しく調べることはなかった。ただ「地獄八景亡者の戯れ」という題名は長く記憶に残った。

だから「ちりとてちん」でこのネタを使うと知った時、ちょっと嬉しかった。それで改めて内容を調べてみた。

これは、凄い作品だ。今よりずっと「死」が身近にあった時代の死生観は我々のそれよりも現実的(死んでしまえば全てお仕舞い、とか)だったとは思うが、あの世で救済を求めるどころか積極的に楽しんじゃおう、というのには恐れ入る。しかも、観光場所は地獄だ。ネタばれになると思うので詳しくは書かないが、江戸落語では「地獄めぐり」という題で演じられている、私自身も断片的だが記憶している場面があった。

今週は、「」が大きなテーマになる。悲しく重い展開になりそうなところに、この「亡者の戯れ」を持ってくる師匠の考えとは、いや、脚本家の意図とは何だろう?去る者と残される者それぞれの「心残り」はどう描かれるのか。明日から、師匠の残された日々の時が刻まれ始める。

創作落語といえば、桂三枝が横山やすしを登場させた改作「地獄八景やすし編」を自作自演していたそうだ、聞いてみたかった。地獄の鬼にも蹴りを入れたのだろうか。

若狭の創作落語には母糸子が関わってくると予想。

冒頭の関西系漫画家とは山上たつひこ。

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2008年2月 3日 (日)

70年代 2

今の自分の基本になっている体験は70年代がほとんどだ。

政治の季節を終えた時期、凪いだ海に浮上した私たちは自分の力で波風を起こすしかなかった。

ラヴ・アンド・ピースは嘘くさい、政治活動は自己矛盾、大人のマスコミは欺瞞だらけ、自分が面白いと思い共感するものこそがリアルだった。自分の価値観だけが拠り所だった。

そして自分の価値観を主張し発信する術を模索して形にしようとした。

それは、小説だったり、音楽だったり、映画だったり、ライフスタイルだったり・・・それは共同体というよりも同時代を生きる共有意識だった。

ネットも携帯もない時代、そんな個々の発信者たちが協力し合うことで、団塊の世代の共同体幻想を超えた個性の集合である我々の文化を社会に提示できるのではないかと思った。

それは個々の集合であること自体が原因で瓦解していくのだが。

ま、なんだ、きばって書いてもしょうもないのでやめます。

最近連続して古い友人に会ったり記録を見たりして、つい熱くなりました。過去の記憶が懐かしさでなくあまりに生々しく心に蘇ったもので、自分の中でどう収拾して良いものか、ちょっと困っております。

せっかく過去の記憶やら記録があるので、「70年代」というカテゴリーを作りました。今後個人的な事がほとんどでありますが、少しずつ記事を載せていくつもりです。掲載頻度は・・・低いと思う、とあらかじめ言っておきます。

では、また。

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2008年2月 2日 (土)

イムリ 3 三宅乱丈

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待望の3巻目を購入。

2巻目までは物語の世界と主人公周辺の案内と説明を中心とした導入部だった事もあってか、比較的ゆっくりと話が展開していた。しかし、2巻目の終わりで勃発した軍事系クーデターの顛末と主人公の辺境での旅を中心に描かれた3巻目で物語は急速に変化し深化し複雑になっていく。

クーデターの顛末では、支配階級と軍部との政治的駆け引きの面白さ、支配階級の長である呪大師のしたたかさと支配階級の成り立ちに関する隠された秘密の業の深さが描かれる。

そして主人公デュルクの辺境での旅では、未知なる物や人々と出会う喜びや不安がデュルクの目を通して描かれ、この物語の重要な舞台であるルーンと住民イムリの実態が少しずつ明かされる。そのロードムービー的展開は読者の好奇心を刺激し興味を持続させる。

本当に見事な構成だと思う。話としてきちんと面白いのだ。この種のハードなSFにありがちな必要以上の説明的な部分とか希薄な人間関係とかがない。まず(それが愛であれ、憎しみであれ)人間同士の触れ合いが描かれ、そこを中心に話が進む。作者が女性であることも関係するのかな。

もちろん、この世界は独自の科学体系、支配階級制度、物の呼び名等、それだけで膨大なサブ・テキストが作れるほど細部まで構築されている。各自脳内辞書を作りつつじっくりと何度も味わえば旨みが増してくる楽しみもあるのだ。

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ちりとてちん 第103回

もう漫才だな、「豊作落語」には笑ったSat_3_s_2

上り調子もいれば下り気味もいるし安定している者もいる、弟子たちの三年後と師匠の辛い現実を若狭の「落語の悩み」を通して一日の出来事(師匠もびっくり)として描いてきた今週の「ちりとてちん」。

弟子たちの個性と師匠との絆、若狭の悩みと糸子の勘、そして今週のお題「饅頭怖い」に絡めた『怖い』という言葉の使い方、脚本も演出も見事な一週間だった。ただ、こちらには師匠の状態が分かっているだけに、全体的に「重い気分」を感じさせられたのも事実だ。

が、一夜明けた日の若狭の男装落語と無意識の創作落語でふっとんだ。今までのどの落語シーンよりも「お笑い」になっている。「やればできる子」であるはずの貫地谷の「若狭としての落語」に何か物足りなさを感じていた、成長途中であるにせよも少し個性的な表現を持たせても良いのではないかと。それはここに至る為の周到な演出だったんだ、ということが良く分かった。いやー恐れ入りました。

そしていよいよ来週、予告を見る限り笑わせて泣かせる「ちりとてちん」の集大成となる予感が・・・

そういえば初高座で下げを間違った時のアドリブ「ほかしとこ」が創作落語としてここで繋がるのか、どんだけ長いパスなんだ。

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2008年2月 1日 (金)

ちりとてちん 第102回

夜明けは来るのか?080128chiri_18fri

師弟関係と父子関係、古今東西語られることの多い題材だ、「家の子は辛い」(By茂山宗彦)である。実の父子関係に公私の区別を持ち込まれては、子は最大の拠り所を失ってしまう。しかも、小草若の場合は甘えが許される母さえも失っている。人生の岐路に立った時、頼ることも癒されることもできない。

距離を置いた父子関係は軋轢を生じやすい。しかも解決し難く、拗らせる。もともと第三者に対する「けじめ」としての父子関係の否定だったはずが、自身の歪んだ「こだわり」に変化しているのに気がつかない。

小草若にはまだ時間が必要なのか?

それとも、悲しく辛い現実が必要なのか?

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